鎌倉・別願寺◆境内散歩◆
- 2018.10.24
別願寺は、下馬四つ角から大町通りを逗子方面に進んで安養院の少し手前にあります。コンパクトな境内ですが、鎌倉三十三観音霊場の第十三番札所として知られています。室町時代には鎌倉公方代々の帰依を受け、また後に徳川家康から寺領を寄進されるなど寺勢を誇りました。観音霊場札所のご本尊は、霊場で唯一の「魚籃観音」です。 なお別願寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご […]
神に抱かれ仏と共に歩む日々…
別願寺は、下馬四つ角から大町通りを逗子方面に進んで安養院の少し手前にあります。コンパクトな境内ですが、鎌倉三十三観音霊場の第十三番札所として知られています。室町時代には鎌倉公方代々の帰依を受け、また後に徳川家康から寺領を寄進されるなど寺勢を誇りました。観音霊場札所のご本尊は、霊場で唯一の「魚籃観音」です。 なお別願寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご […]
浄光明寺は、鎌倉駅西口からJR横須賀線沿いに今大路を北鎌倉方面に進み、JR横須賀線・寿福寺踏切を渡った先の泉ヶ谷と呼ばれる谷戸にあります。真言宗・泉涌寺派の準別格本山として高い寺格を誇り、創建以来、北条得宗家、足利将軍家、鎌倉公方等その時代毎の有力者の保護を受け、重厚な歴史を積み重ねてきました。また重要文化財「木造阿弥陀三尊像」を始めとした多くの文化財を所蔵していることでも知られています。現在では […]
千手院は、光明寺・山門に向かって左手にあります。鎌倉三十三観音霊場の第二十番札所として、地元・鎌倉の寺社巡りがお好きな方々にはお馴染みの寺院です。鎌倉三十三観音霊場のご朱印を頂く際には、同じく十八番札所の光明寺、及び向かい側にある十九番札所の蓮乗院とを続けてお参りする方が多いと思います。元々は光明寺の僧坊で、光明寺が徳川家康が定めた関東十八檀林の筆頭だった江戸時代には「専修院」と称し浄土宗の修行道 […]
補陀洛寺は、光明寺にほど近い材木座南部に位置します。「竜巻寺」の別称の通り創建以来幾度も竜巻の被害を受けたため、詳らかでない部分の多い寺伝ですが、サンスクリット語の「Potalaka」を中国語に音訳した「補陀洛」という寺名とも相まって、かえってエキゾチックな魅力が増してくる、どこか不思議なお寺です。寺名の元となった補陀洛山は観音菩薩が降臨するとされる伝説上の山で、インドの南端にあるとされています。 […]
安養院は、鎌倉駅東口から若宮大路を南に下り、下馬四つ角を左折しJR横須賀線の踏切を超え、大町通りを6~7分程度歩いた左手にあります。坂東三十三観音霊場の第三番札所として有名で、地元でも鎌倉三十三観音霊場の第三番札所、鎌倉二十四地蔵尊霊場の第二十四番・結願の札所でもあります。また、ゴールデンウィーク頃の境内を濃いピンク色に埋め尽くす躑躅は、鎌倉の寺社では随一と言ってよいと思います。 なお安養院のご由 […]
海蔵寺は、鎌倉駅西口からJR横須賀線沿いに今大路を北鎌倉方面に進んだ扇ケ谷・最奥部の谷戸にあります。元々真言宗のお寺があった現在の場所に、鎌倉幕府六代将軍・宗良親王の命により創建されましたが、鎌倉幕府滅亡の際に焼失してしまいました。その後改めて、応永元年(1394年)に、鎌倉公方重臣・上杉氏定の中興開基、心昭空外の中興開山により、今に繋がる海蔵寺が出来上がりました。現在は、「鎌倉三十三観音」「鎌倉 […]
瑞泉寺は、鎌倉宮からさらに二階堂の奥深く入った谷戸にあり、ここを目的に訪れる方を除いては、通りすがりの観光客の目に止まることのない静かなお寺です。関東公方足利家の菩提所であった瑞泉寺は、鎌倉五山に次ぐ関東十刹の首位に位置付けられる名刹で、江戸時代には、徳川家からも庇護を受けておりました。現在は、鎌倉三十三観音・第六番札所、鎌倉二十四地蔵尊・第七番札所を勤めていらっしゃいます。また、広い境内をきちん […]
極楽寺は、鎌倉中心部とは少し距離があるものの、江ノ電・極楽寺駅のすぐ横にあり参拝にはとても便利なお寺です。現在の稲村ケ崎小学校の敷地を中心に、かつては四十九の子院を擁する大寺であり、鎌倉でも有数の文化財の宝庫として知られています。開基は北条義時の三男・北条重時で、正元元年(1259年)に深沢の念仏系寺院を移転したことに始まりますが、北条重時の子の北条長時が伽藍を整備し、開山・忍性が文永四年(126 […]
蓮乗院は、光明寺・山門に向かって右手にあります。鎌倉三十三観音霊場の第十九番札所となっておりますので、ご朱印待ちの参拝者を見かけることが多い寺院です。同じく十八番札所の光明寺、及び蓮乗院の向かい側にある二十番札所の千手院とを続けてお参りすると観音霊場巡りも捗ると思います。元々は光明寺の僧坊で、「光明寺」開山・良忠上人が、光明寺の落成までの間、しばらく住んでいたと伝えられています。 なお蓮乗院のご由 […]
宝戒寺は、鶴岡八幡宮・三の鳥居から横大路を東に3分程進んだ正面突当りという、鶴岡八幡宮参拝と同時に立ち寄り易いところにあります。ここは元々鎌倉幕府執権・北条得宗家の屋敷があった場所で、北条氏滅亡後、その菩提を弔うために後醍醐天皇が足利尊氏に命じ宝戒寺を建立しました。以来、天台宗の戒壇院として栄え、鎌倉三十三観音霊場二番札所、鎌倉二十四地蔵菩薩霊場題一番札所、鎌倉江の島七福神(毘沙門天)札所を勤めて […]