金沢八景・称名寺◆境内散歩(その1)◆赤門・仁王門・光明院等
- 2021.05.09
最近の横浜市金沢区といえば、 沖合の人工島に造られた水族館と遊園地の複合リゾート施設「八景島シーパラダイス」が有名で、その海岸線には工場と倉庫が立ち並び、もともとの入海「瀬戸の内海」とその周辺は東京・横浜のベッドタウンとして大小の商業施設と住宅に埋め尽くされています。しかし平安期以降、 武蔵国久良岐郡金沢村とその周辺は東日本有数の景勝地として知られ、江戸期には中国の「瀟湘八景」に倣い「金沢八景」と […]
神に抱かれ仏と共に歩む日々…
最近の横浜市金沢区といえば、 沖合の人工島に造られた水族館と遊園地の複合リゾート施設「八景島シーパラダイス」が有名で、その海岸線には工場と倉庫が立ち並び、もともとの入海「瀬戸の内海」とその周辺は東京・横浜のベッドタウンとして大小の商業施設と住宅に埋め尽くされています。しかし平安期以降、 武蔵国久良岐郡金沢村とその周辺は東日本有数の景勝地として知られ、江戸期には中国の「瀟湘八景」に倣い「金沢八景」と […]
円覚寺境内のセンターラインから東にそれた高台に国宝の「洪鐘(おおがね)」と弁天堂があります。 「おおがね」と呼ばれる梵鐘は、1301年(正安3年)に執権・北条貞時が鋳物師・物部国光に命じて鋳造した鎌倉最大(高さ約2.6m)の梵鐘で、円覚寺六世・西澗子曇(せいかんすどん)の銘「皇帝萬歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安」が入っています。また、この洪鐘は北条貞時が見た江ノ島弁財天の夢のお告げに従い円覚寺正 […]
鎌倉・大町にある八雲神社は、永保年中(1083年)に、後三年の役に参戦するため陸奥国に向かう途上の新羅三郎義光公が、悪疫に悩まされるこの地の住民を救うべく京都祇園社を勧請し、「鎌倉祇園社」として開創されました。その後も「西の京都祇園社」に対し「東の鎌倉祇園社」と呼ばれるほどの信仰を集め、室町時代には関東管領家、戦国時代には小田原北条氏、江戸時代には徳川将軍家と歴代の権力者に保護されてきましたが、明 […]
唐門・大方丈とその付近は、円覚寺の寺務及び臨済宗円覚寺派の宗務を司ると共に日常の諸行事を執り行う建物が集中しています。主要建造物の唐門・大方丈・小書院・大書院・庫裏は何れも関東大震災で倒壊しましたが、第二次大戦前に再建されています。なお普段、一般の参拝者は、書院や庫裏には立ち入ることはできませんが、毎年11月上旬の宝物風入に際しては、展示物を鑑賞しながら内部を拝見することができます。 境内図 唐門 […]
今回ご紹介させていただく仏殿・選仏場・居士林・法堂跡・浴場跡といった場所は七堂伽藍のコアとなる重要な部分です。円覚寺の伽藍は、数多くの火災や地震によって失われ、その都度再建を繰り返してきましたが、今回の仏殿・選仏場・居士林については、そうした謂れを含めてご紹介できればと存じます。 境内図 仏殿 円覚寺の伽藍は、建長寺と同様に中国の径山(きんざん)・万寿寺に習った左右対称型の様式で、その中心となるの […]
鎌倉五山の第二としてあまりにも有名な円覚寺は、建長寺開山・蘭渓道隆遷化の後に南宋より招来し建長寺五世に迎えられていた無学祖元を開山として、元寇の戦没者の霊を弔うため弘安五年(1282年)に、時の執権・北条時宗により建立されました。その後重厚な歴史を積み重ねつつ、現在も境内に計十八の塔頭を抱えるなど、建長寺と並ぶ鎌倉・臨済禅の中核寺院として重きをなしています。数多ある禅刹の中でも殊に特徴的な円覚寺の […]
「おんめさま」の別称で親しまれる長慶山正覚院大巧寺(ちょうけいざん・しょうがくいん・だいぎょうじ)は、鎌倉駅西口を出て、若宮大路を渡ったすぐ右手にある日蓮宗のお寺です。もともとは十二所・明王院裏手の梶原景時屋敷内にあった「大行寺」という真言宗のお寺でしたが、源頼朝が戦評定をして大勝を得たことから表記を「 大巧寺」に改め、後に日蓮宗に改宗し、改宗した住職の弟子の日澄を開山としました。さらに現在地に移 […]
鎌倉宮が明治天皇の勅願により創建されたことは、前編でも述べましたが、明治天皇における護良親王への追念の深さにはひとかたならぬものがおありでした。ご存じでない方も多いと思いますが、最初に明治天皇が護良親王をお祀りしたのは、何と即位に先立つ明治元年7月23日(親王の御命日)のことで、京都・河東操練場(京都市左京区聖護院町)に神座を設けてその御神徳を謝しました。そしてわずか半年後の明治2年2月には戊辰戦 […]
御祭神の大塔宮護良親王にちなみ「大塔宮(おおとうのみや・だいとうのみや)」とも呼ばれる鎌倉宮は、鎌倉市北東部の二階堂にあります。鶴岡八幡宮から金沢街道を少し東に進み、「岐れ路」交差点から北東にまっすぐに伸びる参道「お宮通り」を進むと、赤い笠木を渡した白塗の鳥居が遠くに見えます。創建は明治二年と比較的新しいのですが、明治天皇の勅願により唯一建立された神社として旧・官幣中社に列し、鎌倉では鶴岡八幡宮( […]
「丸山稲荷社(御祭神・倉稲魂神(うかのみたまのかみ))」は、鶴岡八幡宮・本宮の西側にある小高い丘の上に鎮座する鶴岡八幡宮の末社で、源頼朝による由比若宮からの遷宮前よりここ旧・小林郷に祀られていたことから「地主稲荷」の別称を持ちます。もともとは現在の本宮の位置にあり「松岡明神」と呼ばれておりましたが、建久二年(1191年)の大火で旧・若宮が焼失した後、頼朝が大臣山中腹を切り開き本宮を造立し石清水八幡 […]