段葛(だんかずら)◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その6)◆
- 2019.04.01
- 境内散歩
鎌倉の段葛(だんかずら)は、二の鳥居から三の鳥居にかけての450m強の区間、若宮大路の中央部分に一段高く盛り上げられた参道のことを云います。両脇が石積みになっていることから別名「置石(おきいし)」とも呼ばれ、もともと源頼朝が夫人の政子の出産の無事を祈願して構築したものと云われます。当初は由比ヶ浜の大鳥居から三の鳥居まで続く長大なものでしたが、次第に短くなり、現在は二の鳥居からとなりました。
なお鶴岡八幡宮のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
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段葛の現在
平成26年の大改修を終えた現在の段葛の地図を作ってみました。実際の段葛は、鶴岡八幡宮に近づくほど道幅がせまくなっておいます。また両側面の石垣は東側より西側の方が数十cm高くなっています。
二の鳥居付近
現在の段葛は、二の鳥居をくぐったところからスタートします。 二の鳥居の手前には、阿形・吽形の狛犬があります。現在の狛犬はコンクリート製ですが、第二次大戦前は青銅製だったそうです。、西柱の裏には、旧鎌倉町青年会による段葛の石碑が建っています。
段葛の入口の両脇には大燈籠が建っており、東側が「鎌倉市観光協会」、西側が「鎌倉商工会議所」の奉納となっています。
段葛の歩道
昔は雨が降るとぬかるんでしまうところもありましたが、平成の大改修で歩道はきれいに舗装され、両脇の桜(ソメイヨシノ)と躑躅も植え替えられました。桜の根元にはライトアップ用の照明が設置されています。
特別な日には、中央に国旗掲揚のためのポールが立ち並びます。また年末年始などでは、花入のポッドが付けられます。
歩道の両脇には、石灯籠が並びます。個人が奉納なさっているものの中には、テレビでもおなじみの漫画家・蛭子能収さんご夫妻の燈籠もありました。
段葛の両脇にお店を出している場合は、店の前に据えつけられることが多いようです。こちらは酒屋の清水屋さん。
前回昭和36年から37年にかけての大改修の際に設置された燈籠については、同じ銘を刻んで新調されています。例えば現・東日本銀行の燈籠は、当時の「常磐相互銀行」のままです。
ところどころ段葛から左右の車道に降りることのできる階段がついており、足もとを照らす小さなLEDの燈籠が真ん中に立っています。
清川病院前の横断歩道脇には、自動車の幅にあわせたスロープ付きの広い通路が横切っています。昔は、この場所で段葛が途切れ、自動車でUターンできたのですが、現在は進入できません。
三の鳥居付近
三の鳥居前の横断歩道に面したところには、大ぶりな石灯籠が左右に据えられています。 東側が鳩サブレの「豊島屋」、西側が懐石料理の「御代川」の奉納となっています。
季節毎の段葛
正月
桜の頃
春
夏
秋
冬
昔の段葛
江戸期
享保期に描かれた鶴岡八幡宮の境内図中の段葛の部分を拡大してみました。頼朝が構築した当初は一の鳥居まで続いていたそうですが、この絵では下馬四ツ角のところで途切れているように見えます。
幕末にベアトが撮影した一の鳥居の写真では、土塁が
一の鳥居の真下まで来ています。
明治期
今のように、きちんと石垣が組み上げられている訳ではなく、一見土塁のようにしか見えません。街路樹も梅又は松であったそうです。横須賀線の建設に伴い二の鳥居以南の段葛は撤去されました。
大正期
大正6年の改修工事を終え、ソメイヨシノが植えられ た後の段葛の様子です。 なお、この場所は当時「養生院」と呼ばれていた現在の清川病院前ですが、この頃には既に段葛を横切る通路が設けられています。
昭和期
平成の大改修前・昭和期の段葛の春です。桜の枝が伸び今より緑豊かな印象ですね。通路は舗装されていませんでした。
最後までご覧いただきありがとうございました。平成の大改修で風情が失われたという声も聞きますが、段葛は、長い歴史の中で幾度も繰り返し改修されることにより維持・発展してきたという側面も見落としてはいけないと思います。現に桜が植えられたのもここ100年ほどのことですし、かつては石垣も今ほど立派なものではありませんでした。
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