鎌倉・成就院◆境内散歩◆

鎌倉・成就院◆境内散歩◆

普明山法立寺成就院は、江ノ電・長谷駅と極楽寺駅の中間、極楽寺坂を見おろす高みにある真言宗大覚寺派のお寺です。新田義貞の鎌倉攻めに際して焼け落ちたため、現在の西鎌倉駅の近くにある西ヶ谷に移転していましたが、江戸時代になって、再び現在の地に帰ってきました。鎌倉時代には法立寺というお寺の塔頭であったのかも知れません。
由比ヶ浜を望む東北参道には、般若心経の文字数と同じ262株の紫陽花が植えられ、鎌倉でも有数の紫陽花の名所として知られてきましたが、参道改修工事にあわせ、約30株を残して東日本大震災の被災地・宮城県南三陸町に寄贈されました。現在は代わりにハギ(シロハギ・ミヤギノハギ)100株が植えられており、これからの成長が待たれます。

なお成就院のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒成就院へ

※写真をクリックすると拡大します。

成就院の魅力

◎遠くに由比ヶ浜を望む東北参道に今も残る色とりどりの紫陽花

◎鎌倉時代の極楽寺切通しの路面の高さを実感できる東西の結界門を結ぶ参道の石段

◎何故か補陀落寺にもよく似た像があるコミカルな表情の文覚の荒行像

境内の様子

江ノ電・長谷駅から由比ヶ浜に向かって100mほど進み、星の井通りを極楽寺に向かっててくてくと500m弱進むと左手に「菩提心」と金文字が彫られた黒御影石の石柱が見えます。

石段の直ぐ上に寺名碑があり、さらに少し登ると「東結界」の額が掲げられた東結界門があります。

この付近は、紫陽花がとてもきれいな場所です。

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石段を登り切った左側が山門になります。

このあたりから後ろを振り返ると、遠くに由比ヶ浜が見えます。
これは桜の頃です。

初夏は、こんな感じ。

秋口は、こんな感じ。

初冬の雨の日は、こんな感じです。下に見える「星の井通り」の「極楽寺坂切通」は、自動車が通れるように深く切り開かれていますが、鎌倉時代の「極楽寺坂切通」は撮影しているこの高さであったと云われています。

秋には、植え替えられた「ミヤギノハギ」や「シロハギ」が見えます。

ミヤギノハギ

シロハギ

山門を入ると正面はご本堂です。中には、御本尊・不動明王の他、鎌倉三十三観音霊場21番札所本尊・聖観世音菩薩、大日如来像、弘法大師座像、地蔵菩薩像が安置されています。

ご本堂脇には、ソテツが植えられています。

ソテツ

右手に、龍の手水鉢があります。

秋には、この付近に「秋海棠」が咲いています。

シュウカイドウ

こちらは「矜羯羅童子(こんがらどうじ)」「制吒迦童子(せいたかどうじ)」を従えた不動明王像です。手前にプラスチックのカバーに覆われた銅盤がありますが、護摩行に際して使用されるものでしょうか?用途がよくわかりません。

弘法大師の行脚像です。弘法大師が諸国を行脚した際、この付近で「虚空蔵求聞持法」を行したと伝わっています。

弘法大師像の裏手には、白壁の蔵があります。

こちらはツルツルの撫でガエルです。銘板の最後が「合掌」ではなく「合唱」になっているのはカエルの合唱をイメージしたものでしょうか?

夏には、美しい睡蓮が、咲いていました。

睡蓮

山門を入った左手の燈籠の向こう側が、庫裡になっており、ご朱印をいただけます。

ご本堂の正面に、四角い石の台がありますが、成就院創建の頃からあった五輪塔の跡だそうです。その向こう側には、十三重塔があります。

こちらは、平安時代から鎌倉時代にかけて活躍した怪僧・文覚上人の荒行像です(なお、庭にあるこの石像は模造品で、本物は木造です)。なお、これにそっくりの文覚上人の荒行像が、補陀落寺に安置されています。

日本のロダン・荻原守衛の「文覚」像は、成就院の文覚荒行像にインスパイアされたものだそうです。腕を組んだポーズはそのままですね。

日本美学研究所」サイトにリンク

ご本堂に向かって右側に河口慧海がチベットより持ち帰った釈迦菩行像のレプリカがあります。この日は耳にカメムシがとまってました。

こちらは、聖徳太子千三百年忌を記念して造立されたもので、おそらく法隆寺の夢殿を模したものと思われます。

こちらは「子安地蔵」様で、足元には「子産石」があります。「安産」「子育」「子授」の功徳があるそうです。

山門を出て、秋の西参道を見下ろすとこんな感じです。

紅葉

振り返って見た西結界門です。

虚空蔵堂

なお、星の井通りの向かい側にある「虚空蔵堂」も成就院が管理しています。
虚空蔵堂は、正式には明鏡山円満院星井寺と云い、行基が開いたお寺と伝えられています。詳しくは別の機会とさせてください。

こちらのページもご参考にどうぞ
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