鎌倉・御霊神社(坂ノ下)◆境内散歩~鎌倉権五郎・面掛行列・石上神社お供物流し~
- 2024.07.07
- 境内散歩
極楽坂切通の鎌倉側の「坂ノ下」にある「御霊神社」は、御祭神の鎌倉権五郎景正公にちなみ「鎌倉権五郎神社」とも呼ばれます。古くは「五霊神社」と呼ばれ豪族「鎌倉党」の一族である大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉の五氏の先祖を祀っておりましたが、遅くても文治元年(1185年)までには、後三年の役での「矢抜き」の逸話であまりにも有名な鎌倉武士の鑑・鎌倉権五郎景正公一柱のみをお祀りする神社となり、いつしか表記も「御霊神社」に改められました。
桜に紫陽花、そして銀杏と、四季折々の表情を楽しめる他、例大祭での面掛行列(神奈川県指定無形民俗文化財)・鎌倉神楽、境内社・石上神社例祭での「御供流し神事(ごくながししんじ)」など伝統ある行事も有名です。さらに正面鳥居のすぐ前の踏切を江ノ電が通過することから絶好の撮影スポットともなっているなど、鎌倉観光の目的地の一つとして必ずその名が挙がって来ます。もちろん日本遺産・ストーリー「いざ、鎌倉」の構成文化財の一つに指定されています。
なお御霊神社のご由緒、ご朱印、年中行事、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください 。
⇒御霊神社へ
- 1. 御霊神社の魅力
- 2. 境内図
- 3. 旧社号石柱
- 4. 表鳥居
- 5. 東鳥居
- 6. 境内の様子
- 7. 社務所
- 8. ご神木・たぶの木
- 9. 手水舎
- 10. 稲荷神社
- 11. 秋葉神社
- 12. 景正公弓立の松
- 13. 手玉石(てだまいし)・袂石(たもといし)
- 14. 祖霊社
- 15. 夫婦銀杏(めおといちょう)
- 16. 拝殿
- 17. 本殿東奥・境内社
- 18. 御嶽社(おんたけさん)
- 19. 庚申塔群
- 20. 第六天社
- 21. 手水鉢
- 22. 神楽舞台礎石
- 23. 宝蔵庫
- 24. 星月会館
- 25. 神輿庫(御霊神社宮神輿)
- 26. 神輿庫(石上神社神輿)
- 27. 石上神社例祭
- 28. 御霊神社例大祭
- 29. 力餅屋
- 30. 長谷の灯り
- 31. 境内の花々
御霊神社の魅力
◎12世紀に遡る鶴岡八幡宮ゆかりの神奈川県指定無形民俗文化財「面掛行列」
◎かつての勇壮な海上渡御を彷彿とさせる石上神社「御供流し(お供物流し)」
◎後三年の役で名を馳せた鎌倉武士の鑑・鎌倉権五郎景正公
◆「鎌倉武士の鑑」鎌倉権五郎景正公
鎌倉権五郎景正公(景政とも書く)は、源義家に従い16歳で後三年の役に出陣しました。羽後国金沢の柵の攻防では、敵将の鳥海三郎の射た矢が目に刺さったまま、臆せず敵を討ち取ったものの、帰陣後倒れてしまいました。それを見た味方の三浦為次が景正の目に刺さった鏃を抜こうと沓を履いたまま、景正の顔を踏みつけたところ、景正が「無礼」と怒り刀を構えたため為次は驚き謝罪し、今度は膝で顔を押さえて鏃を抜きました。危急の時でも武士の誇りをいささかも失わない景正の武骨な武者振りに人々は「鎌倉武士の鑑」と讃えたそうです。
境内図
旧社号石柱
こちらは、坂ノ下海岸から極楽坂に向う星ノ井通りの途中にある力餅屋の前に立つ「五霊社鎌倉権五郎景政」と刻まれた石柱です。ここが御霊神社の参道入口になります。
表鳥居
参道を進むと、江ノ電の踏切があり、そのすぐ向こうが御霊神社の表鳥居となります。形式は明神鳥居。
鳥居の反対側から見るとこんな感じ。
こちらは、嘉永三年(1850年)に建てられた旧鳥居の石材で、平成23年(2011年)に現在の鳥居に建て替えられました。長く角ばった石材は、笠木にあたる部分です。丸く写っているのが石柱で「鎌倉権五郎神社」と刻まれています。
こちらは、御霊神社の社号標です。
東鳥居
江ノ電の長谷駅からは、こちらの白日堂横から東鳥居に入るのが近道です。
白日堂は、鎌倉彫の工房兼住宅を代表する建物として、鎌倉市景観重要建築物等に指定されており、日本遺産・ストーリー「いざ、鎌倉」の構成文化財の一つとなっています。
突き当りが、東鳥居です。
こちらが東鳥居で、表鳥居とは異なり形式は神明鳥居です。地元に根差した神社らしく神道理論に囚われない大らかさを感じる配置です。
境内の様子
社務所・宝蔵庫付近です。
稲荷神社・秋葉神社あたり。
北に向いて、御本殿に向って東側。
