藤白神社(藤代王子社)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第十二回)五体王子巡礼~子守楠神社・有間皇子~

藤白神社(藤代王子社)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第十二回)五体王子巡礼~子守楠神社・有間皇子~

和歌山県海南市藤白にある藤白神社は、古くは「藤代王子社」と呼ばれ、熊野九十九王子社の中でも格式の高い「五体王子社」の一つとされています。
紀州路を辿る熊野詣の玄関口「熊野一の鳥居」に隣接することから、歴代上皇法皇の140回にも及ぶ熊野御幸では必ずこちらに宿泊され、熊野三山に直接参拝することが難しい女性皇族・貴族のための熊野三所大権現遥拝所としても知られて来ました。
主祭神は、櫛玉饒速日命で、熊野坐大神・熊野速玉大神・熊野夫須美大神の熊野三神、古来よりの御祭神・天照大神、および一つ手前にかつて存在した祓戸王子社の御祭神・祓戸大神が、配祀神とされています。また、すぐ近くには中大兄皇子との政争に敗れた有間皇子が絞首刑となった藤白坂があり、境内には有間皇子神社が祀られています。
代々藤白神社の神官を務めた鈴木氏(藤白鈴木氏)は、熊野八庄司の一角を占め「鈴木庄司」を称すると共に、熊野三党の一つとして熊野地方に大きな勢力を有していました。また、藤白鈴木氏は鈴木姓のルーツとしても知られており、藤白鈴木氏宗家の鈴木重家とその弟の亀井重清は、源平合戦の折に源義経の家臣として功を挙げ、その分流の鈴木孫一(雑賀鈴木氏)なども、戦国期に鉄砲傭兵として本願寺攻防戦で活躍しました。
境内には楠の大木が複数本あり「藤白神社クスノキ群」として市指定の天然記念物となっています。

境内図

紀伊名所図会

こちらは、19世紀前半に描かれた「紀伊名所図会」より藤白若一王子社の図を抜粋したものです。本殿、割拝殿、権現堂(名所図会では観音堂)、聖皇三代重石の配置は、今と変わっておりません。

参道石段

JR海南駅から続く道を、紀勢線の高架下を潜ってカーブしたところに、藤白神社参道の石段があります。

こちらの線路は、JR紀勢線です。

一の鳥居

石段上の一の鳥居は、石造の明神鳥居で、寛永二十一年(1644年)に建てられたものです。

二の鳥居

二の鳥居は、木造の明神鳥居です。

手水舎

水の張られていない水盤には「萬物潤」と刻まれていました。

芭蕉翁藤塚

松尾芭蕉に「藤の実は俳諧にせん花の跡」という句があり、その前書に「彼の藤白み坂といひけん花は宗祇のむかしに匂ひて」とあることから、芭蕉を尊敬する二夕坊という方が立てたものです。もともとは祓戸王子社内にあったそうですが、明治期の合祀の際にこちらに移されました。なお芭蕉自身が藤白まで足を延ばした記録はないそうです。

聖皇三代重石(せいこうさんだいのしげいし)

幹回りが9m弱あるこちらの大楠の根元の石塔は、宇多天皇、花山法皇、白河天皇が熊野行幸の記念として建てた聖皇三代重石(せいこうさんだいのしげいし)です。現在は二基を残すのみとなりました(元禄期には二基となっていたようです)。

右下隅に切れて映っている石碑は「御歌塚」の碑で、後鳥羽院が熊野御幸の折に御製を納めた場所とされています。

後鳥羽院歌碑

建仁元年(1201年)に後鳥羽法皇が御幸の折、この地で和歌の会を催された際の御製二首を、国宝となっている「熊野懐紙」の御宸翰そのままに刻んだものです。
<深山紅葉>
鳥羽玉(うばたま)の 夜の錦を 竜田姫(たつたひめ) たれ三山木(みやまぎ)も ひとり染剣 (そめけむ ) 
<海辺冬月>
浦寒く 八十島(やそじま)かけて よる浪を 吹上の月に 秋風ぞ吹く

紫の水(宮水)

境内の西側を流れる紫川は、紫に輝く石があったことからそのように名付けられたそうですが、こちらの井戸の湧水は「紫の水」と呼ばれ日本酒の醸造用に使われていました。

割拝殿

こちらの拝殿は木造瓦葺入母屋造で、熊野地方でよくみられるように拝殿を割るようにその中央を参道が通る「割拝殿」の形式を取っています。明治11年(1878年)の暴風雨で損壊した後に再建されたものです。向かって右手が御朱印所となっています。

藤白の獅子舞(県指定無形民俗芸能)

藤白の獅子舞は、建仁元年(1201年)の後鳥羽上皇の熊野御幸に際して演じられたのが始まりで、「穴獅子(あなじし) 」 とも呼ばれます。春の陽気に眠り込んでいだ獅子の前に猿田彦が現れたところ、目を覚ました獅子が猿田彦命の持つ巻物を取ろうとして剣で振り払われるという筋書きです。

