峰山・金刀比羅神社~狛猫(こまねこ)◆丹後国古社寺巡り(第1回)◆

峰山・金刀比羅神社~狛猫(こまねこ)◆丹後国古社寺巡り(第1回)◆

 今年の元旦は湘南地区を離れ、縁あって京都府北部・京丹後市で過ごさせていただきました。京丹後市のある旧丹後国は大陸との交通の表玄関として古代には大変栄えた地域で、奥丹後三郡(熊野郡・竹野郡・中郡)を市域とする京丹後市にも数多の古社が鎮まり、山裾に貼りつくように建つ古びた小さなお社が、あたりまえのように延喜式神明帳にも記された「式内社」だったりします。
 訪れる都度撮影した写真や資料のファイルもいつの間にか分厚くなって参りましたので、神代にまで遡る歴史を秘めた丹後国の古社群を「丹後国古社寺巡り」のカテゴリに整理して、機会ある毎にアップしようと思います。第1回目の今回は、京丹後市の中心・旧峰山町の金刀比羅神社をご紹介致します。

峰山・金刀比羅神社について

 金刀比羅神社の鎮まる旧峰山町は、江戸期にこの付近を治めていた峰山藩(京極氏・一万三千石)の陣屋があったところで、明治以降も丹後ちりめんの産地として繁栄を極め、奥丹後の中心として栄えて参りました。丹後ちりめんの始祖とされる森田治郎兵衛もこの地の出身です。峰山藩の初代藩主の京極高通は、丹後国主の京極高知の婿養子で、高通の遺領のうち峰山・1万石を相続し、陣屋を構えました。
 7代藩主・高備( たかまさ)の代になって、藩祖が兄弟である丸亀藩及び、その支藩で讃岐・金刀比羅宮(当時は象頭山松尾寺金光院)を領内に抱える多度津藩のあっせんにより、御分霊を勧請し、文化八年(1811年)現在と同じ峰山・町泉に「金毘羅権現社( こんぴらごんげんしゃ)」として創建されました。その後、明治の神仏分離令により、仏教色の強い「権現」の名を外し社号を「金刀比羅神社」と改め、大正期には丹後で六社ある「府社」の一社に列せられています。

境内図

 現在の境内図は、以下の通りです。神門前から本殿に続く百二十段の石段ですが、明治44年(1911年)のご鎮座100年祭を記念して設けられた当時は百八十段もあり、讃岐・金刀比羅宮ほどではないにしても、いかにも「こんぴらさん」らしい体裁が整えられました。

 こちらは、全盛期の明治期の境内図で、一見したところ現在と大きくは変わらないように見えますが、昭和2年(1927年)の北丹後地震により、当初の建物は、本殿を含む社殿すべてが、倒壊するという大被害を受けました。
 しかし幸いなことに、丹後ちりめんの大成功による地元峰山の旺盛な経済力に支えられ、昭和5年(1930年)には本殿・拝殿・社務所が、昭和8年(1933年)までにはその他の摂社が全て再建されています。ただ、現在の本殿の裏手に築地を巡らしていた八坂社・佐々木社の社殿が、木島社の向かい側正面の事務所跡地に移転したため、旧地には建物がなくなっております。
 また、雪の多い時期の参拝のため設えられていた拝殿前に長く伸びた回廊も今はありません。現在の石橋の下に昔は川が流れており、今の亀の池は、その名残です。石の鳥居の前にある燈籠は、現在は立派な石灯籠となっていますが、当時は唐金でできていました。

祭礼絵図

 こちらは、明治23年(1890年)の鎮座八十年祭の神輿山車屋台総巡行の様子が描かれた「祭礼絵図」 で、京都府の暫定登録文化財に指定されています。

峰山・金刀比羅神社祭礼絵図

大鳥居

文政六年(1823年 )に建てられた石の鳥居で、五箇村・定治郎、佐野村・吉兵衛、鱒留村・松助及び東助と石工・四人の名が残されています。中でも
鱒留村・(長谷川)松助は、境内・木島社の狛猫や京都府下最大の立仏像である京丹後市大宮の平地地蔵も制作しており、丹後一の名石工として知られています。