南に向いて、表鳥居方面。
社務所
こちらが社務所です。ご朱印はこちらで頂けます。
ご神木・たぶの木
社務所のすぐ前の木は市指定天然記念物で、かながわふるさとの木に指定されているたぶの木です。樹齢は400年と云われています。
たぶの木脇の古神札納所です。
手水舎
こちらは手水舎です。
稲荷神社
社務所の向側にあるのが京都の伏見稲荷から勧請した稲荷神社です。ご祭神は宇迦御魂神(うかのみたまのかみ)です。
秋葉神社
稲荷神社に向って右隣りが秋葉神社です。明治二十二年(1899年)に起こった坂ノ下の大火の後、駿河国秋葉山本宮秋葉神社より勧請された神社で、火之迦具土大神(ひのかぐつちのおおかみ)をお祀りしています。また、地元坂ノ下では秋葉講が組織されています。
こちらは、布袋様と福禄寿で、前に力石が据えられています。なお、御霊神社は鎌倉江ノ島七福神では、福禄寿の札所をお務めです。
景正公弓立の松
こちらは、鎌倉権五郎景正公が領地を巡回する際に弓を立てて休んだとされる松の幹で「景正公弓立の松」と呼ばれています。現在、中は空洞になっています。
手玉石(てだまいし)・袂石(たもといし)
こちらの力石は、向かって左が手玉石、右が袂石と呼ばれ、各々二十八貫(105kg)、十六貫(60kg)あります。
祖霊社
こちらは祖霊社で、日清・日露戦争・太平洋戦争の戦没者二十三柱をお祀りしています。毎年8月15日の終戦記念日には、戦没者慰霊祭が斎行されます。
夫婦銀杏(めおといちょう)
こちらは「夫婦銀杏(めおといちょう)と呼ばれる雌雄一対になった樹齢約400年の銀杏の木で、向かって右が雄、左が雌になります。
拝殿
現在の社殿は、大正二年(1913年)に建てられたもので、拝殿・幣殿・本殿が連なる権現造となっています。彩色こそされておりませんが龍をモチーフにした彫刻が至る所に見られる立派なものです。
向背屋根の鬼板は、鎌倉氏の家紋であり御霊神社の社紋である「並び矢紋」です。
向背下の彫り物は、皆「龍」ですね。
屋根の組物は二手先です
こちらの木鼻は唐獅子です。
拝殿の正面には「鎌倉権五郎神社」の社号額が掲げられています。こちらは、旧陸軍皇道派のリーダーとして有名な陸軍大将荒木貞夫の書となります。
幣殿に掲げられている社号額には「御霊社」とあり、正面の鏡の奥が本殿の扉となります。
こちらは、社殿の東側面で、左より拝殿・幣殿・本殿となります。
こちらは、社殿西側です。御本殿の回りの高欄下が三手先の組み物になっています。とても手の込んだ造りです。
本殿東奥・境内社
本殿の東奥に境内社が三柱並んでいます。
金刀比羅社(こんぴらさん)
漁民の村・坂ノ下らしく、海上安全の守護神として、讃岐の金刀比羅宮より分霊した大物主神(大国主命の和魂)をお祀りします。
石上神社(いしがみじんじゃ)
石上神社のご神体は、社殿裏に鎮まる大きな岩塊です。前浜の巨石に乗り上げて、多くの船が座礁したことから、江戸時代末期に坂ノ下の漁民が上部を切り離して引き上げたもので、海上安全・豊漁の守護神として信仰されてきました。現在は7月の海の日に「御供流し」神事が執り行われます。
地神社(ぢじんしゃ)
大地を主宰し、生産を司る大地主神(おおとこぬしのかみ)をお祀りします。
御嶽社(おんたけさん)
木曽の御嶽神社(王滝御嶽神社と思われます)の諸神をお祀りします。
主三神は「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」「大穴牟遅神(おおあなむちのかみ)」「少名毘古那神(すくなひこなのかみ)」で、王滝御嶽神社の里宮・奥宮に祀られています。また八海山神社は五合目にあり、ご祭神は「国狭槌尊(くにさつちのみこと)」です。三笠山神社は七合目の三笠山頂上にあり、ご祭神は「豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)」です。
以上三柱の周りには次のような神様が祀られています。向かって左端に「白川神社」「長嵜神社」とありますが、御嶽神社との関係は良くわかりませんでした。
主神の三柱に守られるように「神武天皇」
庚申塔群
坂ノ下の辻々にあった庚申塔を、道路拡張の土木工事等 から保護するために、御霊神社境内に集めて祀っています。
こちらは、鎌倉市指定民俗文化財の庚申塔で、延宝元年(1744年)の銘があります。
こちらも、鎌倉市指定民俗文化財の庚申塔で、文政八年(1825年)の銘があります。
第六天社