本殿

木造三間社流造銅板葺のご本殿は、寛文三年(1663年)に紀州藩主・徳川頼宣公の命により再建(大工・中村新平)されたもので、県の指定有形文化財となっています。
先に述べたように、現在の御祭神は、主祭神・櫛玉饒速日命と、配祀神の熊野坐大神・熊野速玉大神・熊野夫須美大神・天照大神・祓戸大神の6柱ですが、このようになったのは後世のことで、景行天皇の五年(西暦75年)に創建されて以来、長らく主祭神は天照大神、配祀神は速玉男命、玉依姫命他二神の5柱でした。
現在の御祭神が祀られた経緯は、以下の通り。
<櫛玉饒速日命>
神主の鈴木氏の祖先とされる神様で、久安六年(1150年)に藤白鈴木氏が熊野より移り住んだ際にお連れしました。
<熊野坐大神・熊野速玉大神・熊野夫須美大神>
天平神護元年(765年)の孝謙天皇・玉津島行幸の折に勧請しました。
<天照大神>
創建時の主祭神です。
<祓戸大神>
明治四十二年(1909年)に祓戸王子社を合祀した際に遷座しました。

権現堂

木造瓦葺入母屋造の権現堂に安置される「熊野三所権現本地仏(熊野本宮の阿弥陀如来・熊野速玉の薬師如来・熊野那智山の千手観音菩薩・藤白王子の十一面観音菩薩)」は、明治の廃仏毀釈以降、熊野路に唯一残る本地仏として県文化財に指定されています。これらの仏像は豊臣秀吉の紀州攻めの難を逃れるため、神宮寺であった中道寺に避難していた時期もあったそうです。

「熊野三所権現本地仏」神仏霊場会サイトにリンク

有間皇子神社

大化の改新後の政変の中、藤白坂で処刑された有間皇子をお祀りする神社で、毎年11月11日に例祭が執り行われます。

有間皇子追悼歌碑

こちらの有間皇子追悼歌碑は、帝展・文展にも入選した海南市出身の画家・雑賀紀光氏の筆です。刻まれた歌は、持統・文武天皇が大宝元年(701年)に牟婁温泉に御幸の折、藤白を通った際に、従者の一人が有間皇子を悼んで詠んだもので「藤白の み坂を越ゆと 白妙の わが衣手は ぬれにけるかも」とありまう。

儀式殿

こちらの儀式殿は、木造瓦葺・入母屋造の平屋です。

子守楠神社

子守楠神社は、背後の楠をご神体とし、子授け・安産・子どもの神様として広く知られる神社で、子供を授かると、こちらにお参りして名前を付けていただきますが、その名前には必ず「藤」「楠」「熊」のうち一字が含まれるというしきたりですので、神社の周囲には、この三文字を含んだお名前の方が非常に多いそうです。19世紀に欧米で活躍した博物学者の南方熊楠も、この子守楠神社で名前を頂きました。しかも「熊」と「楠」の二文字が使用されています。

恵比須神社

恵比須神社は、かつては名高字蓬莱丁にありましたが、明治の神社合祀令により、こちらに遷座されました。正月10日には十日戎祭りがあります。

巳神社

家、水、医薬、呪術の神様とされる巳神社です。向かって左手前に、かつては藤白浜の御旅所にあった円座石(わろうだいし、別名:亀石)が置かれています。名高の海から引き揚げられたものと伝わっています。

末社

こちらの社殿には、4柱の神様と、神馬像が祀られています。

塩竃神社

塩竃神社は、漁業、安産、製塩の神様です。

住吉神社

住吉神社は、海上安全、縁結び、子授けの神様です。

秋葉神社

秋葉神社は、防災、特に火災避けの神様です。

神馬

祇園神社

祇園神社は、七夕祭りと疫病除けの神様です。

大公孫樹(おおいちょう)

熊野路三大名公孫樹(いちょう)のひとつとされる公孫樹の大木です。しめ縄が巡らされ御神木となっています。

東鳥居

旧祓戸王子社方面より見た東鳥居です。京都から熊野三山を目指す巡礼者を受け入れる入口となっています。

藤白皇太神社碑

東鳥居脇にある「藤代皇太神社碑」は、もともと、小栗街道(熊野古道)を少し東に戻ったところにあった「熊野一の鳥居」付近から移してきたもので、向かって右端の一行に「三くま野第一の鳥居」、中央に「藤白皇太神社」、左端の一行に「自是(これより)熊野( 𡌛 )路のはじめ」 とあります。「熊野一の鳥居」は、天文十八年(1549年)に失われました。

鈴木屋敷

平成5年(2023年)に整備された鈴木屋敷の主・鈴木氏は、地元の豪族で、江戸初期・元和の頃に吉田氏にその職を譲るまで、長く藤白神社の神主を務めていました。地元では特別な場所とされており、徳川家から奉納された血脈大黒天(子授け大黒天)を所蔵する他、「この庭を踏むと脚気が治る」「雨戸を閉めなくても盗賊が入らず、入っても芦が動かなくなる」といった伝説もあります。
池泉回遊式庭園内に修復された「曲水泉」は、かつては曲がりくねった水路に沿って石を並べて人々がそこに座り、上流から流れてくる盃が自分の前にくるまでに歌を詠むための施設でした。現在残っている庭石のほとんどは、紀州産の青石だそうです。

紫川

コンクリートで固められたこちらの水路が、本居宣長の「玉勝間」で紹介されている紫川です。

祭礼と行事

1月1日 歳旦祭
1月10日 十日戎祭
旧暦初午の日 初午祭
3月上旬 馬角神事(「潮まつり」内行事)
4月5日 春祭
7月7日 七夕祭
7月下旬 夏祭
10月第二日曜日 例祭(秋祭)
11月11日 有間皇子まつり

アクセス

住所 〒642-0034 和歌山県海南市藤白448
電話 Tel:073-482-1123 Fax:073-482-1200
URL https://fujishiro-jinja.net/

最後までご覧いただきありがとうございました。いつの間にか熊野三山遠征記も12回を迎えました・・・でもまだまだ続きます。