寿福寺~梅かまくら寺社特別参拝(2019年)~

寿福寺~梅かまくら寺社特別参拝(2019年)~

鎌倉十三仏詣実行委員会」が例年企画する「梅かまくら寺社特別参拝」の第一弾「寿福寺」に行って参りました。
2019年2月4日(月)〜3月19日(火)の、ちょうど梅も見頃の間、鎌倉市内二十四のお寺の中からお好みのお寺を選んで参拝し、普段立入れない場所をご案内いただいたり、法話をお聞きしたり、座禅のご指導を受けたりできるとても魅力的な企画です 。お寺によって事前に往復はがきで申し込む必要のある所、当日受付の先着順、応募不要の自由参拝と、様々なパターンがあり、定員も原則30名程度ですが各々扱いが異なりますので、確認は必要です。なお、お布施はお寺毎に1000円となっています。

なお寿福寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒寿福寺へ

境内の様子

この日は、空気の澄んだとても清々しい午後でした。こちらは赤く塗られた山門です。横に脇門もあります。

山門
脇門
寺銘碑

山門をくぐると「桂敷き」の石畳が中門まで一直線に伸びています。 「桂敷き」は、 大きな石で両脇を固め、真ん中を小振りな石で埋めていく技法で、桂離宮の一部で使われていることから、その名が付きました。桂離宮では、両脇の石に自然石に少し手を入れたものを利用しているのに対し、寿福寺では、切り出した長方形の石を用いている分、幾何学的でどこかモダンな印象を受けます。もっとも桂離宮には、非対称の四角形の石だけを組み合わせた純幾何学的 な石畳もありますので、寿福寺では両方のデザインを折衷的に使用したものとも云えます。

中門は、こんな感じです。特別参拝で入ることになるご本堂(仏殿)が、正面に見えます。

中門に向かって右手には、紅梅が咲き始めています。

鐘楼を背にして、白梅も咲いています。

庫裡の横の庭園の梅は、こんな感じ。

中門越しに、仏殿を撮影すると向かって右脇の軒下にも白梅が咲いていました。

特別参拝の受付

特別参拝の受付は、中門の前で行われました。こんな感じです。

参拝者には、このような参加者証が渡されます(最後に回収)。

寿福寺ご本堂・仏殿の内部

30名程が連なって、仏殿にご案内いただきますが、中門より先に入ったことがない私としては、ただただ感激です。仏殿の中の配置を、ひとまず図にしてみましたので、以下の話のご参考にしてください。

寿福寺ご本堂(仏殿)内部配置図

仏殿に入ると一番目立つのは、4mほどもある阿形(右)・吽形(左)の仁王像です。これは、明治の神仏分離令により鶴岡八幡宮寺が廃寺となった際に、鶴岡八幡宮寺の仁王門から遷座したものです。このような大伽藍サイズの仁王様をお寺のご本堂内で拝するというのは、ちょっと無いシチュエーションで、驚きと同時に、ある意味感動的でした。

「寿福寺・仏殿・仁王像(元・鶴岡八幡宮寺・仁王門内)」(「日本の塔婆」サイトにリンク)→実際とは左右逆になっています。

正面には「天下古刹」の垂幕があり、「興禅閣」の扁額が掲げられています。今は廃寺となった興禅寺というお寺が、寿福寺の南側にありましたので、何か関係があるかも知れません。扁額の下には、御本尊の「釈迦三尊像」が鎮座します。中央に「宝冠釈迦如来坐像」向かって左に「普賢菩薩坐像 」、右に「文殊菩薩坐像 」と型どおりの配置で、何れも神奈川県の指定文化財となっています。「宝冠釈迦如来坐像 」は「脱活乾漆造」の立派な丈六サイズの坐像ですが、現状では宝冠を被っていらっしゃいません。


「寿福寺・仏殿・釈迦三尊」 (「Wikipedia」にリンク)

また「普賢菩薩坐像」の手前には中国の臨済宗・開祖 「臨済義玄」と伝わる坐像が、「文殊菩薩坐像」の手前には禅宗の開祖「達磨大師坐像」(神奈川県の指定文化財)が安置されています。


「達磨大師像」(「鎌倉の文化財」より)

ご本堂の向かって右側に目を向けると、釈迦三尊像の右側に「源実朝像」があり、右側の壁の奥には三体の「伽藍神像 」がならんでいます。壁に沿ってその手前には厨子があり、中に鎌倉三十三観音霊場二十四番札所本尊の「十一面観音菩薩像」がいらっしゃいます。他に弘法大師像と釈迦如来像も安置されているとのお話ですが、小さいとのことで目視でよく確認できませんでした。

「伽藍神像」のうち「大権修利菩薩(だいけんしゅりぼさつ)」(「鎌倉の文化財」より)

「伽藍神像」のうち「張大帝(ちょうたいてい)」 (「鎌倉の文化財」より)

最後に、 ご本堂の向かって左側ですが、釈迦三尊像の左側に「法雨塔」という扁額が掲げられています(由来については解りません)。その下に「乙護童子像」と、鎌倉市の指定文化財である「栄西禅師坐像」があります。なお「乙護童子」は蘭渓道隆の付き人で、白蛇と化した伝説があります。

◆乙護童子伝説
蘭渓道隆が来日し最初に大船・常楽寺に住していた頃、道隆を尊崇する(愛する?)江ノ島弁財天は、道隆の給仕を勤める乙護童子に嫉妬し、その法力で童子が他の人には美女に見えるようにしてしまいました。童子本人は、それとは気付かず、変わることなく道隆に仕えていたのですが、他の人から見ると出家の身でありながら道隆が美女を侍らせているようにしか見えず、悪いうわさが立ってしまいました。これを知った童子は、道隆と童子自身の潔白を示すため、白蛇に変身し、常楽寺の仏殿前に今も残る銀杏の大木を七まわり半めぐり、同じく常楽寺の庭園にある「色天無熱池」を尾で叩いたとのことです。

ちなみに寿福寺にはもう一体「栄西禅師坐像」があり、 こちらは神奈川県の指定文化財となっており現在は鎌倉国宝館に寄託中です。

明庵栄西坐像・神奈川県指定文化財(鎌倉市ホームページにリンク)

左側の壁に沿っては、伝「智覚禅師坐像」と、伝「仏智禅師坐像」が安置されています。まず、智覚禅師との諡号を持つ著名な禅僧は二名おり、一人は中国・五代の頃の名僧「永明延寿」で、もう一人は建長寺で蘭渓道隆に師事し円応寺を開山した「桑田道海(そうでんどうかい)」ですが、おそらくこの像は後者の「桑田道海」と思われます。また、仏智禅師とは、京都・東福寺第五世の「山叟慧雲(さんそうえうん)」のことと思われます。

最後までご覧いただきありがとうございました。「梅かまくら寺社特別参拝」 には初めて参加したのですが、ちょっとしたVIP扱いで、普段は入ることのできない仏殿内を拝観できて最高でした。実は、他にも幾つかのお寺の 「梅かまくら寺社特別参拝」 に参加させていただく予定ですので、また記事にしたいと思います。

ギャラリー

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