鎌倉・葛原岡神社の例大祭では、前日の宵宮祭(よいみやさい)に引き続き、由比ヶ浜通りを中心に本祭の神輿渡御が執り行われました。神輿渡御は、笹目歯科医院の駐車場を起点に、途中に由比ヶ浜公会堂・ホテルわかみや・割烹旅館かいひん荘鎌倉・福祉センターを経由して、再び由比ヶ浜公会堂に戻り終点とするコースで行われます。今回は、その前半として起点の笹目歯科医院から経由地の由比ヶ浜公会堂までの区間をご紹介します。 […]
後醍醐天皇に忠誠を尽しながらも 「建武の新政」の成立を見ることなく非業の死を遂げた日野俊基卿をお祀りする葛原岡神社(くずはらおかじんじゃ)は、由比ヶ浜の総鎮守でもあります。毎年6月3日には例大祭の神前祭・墓前祭が執り行われ、その前後には由比ヶ浜通りを中心に「本祭・神輿渡御」が盛大に催されます。今回は、本祭の前夜を彩る「宵宮祭(よいみやさい)」の様子をご紹介します。 鎌倉・葛原岡神社の例大祭(201 […]
5月28日は、鎌倉幕府初代将軍・源頼朝公及び三代将軍・源実朝公をお祀りする鶴岡八幡宮末社・白旗神社の例祭の日です。現在の白旗神社は、明治の神仏分離令に従い取り壊された旧・薬師堂跡に、本宮に向かって左手の宇佐神宮遥拝所あたりにあった「白旗社(御祭神:源頼朝公)」と、現在の丸山稲荷横の西坂(階段になっています)を下った右手付近にあった「柳営社(御祭神:源実朝公)」を明治二十一年(1888年)になって合 […]
鎌倉・宝戒寺は、鎌倉幕府執権を代々務めた北条一門の菩提を弔うために後醍醐天皇の発願により建立された天台宗の寺院です。その境内の一番右奥にあるお堂が「大聖歓喜天堂(だいしょうかんぎてんどう)」で、ご縁日の毎年5月23日には「聖天供(しょうてんく)」が修されます。 なお宝戒寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。⇒宝戒寺へ 境内の様子 「聖天供」 […]
鎌倉・宝戒寺では、鎌倉幕府が滅亡した5月22日に「徳崇大権現・大般若転讀会」が修されます。この法会は、鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇が、北条得宗家の最後の当主である鎌倉幕府十四代執権・北条高時 に「徳崇大権現」の神号を賜り、鎌倉幕府と共に滅んだ北条一族の慰霊のため北条家屋敷跡に建立した宝戒寺境内にお祀りしたことに由来します。 なお宝戒寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、 […]
五月五日・端午の節句に執り行われる鶴岡八幡宮「菖蒲祭」では、舞殿での神事に引き続いて「東京楽所(とうきょうがくそ)」による舞楽が奉納されました。曲目は「振鉾(えんぶ)」「萬歳楽(まんざいらく)」「延喜楽(えんぎらく)」「長慶子(ちょうげいし)」)の四目でした。鶴岡八幡宮における舞楽奉納の歴史は大変古く、文治四年(1184年)に箱根権現(箱根神社)および伊豆山権現(伊豆山神社)の稚児八名による童舞奉 […]
鶴岡八幡宮の「菖蒲祭(しょうぶさい)」は、端午の節句の五月五日に、氏子崇敬者の無病息災と延命長寿を祈願して執り行われます。昭和20年までは、尚武の国・日本の男子の節句であることから「尚武祭」とされていました。舞殿では神事が執り行われ、巫女さん二名による御神楽が奉納されました。また、 この日は「敬老会」も併せて開催され、「菖蒲祭」に参列された皆さんは、御神楽が終わった後に大石段下で記念撮影をなさって […]
毎年五月五日の端午の節句には、鎌倉・妙法寺「大覚殿」で清正公神祇大祭(せいしょうこうじんぎたいさい)が執り行われます。この日限定の「清正公勝守」を受付で拝受し、願事と願主を袋に記載し「大覚殿」に持参しますと、御祈祷を受けることができます。 「清正公勝守」はお守り本体を菖蒲の葉と共に奉書紙で丁寧に包んだ珍しいもので50本限定で頒布されます。 松葉ケ谷入口から総門まで 安国論寺の山門に向かってすぐ左手 […]
令和元年五月一日、令和改元の記念参拝は、鎌倉寺社参拝の王道ということで、皇室ゆかりの「鎌倉宮」、古都・鎌倉の顔「鶴岡八幡宮」、鎌倉五山第一の「建長寺」の二社一寺と致しました。予想していた通り、鎌倉は朝からかなりの人出で、鶴岡八幡宮では特設のご朱印所を設けて対応しておられましたが、お昼を過ぎても長蛇の列が続いていました。平成の改元の際とは異なり上皇陛下もご健在で、鎌倉は祝賀ムード一色のゴールデンウィ […]
鶴岡八幡宮・本宮西側の赤い鳥居が立ち並ぶ小高い所に鎮座するのが鶴岡八幡宮の鎮守稲荷・四社の一つで、唯一末社に位置付けられている丸山稲荷社です。鶴岡八幡宮が、由比ヶ浜の元八幡の地から、現在の小林郷に遷座する以前よりここに祀られていたと云われ、社殿は重要文化財に指定されています。毎年4月9日は丸山稲荷社の例祭で、巫女二名による御神楽が奉納されます。 境内の様子 三ノ鳥居の前には、丸山稲荷社例祭の案内板 […]