鎌倉・円覚寺◆境内散歩(その4)◆洪鐘・弁天堂

鎌倉・円覚寺◆境内散歩(その4)◆洪鐘・弁天堂

円覚寺境内のセンターラインから東にそれた高台に国宝の「洪鐘(おおがね)」と弁天堂があります。 「おおがね」と呼ばれる梵鐘は、1301年(正安3年)に執権・北条貞時が鋳物師・物部国光に命じて鋳造した鎌倉最大(高さ約2.6m)の梵鐘で、円覚寺六世・西澗子曇(せいかんすどん)の銘「皇帝萬歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安」が入っています。また、この洪鐘は北条貞時が見た江ノ島弁財天の夢のお告げに従い円覚寺正統院裏にある「宿龍池」より引き上げられた龍頭形の金銅塊を鋳造したものと云われています。なお鐘楼の隣の弁天堂は、この霊験を目の当たりにした貞時が「江ノ島弁財天」を「洪鐘大弁才功徳尊天」と尊称し、円覚寺の鎮守としてお祀りするために建立したものです。

◆西澗子曇
後に大通禅師と諡された西澗子曇(せいかんすどん)は、南宋より来日し北条時宗が師の一人と仰ぐほどの禅匠でしたが、一旦中国に戻り潭州天柱寺の住持となりました。弘安の役の後、元の成宗の命により一山一寧と共に再来日して円覚寺六世・建長寺十一世を務め、その法統は大通派と呼ばれました。

洪鐘道

円覚寺裏門より入り、まっすぐに進んでいくと「国宝大鐘道」の石標が見えます。「洪鐘道」は、ここから蔵六庵下を通って唐門に続きます。

蔵六庵下

石段

洪鐘道を唐門に向かう途中、右手に鳥居の付いた石段が見え、登っていくと洪鐘と弁天堂に至ります。

洪鐘(おおがね)

こちらが正安三年(1301年)に北条貞時により寄進された「洪鐘(おおがね)」です。鎌倉最大(高さ約2.6m)の梵鐘で、国宝に指定されています。
製作者の物部国光は、他にも相模国国分尼寺、横浜市金沢の称名寺、磯子の東漸寺の梵鐘も手掛けています。高度な鋳造技術を持つ物部姓の鋳物師集団は、旧河内国丹南郡より鎌倉大仏の鋳造のため招かれ、相模国毛利荘(現在の厚木市)に移住しました。

洪鐘には円覚寺六世・西澗子曇(せいかんすどん)の銘「皇帝萬歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安」が入っています。 なおここでいう「皇帝」とは「天皇」を指しています(天皇を皇帝と表現する用例はたくさんあります)。中国出身の西澗子曇にとっては「皇帝」という表現の方が馴染み深かったのでしょうか?

弁天堂

北条貞時が「江ノ島弁財天」を「洪鐘大弁才功徳尊天」と尊称し奉り、円覚寺の鎮守として勧請した弁天堂です。

上部に龍の透かし彫りの入った欄間、左右に随身を配した内陣の中央には、なんとなく仏壇風の御神座が置かれています。石造蛇形の御神体は御簾に御隠れですが、御神座には前立ての位牌があり「洪鐘大弁才功徳尊天 」と書かれています。いかにも寺院の鎮守らしい社殿内部の造りです。

60年に一度催される「洪鐘祭 (おおがねまつり)」の行列を描いた額が左右の内壁上部に計四架掲げられています。洪鐘祭は、江ノ島の天王祭や、山ノ内・八雲神社の例大祭でも見られような行合祭の形式をとり、江島神社の女神と円覚寺の男神が行き合うというストーリーになっているそうです。昨年予定され延期となっていた60年振りの洪鐘祭は、今年こそ開催されるでしょうか?

御朱印所

弁天茶屋と並んで設置されている御朱印所では、「洪鐘弁財天」の御朱印が頂けます。

弁天茶屋

弁天茶屋からは素晴らしい展望を楽しみながら抹茶を頂きました。下の写真ではJR横須賀線の向こう側にある東慶寺が見下ろせます。

最後までご覧いただきありがとうございました。円覚寺の境内散歩シリーズでは、これから順次、塔頭もご紹介する予定です。