若宮(下宮)◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その8)◆

若宮(下宮)◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その8)◆

鶴岡八幡宮大石段に向って左手に、鶴岡八幡宮唯一の摂社・若宮があります。御祭神は、「仁徳天皇(にんとくてんのう):本宮主祭神・応神天皇の皇子」「履中天皇(りちゅうてんのう):仁徳天皇の皇子」「仲媛命(なかつひめのみこと):仁徳天皇の母后 」「磐之媛命(いわのひめのみこと):仁徳天皇の皇后」の四柱です。
 若宮の歴史は、河内源氏の源頼義が、前九年の役の戦勝祈願のため、康平五年(1063年)に河内源氏の氏神であった壺井八幡宮(もとを辿れば石清水八幡宮)を鎌倉・由比郷鶴岡(現在の材木座)に勧請し、鶴岡若宮(現在の由比若宮・元八幡)を創建したことに遡ります。
 その後、治承四年(1180年)に鎌倉入りした源頼朝は、鶴岡若宮を北山郷の現在の若宮(下宮)の場所に遷座しましたが、建久三年(1191年)の大火を機に現・大石段上部の平地を開き、本宮(上宮)を造営し、改めて石清水八幡宮を勧請して、現在の鶴岡八幡宮の原型が整えられました。
 鎌倉のメインストリート若宮大路の名は、由比郷から小林郷に遷座したこの若宮に由来します。また現在の若宮は、本宮の主祭神・応神天皇の御子・仁徳天皇をお祀りしていることから、そのように呼ばれている訳ですが、もともとは、壷井八幡宮を勧請して創建された「新しい八幡宮≒若宮」という意味で使われていました。

境内図

外観

 現在の若宮の建物は寛永元年(1624年)に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。本宮と同様に本殿、幣殿、拝殿からなる流権現造で、平成31年(2019年)の修復により艶有の朱色で再塗装を施し金具も交換してピカピカになりました(施工は名古屋の魚津社寺工務店)。

破風の三つ巴紋は、独特の尾長巴です。

拝殿に向って右手には、本宮に続く石段があります。

正面

平成31年(2019年)の改修直後に正面から撮影したものですが、それはそれは美しい朱色に輝いておりました。

この日は、正面扉も蔀戸(しとみど)も全開でした。

造作

垂木

垂木の木口にも巴紋が描かれています。

組物

枓栱(ときょう)は二手先で、軒下は朱色と黄色に塗分けられています。

木鼻

拝殿の木鼻は、獅子です。ちなみに本殿の木鼻は象となっています。

蟇股(かえるまた)

蟇股(かえるまた)も色鮮やかです。

改修

こちらは平成31年(2019年)の若宮改修中の写真です。中央の白い覆いに包まれているところが本殿の屋根にあたります。

改修後、覆いが取り払われた本殿の破風です。金色の金具が輝いています。

こちらは改修工事が終わりかけた頃の写真で、まだ足場が一部残ったままです。

儀式殿

若宮の東側にある儀式殿の入口です。鶴岡八幡宮の神前結婚式の挙式は、こちら若宮儀式殿か、舞殿にて執り行われます。

ビャクシン

 ビャクシンは、鎌倉期における禅宗の広がりに伴い、禅宗寺院によく植えられるようになったヒノキ科の樹木です。鶴岡八幡宮・若宮拝殿前のビャクシンは、中国(南宋)より鎌倉三代将軍・実朝が苗を取り寄せたものと伝えられており、鎌倉市の天然記念物に指定されています。

祭礼

歳旦祭(1月1日)後の拝礼

1月1日早暁に本宮にて執り行われた歳旦祭の後、宮司を本宮に残し、権宮司以下のご神職は、唯一の摂社・若宮に向い、拝殿前にて拝礼します。所謂「祭礼」ではありませんが、年の初めの大切な仕来りです。

摂末社月次祭(毎月3日)

毎月3日には摂末社の月次祭が執り行われます。唯一の摂社である若宮では、権宮司が祭主を務めます。


月次祭(毎月15日)後の拝礼

毎月15日の本宮における月次祭の後、宮司以下のご神職は、若宮以下の境内摂末社にて拝礼します。

若宮例祭(4月3日)

 若宮例祭は、若宮社殿内で唯一お神楽が執り行われるお祭りで、社格にふさわしく大祭クラスの巫女4名による舞が奉納されます。若宮は、由比若宮からの流れを継ぐ、云わば鶴岡八幡宮の本流に該るお社であり、明治の半ばまでは本宮と同様に神幸祭が執り行われ(社務日誌での記載は明治21年(1888年)が最後)、流鏑馬が奉納されていた記録もあります。神幸祭で担ぎ出されていた若宮の御神輿は四基あり、現在は本宮の回廊に本宮御神輿三基と並んで収められています。

最後までご覧いただきありがとうございました。若宮は、鶴岡八幡宮内での社格が高いだけに、民衆の信仰を集める丸山稲荷や旗上弁財天のように直接の崇敬者が存在せず、神幸祭の歴史も途切れているため、地味な印象は否めませんが、鶴岡八幡宮唯一の摂社として重要なポジションを占めるお社です。