神世七代(かみよななよ)の第六世代にあたる「面足尊(おもだるのみこと)」と「訶志古泥神(かしこねのかみ)」をお祀りします。神仏習合の流れの中では、第六天魔王を本地仏とします。
手水鉢
第六天社横の手水鉢には元禄十三年(1700年)の銘があります。
神楽舞台礎石
拝殿の南東にある礎石は、お神楽の舞台を設営するためのものです。
設営時はこんな感じ。
宝蔵庫
宝蔵庫には、面掛行列で使用される面などが展示されています。
これらが奈良期の伎楽を曽型とする面掛行列の仮面十枚で、明和五年(1768年)の銘があります。御霊神社は鎌倉江ノ島七福神の福禄寿の札所となっていますが、その由来はここに展示されている「福禄」の面にあります。
爺 | 鬼 | 異形 |
鼻長 | 烏天狗 | 翁 |
火吹男 | 福禄 | 阿亀(おかめ) |
女(とりあげ) | ||
こちらが、猿田彦の面で、面掛行列に登場します。
こちらの面は、左「山の神」、右「天狗」で、湯花神楽で用いられます。
伎楽面三枚のレリーフです。左から熱田神宮の笑面、厳島神社の陵王、法隆寺の迦楼羅(かるら)
星月会館
こちらが集会所の星月会館です。
神輿庫(御霊神社宮神輿)
御霊神社に二棟ある神輿庫のうち南側に御霊神社の宮神輿が格納されています。
こちらが9月18日例大祭の神幸祭に繰り出される御霊神社の宮神輿です。宝暦三年(1753年)に覚園寺村の大工棟梁・木村源八によって製作され、平成16年(2004年)に修復されました。総漆に、極彩色・金箔押しと、鶴岡八幡宮の神輿にも比肩される立派な仕上げです。
神輿庫(石上神社神輿)
北側の神輿庫には石上神社の「御供流し」で繰り出される御神輿が格納されています。
こちらが白木の大神輿で、嵐で材木座海岸に流れ着いた大きな木材を材料に製作されたと云います。昔はこれを坂ノ下の若衆が泳ぎ担いだそうです。
こちらが、同じく小神輿で、現在の「御供流し」では、こちらを船に乗せて沖まで繰り出します。
石上神社例祭
石上神社の例祭は7月の海の日に執り行われます。当日は有名な「御供流し(お供物流し)」も行われます。
神輿庫から小神輿が担ぎ出されます。
表鳥居をくぐり、星の井通りを横切って、前浜に出ます。
神輿と宮司を乗せて、沖まで繰り出します。
御霊神社例大祭
御霊神社の例大祭は鎌倉権五郎景正公の命日にあたる9月18日に執り行われます。
鎌倉神楽(湯花神楽)
例大祭の午前中には、境内にて鎌倉神楽(湯花神楽)が奉納されます。
詳しくは、こちらの記事をクリック
⇒「鎌倉神楽(湯立神楽)~御霊神社・例大祭2018年~」へ
面掛行列
面掛行列は「はらみっと行列」とも呼ばれ、神奈川県の無形文化財に指定されています。非人の娘を身ごもらせた源頼朝が、年に一度、無礼講を許したことに由来するとのことです。現在使用される10枚の面は、もともとは鶴岡八幡宮の神幸祭の行列の中で使用されていたものですが、明治以降、御霊神社にて使用されるようになったそうです。
9月18日の例大祭の午後は神幸祭で、面掛行列が坂ノ下を巡ります。
詳しくは、こちらの記事をクリック
⇒「面掛行列~鎌倉坂ノ下・御霊神社~例大祭2018」へ
こちらは「爺」です。
こちらは、鎌倉江ノ島七福神所縁の「福禄」です。
こちらが、面掛行列の主役「阿亀(おかめ)」です。
力餅屋
鎌倉名菓の一つ「力餅」で有名な「力餅屋」です。星の井通りから御霊神社参道への曲がり角にあります。例大祭では例年「力餅」を奉納なさいます。
面掛行列の面をかたどった「面まん頭」と「力餅」の詰め合わせです。
面まんじゅうは、面掛行列の面と同じく10種類あります。こちらは内6種類です。
長谷の灯り
こちらは、かつて夏場に長谷・極楽寺地区の寺社及び商店が協力して開催していたイベント「長谷の灯り」での御霊神社境内の様子です。
境内の花々
桜の頃は、こんな感じ。
こちらは緋桃です。
あじさいも名物です。
ムクゲです。
ランタナ。
こちらは銀杏。
寒くなると「千両」
最後までご覧いただきありがとうございました。いろいろとご事情がおありのようで、最近、御霊神社境内は撮影禁止となっております。今回は、数年前の写真だけで編集しましたので、ご勘弁ください。
-
前の記事
熊野本宮大社◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第一回)~大斎原(おおゆのはら)・八咫烏 2024.06.28
-
次の記事
鶴岡八幡宮・十月の祭礼と行事~蒼天晴れ渡る神無月~ 2024.07.13
コメントを書く