 こちらは、昭和2年(1927年)の北丹後地震前の旧・鳥居の写真です。扁額は、現在のものと同じようです。

こちらが大鳥居前の社号碑です。

参道

鳥居から大石段下まで、石畳が一直線に伸びています。

 石橋の両脇に見えるのが「亀の池」です。たくさんの亀が石の上に折り重なって、ちょっと窮屈そうです。

手水舎

 亀の池を過ぎた左手に手水舎があります。鋳鉄製のどっしりとした手水鉢の底には白い石が敷き詰められており、分厚い縁からは透きとおった水が溢れていました。

儀式殿・斎館・社務所

 こちらが参道左手にある儀式殿で、斎館や社務所とも一体となっています。下の写真はお正月の儀式殿正面です。

こちらは、普段の儀式殿正面です。人力車が置かれています。

山屋台蔵・神輿蔵

 参道の右手、駐車場を挟んだ向こう側、向かって左手が山屋台蔵、右手が神輿蔵です。

山屋台蔵
神輿蔵

大石段・神門

 こちらの大石段から登り始め、本殿に至るまで120段の石段があるそうです。なお、明治44年(1911年 )に執り行われた鎮守百年祭の時点では180段あったそうです。

 こちらは、朱色が鮮やかな「神門」で「まるこん」の提灯が掲げられていますが、北丹後地震で倒壊した「随神門(随身門)」では、ちょうどこの位置に「随身像」が安置されていました。

 なお金刀比羅神社では、香川県の金刀比羅宮の「まるこん」である「金」の古字体「 𨤾 」を憚り、常用漢字の「金」の字が使用されています。香川県の金刀比羅宮が社紋として「まるこん」 を使用し始めたのは、意外に新しく江戸後期だとされています。それまでは天狗の「羽団扇」がよく使われていたそうです。

金刀比羅宮のまるこん


北丹後地震前の旧「随神門」(金刀比羅神社サイトにリンク)

稲荷社

神門を入るとすぐ左手に石段があり、登り切った正面に稲荷社があります。

稲荷社には、五穀豊穣、商売繁盛の女神・倉稲魂命(うかのみたまのみこと)が祀られています。文久三年(1863年)十一代藩主・京極高富の代に三河国・豊川稲荷(圓福山妙嚴寺)から稲荷蛇吉尼天を勧請し、権現山(吉原山)山腹にある旧吉原山城三の丸の慈眼堂に祀られたのが始まりとされ、明治十六年(1883年)に現在の場所に遷座されました。

木島社

さらに階段を上り石の鳥居を潜ります。

 鳥居を潜った左手に二社一殿のお社があります。向かって左側が木島社で、機織養蚕の神様として知られる保食命(うけもちのかみ)が祀られています。創建は文政十三年(1830年)で、京都・太秦の木嶋坐天照御魂神社(「蚕ノ社」でよく知られています)境内摂社の「蚕養神社(こがいじんじゃ)」から養蚕の神を勧請したものです。

 石畳の両脇には「狛犬」ならぬ「狛猫」が置かれています。丹後ちりめんの発祥の地として機織養蚕業が盛んな峰山ですから、繭や蚕を食い荒らす天敵のネズミを退治してくれる猫にあやかったもので、全国的にもここでしか見られない珍しいものです(京丹後市指定文化財に指定)。
 向って左側の阿形の猫は天保三年(1832年) 九月に、江州外村氏(東近江出身で京都室町にある繊維商社のオーナー一族)により奉献されました。 石工は鱒留村長谷川松助(大鳥居の建造にも携わっていらっしゃいます)、世話人は上河金七・吉田八郎助・小室利七(山家屋・岩滝のちりめん問屋)となっています。

