鶴岡八幡宮・六月の祭礼と行事~蛍舞う水無月~

鶴岡八幡宮・六月の祭礼と行事~蛍舞う水無月~

今回は、柳原神池に蛍舞う水無月に鶴岡八幡宮で執り行われる祭礼・行事を、境内を彩る花々と共にご紹介します。梅雨に濡れた樹々の緑も深く、いよいよ夏を迎えようとする6月の鶴岡八幡宮では、例月どおり月首祭、摂末社月次祭、月次祭が執り行われる他、6月7日に「今宮(新宮)例祭」、上旬に「蛍放生祭(ほたるほうじょうさい)」、第2日曜日に「御日供献饌講講社祭」 が斎行されます。また月末の6月30日には上半期の「大祓式」が執り行われ、例年であれば計4回の御奉仕の後、「古神札焼納祭 」斎行の運びとなります。

境内図

鶴岡八幡宮境内図

鶴岡八幡宮・六月の風景

6月になりますと、段葛の桜の葉もぐっと青みを増してきます。

池の上を歩けそうなくらい一面蓮の葉に覆われた源平池ですが、東側の源氏池には桃色の、西側の平家池には白色の蓮の花がぽつぽつと咲き始めます。

この時期、鎌倉文華館の裏手には、ガクアジサイが咲いています。

舞殿には、翌月の「七夕祭」に向けて、早くも七夕飾りがたなびいています。

六月の社頭歴

鶴岡八幡宮の祭礼・行事予定は手水舎脇の社頭歴に掲げられています。

令和元年(2019年)6月の社頭歴

六月の祭礼

日付 祭礼 場所
1日 月首祭 本宮他
3日 摂末社月次祭 若宮他の各摂社末社
7日 新宮(今宮)例祭 新宮(今宮)
上旬 蛍放生祭 舞殿
第2日曜日 御日供献饌講講社祭 本宮
15日 月次祭 本宮
30日 古神札焼納祭 古神札納所前
30日 大祓式 舞殿

新宮(今宮)例祭(7日)

新宮(今宮)は、承久の乱に敗れて佐渡に流された後鳥羽上皇の霊を鎮めるため宝治元年(1247年)に創建されました。現在の御祭神は、後鳥羽上皇・土御門上皇(後鳥羽上皇の第一皇子)・順徳上皇(後鳥羽上皇の第三皇子)の三柱です。

ただ、昨年(2019年)10月12日の台風19号により、向かって右後方の木が倒れたため社殿の屋根が壊れてしまい、現在のところ御祭神の三柱は本宮に一時的に御動座中です。

そのため、本年(2020年)の新宮(今宮)例祭は、本宮西側の宇佐八幡宮遥拝所にて斎行されました。祭主は、今宮に御奉仕の禰宜がお務めになり、鶴岡八幡宮宮司・権宮司も参列なさいました。ちなみに例祭が斎行される6月7日は、今宮が創建された4月25日を新暦に引き直したものです。

蛍放生祭(7月上旬)

鶴岡八幡宮の例大祭は、源頼朝が奥州合戦の戦死者を悼んで千羽の鶴を放ったと伝わる文治三年(1187年)8月15日の「放生会」に遡るとされており、鶴岡八幡宮において「放生」という言葉には特別な重みがあります。豊かな四季と生命の尊さを思い、そのなかで生きることを神々に感謝するというその心は、明治の神仏分離令以降も「蛍放生祭(ほたるほうじょうさい)」として受け継がれて来ました。

この時期、境内ではホタルブクロも見ることができます。

提灯に先導されて、御神職の列は、舞殿に進みます。

舞殿では、宮司を祭主として祭事が進み、巫女二名による御神楽も奉納されます。蛍を入れた虫籠も見て取れます。

舞殿での神事を終え、御神職の列は柳原神池に進み、千匹の蛍が放たれます。例年ですと蛍放生祭の後1週間ほどは毎夜「ほたるまつり」が催され、柳原神池にて蛍の舞を鑑賞できます。

大祓式(30日)

鶴岡八幡宮では、年二回(6月末日と大晦日)「大祓式(おおはらえしき)」が執り行われ、参列者の罪穢(つみけがれ)を祓い清めます。

例年の「大祓式」では4回の御奉仕があり、参列者は御神職にあわせて「大祓詞(おおはらいことば)」を唱え、続いて小さく刻んだ麻と正方形に小さく切った紙片「切麻(きりくさ)」を身に振りかけます。さらに、紙を人の形に切り抜いた「形代(かたしろ)」に息を吹きかけ身体を撫でたものを、神職が集めて、櫃に納めます。

形代を収めた唐櫃を担いだ御神職の列が「茅の輪」を潜り、さらに参拝者の皆さんも御神職に先導されて「茅の輪」を潜ります。

舞殿脇での直会では、お神酒を頂戴します。

参列者には、このような小さな茅の輪が授与されます。

コロナの影響で、 今年(2020年)の大祓式の御奉仕は、夕刻の総奉仕一回となりましたが、その代わりに大石段下に自祓所が設けられ、自分で御祓をして形代を納めることができるようになりました。

古神札焼納祭(30日)

大祓式の最後の御奉仕を終えたあと、古神札納所前にて「古神札焼納祭」が斎行されます。一連の神事を終え、最後に井桁に組まれた枠にまとめられた古神札に祭主が点火します。

 最後までご覧いただきありがとうございました。
 今日、他の地域と同様に鎌倉近辺の多くの祭礼・行事の運営にも「コロナ」は大きな影を落としています。
 住民の総サラリーマン化により地域社会の解体が進み経済的基盤を失いつつあった鎌倉近辺の寺社は、鎌倉開府以来連綿と受け継がれてきたその有形無形を守るべく「観光」に活路を見出すことで国際的な成功を収めて参りましたが、思いもよらぬ事態に翻弄され、ここに来て悲しい現実に直面しています。
 明治以降グローバリゼーションの罠に絡めとられ、神仏相調和する日本独特の信仰の有り様が失われ行くと共に、日本民族のアイデンティティも溶け去りつつあります。こうした危機の渦中に生きる我々にこそ、日本民族統合のせめてもの証として、こうした由緒ある祭礼・行事を、後世に守り伝える責務があるように思います。