 向って右側の吽形の猫は、「当所絲屋中(地元・峰山の糸屋の業界団体)」により弘化三年(1846年)に奉納され、一対の狛猫が揃いました。

猿田彦社

 木島社と同殿向かって右側には猿田彦命が祀られています。こちらはご存じの通り、導きの神、交通の守護神として知られています。

八坂社・佐々木社

 向って左側が八坂社で、疫病災害除けの守護神である素戔嗚命が祀られています。明治の神仏分離令以前は、おそらく祇園社として牛頭天王(素戔嗚命と習合)が祀られていたのでしょう。
 向かって右側は佐々木社です。金刀比羅神社を勧請した京極氏の源流・宇田源氏の祖神である定省命(さだみのみこと)=宇多天皇をお祀りしています。
 佐々木神社はもともと元禄十六年(1701年)に四代藩主京極高之の時代に、先祖の廟を藩邸の表門の前に祀ったのが始まりとされ。明治9年(1876年)に金刀比羅神社境内に移されました。 その当時、八坂社と佐々木社は、現在と同様に二社一殿の様式で、現在の本殿の裏手にかなり広い社地をもって祀られていましたが、北丹後地震の被害を受け、現在の地に再建されました。

拝殿・本殿

 木島神社前からさらに石段を登り切りますと、石畳の先に立派な建物が見えます。こちらが金刀比羅神社拝殿です。
 本殿のご祭神は「大物主大神(おおものぬしのおおかみ)」です。「大物主大神」は「大国主命(=大己貴神)」の和魂(にぎたま)であり、国津神の代表格とされています。江戸期にはインドビハール州の霊鷲山から讃岐国・象頭山に降り立った金毘羅(クンビーラ)神・金毘羅大権現をお祀りしていましたが、仏教色が強かったことから明治の神仏分離令にあたり総本宮の香川県・金刀比羅宮に倣い、「大物主大神」にご祭神を改めました。
 なお、讃岐国・象頭山には、もともと大物主命をお祀りした琴平神社があって、後にインド伝来の金毘羅(クンビーラ)と習合したとの説もありますが、「象頭山」という地名自体がお釈迦様由来のインドの地名で、「琴平」も「クンビーラ」の当て字でしかなく、廃仏毀釈に際しての牽強付会的解釈のような気がします。

雪の多い地域なので、冬場はこのように雪囲いがされています。

 北丹後地震にて倒壊するまでは、拝殿前の石畳には、長い回廊が設けられていました。


北丹後地震前の旧拝殿・回廊(金刀比羅神社サイトにリンク)

秋葉社

 大石段を上った右手に鎮座するのが、火防の守護神・迦具土命(かぐつちのみこと)をお祀りする秋葉社で文化八年(1813年)に勧請されたようです。火災の難を避けるべく、境内末社として秋葉社をお祀りする神社は数多くあります。

粟島社

神門に向かう正面大石段に向って左手の石段を登ったところにある粟島社には、医薬の祖神で女人の守護神でもある少彦名命(すくなひこなのみこと)が祀られています。
 少彦名命は、天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗ってあらわれて、大物主大神と義兄弟の契りを結んで国造りを援けたとされており、金刀比羅宮系の神社では、大物主大神の配神とされることが多い神様です。
 古い札や人形を粟島社に納めると、7月29日の川裾祭(水無月祭)の夏越祓で、祓い清めていただけます。
 両脇の狛犬は、大鳥居や狛猫の製作にも携わった名工・長谷川松助の手によるものです。
 なお「粟島」の名は、少彦名命が粟の穂にはじかれて常世国へ渡っていった場所とされる鳥取県米子市彦名町の粟島神社がルーツとなります。

年中行事

2月節分 節分祭
4月9・10日 春季大祭
7月9・10日 夏季大祭
7月29日 水無月祭(夏越祓)
10月10日 例祭(神輿渡御祭は第2日曜)
11月23日 新嘗祭・紅葉祭
毎月1・10日 月次祭

アクセス

住所 〒627-0034 京都府京丹後市峰山町泉1165-2
電話・FAX Tel:0772-62-0225 Fax:0772-62-5993
URL https://konpirasan.com/

【公共交通機関】
・丹後鉄道 「 峰 山 駅 」 より 800m
 ・丹海バス「 金刀比羅神社前 」(峰山線・丹後峰山線)すぐ。
【車】
 ・山陰近畿自動車道 (京都縦貫道)「京丹後大宮IC」より 15分
 ・舞鶴若狭自動車道 「 福 知 山 I C 」 より 50分

最後まで、ご覧いただきありがとうございました。今年もよろしくお願いいたします。