玉置神社◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第七回)~呼ばれた人しかたどり着けない神社~

大峰奥駆道を往来する修験者たちより「結願天(けちがんてん)」 と崇拝される玉置山を神奈備(かむなび)とする玉置神社は、熊野の森の奥深く杉の巨木に囲まれ鎮座する熊野三山の奥宮で、まさに「呼ばれた人しか行けない神社」「呼ばれた人しかたどり着けない神社」と云うにふさわしい秘境のお社です。
「玉置山縁起」によれば、その歴史は「王城火防」と「悪魔退散」のため社殿を設けた崇神天皇の61年(紀元前37年)に遡り、奥宮である以上当然のことながら熊野三山最古の熊野本宮大社が創建された崇神天皇の65年(紀元前33年)をも凌ぎます。さらに玉置神社の起源とされる奥宮・玉石社に至っては、神武天皇の東征に際し、熊野より大和へ軍を進める途上に「十種神宝(とくさのかんだから)」を鎮めた地とされ、その起源は紀元前7世紀に達します。「玉置(たまき)」の名も「十種神宝」の「玉」を「鎮め=置い」たことに由来します。
玉置神社の御祭神は、神代七代の初代「國之常立尊(くにのとこたちみこと)」を主祭神とし、「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」を加えた計五柱で、他にも玉石社・三柱社・若宮社・神武社・大日堂社・真名井社・白山社・山の神・出雲社などが祀られています。
その長い長い歴史を通じ、十津川全郷の総鎮守・玉置三所大神と崇められ地元十津川で重きを成すと同時に、大峯修験道・本山派(天台宗)の行場の一つとして大いに栄え、室町期には社領1200石を有していました。代々の社家は玉置氏が務めておりましたが、元禄期に安井門跡、次いで享保期に聖護院の配下になった別当寺・高牟婁院(天台宗)支配により仏教優位となりました。慶応四年(1868年)の神仏分離に際しては熊野三所大神を称し、さらに明治六年(1873年)には郷社・玉置神社を称して現在に至ります。
境内には、県の天然記念物にも一部指定されるご神木(大杉・浦杉・神代杉・常立杉・磐余杉・夫婦杉)を始めとした巨杉が林立し、平成16年(2004年)には「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部として世界遺産にも登録されています。
- 1. 境内図
- 2. 瀞峡(どろきょう)
- 3. 玉置口から玉置神社へ
- 4. 亀岩白龍大権現
- 5. 玉置龍神水
- 6. 玉置辻(本宮辻)
- 7. 玉置神社駐車場
- 8. 社号標
- 9. 参道前の鳥居
- 10. 参道
- 11. 大杉・県の天然記念物
- 12. 手水舎
- 13. 深山の火採火地
- 14. 下石段前の鳥居
- 15. 上石段前の鳥居
- 16. 本殿
- 17. 神楽殿
- 18. 後白河院・和泉式部参拝記念塔
- 19. 若宮社(玉置神社末社)
- 20. 神武社(玉置神社末社)
- 21. 夫婦杉(めをとすぎ)
- 22. 神代杉(じんだいすぎ)・県の天然記念物
- 23. 大日堂社
- 24. 御神輿殿(解体前)
- 25. 社務所
- 26. 宝蔵
- 27. 鐘楼(解体中)
- 28. 絵馬堂
- 29. 玉石社参道入口
- 30. 三柱神社(玉置神社摂社)
- 31. 宿坊
- 32. 浦杉(うらすぎ)・県の天然記念物
- 33. 出雲大社玉置教会(いずもおおやしろ・たまききょうかい)
- 34. 真名井社(真王水神)
- 35. 玉石社参道
- 36. 玉石社(玉置神社末社)
- 37. 磐余杉(いわれすぎ)・県の天然記念物
- 38. 常立杉(とこたちすぎ)・県の天然記念物
- 39. 裏参道
- 40. 白山社
- 41. 山之神
- 42. ご朱印
- 43. 祭礼と行事
- 44. アクセス
境内図

瀞峡(どろきょう)
今回は、玉置神社の参拝記事なのですが、瀞峡からのスタートとさせてください。前日までに熊野三山の参拝を終えた私は、この日、新宮市のビジネスホテルを暗いうちに出発し、昨日の豪雨明けの熊野川沿いに国道168号線を北上して宮井橋を右折し、国道311号線・169号線と進み、早朝の瀞ホテルに到着しました。

早朝の誰一人いない北山川の川辺まで降りてみますと、川面のさざ波に瀞峡の断崖が映り込み、心まで澄み渡る心地が致しました。


以前テレビでも見たことのある瀞ホテルが崖の上にあります。営業時間中は、喫茶室のカウンター席から瀞峡を見下ろしてお茶をいただけます。

玉置口から玉置神社へ
玉置神社に向う車のルートは、下の地図のように小川・折立・玉置口の3ルートがあります。一般的には「折立」よりアクセスする方が多いと思うのですが、私の場合は、新宮方面から参りましたので、瀞峡より「玉置口」ルートで玉置神社に参拝することにいたしました。

こちらは「玉置口」ルート入口の 「田戸トンネル」です。

亀岩白龍大権現
田戸トンネルを抜けて、狭い車道をしばらく進みますと亀岩白龍大権現にお参りできます。

こちらは亀岩白龍大権現のご神体・亀岩です。

玉置龍神水
こちらが亀岩白龍大権現の脇にある玉置龍神水です。ペットボトル2本のお水を頂戴しました。

途中、このように滝のような渓流が現れて参ります。昨晩の豪雨で、水量は豊富です。

こちらは、松平谷にある祠です。おそらく背後の大岩がご神体なのでしょう。


玉置川集落から南東方面の風景です。

玉置辻(本宮辻)
こちらが、大峰奥駆道に入る鳥居が立つ玉置辻です。徒歩の場合は、この鳥居を潜って進みますと玉置神社への最短コースとなります。
実はこの手前で、前日の豪雨の影響で倒れ掛かった崖上の木の先端が道路に斜めに突き出しておりましたが、屋根を枝葉でこすりながらも小型のワゴン車でかろうじてその下を潜り抜けることができました(枝にはあまり力がかからなかったおかげで、幹が落ちずに助かりました)。


標高が高くなってまいりますと、霧が濃くなってきましたが、右に曲がるともうすぐゴールです。

玉置神社駐車場
こちらが、駐車場から見た鳥居方向の写真です。私の他、駐車場には一台も車が停まっておりませんでした。

こちらが境内の案内板です。現在、神輿殿と鐘楼は、令和の大改修の関係で解体中です。

社号標
こちらの社号標には「世界遺産 熊野奥宮 玉置神社」とあります。

参道前の鳥居
こちらの石鳥居には、玉置神社と刻まれた石製の社号額が掲げられています。修験道系の神社ではオーソドックスな明神鳥居となっています。


参道
本殿正面石段下を目指し、長い参道を進みます。両脇には数えきれないほどの奉納幟が並びます。

本殿石段下に向かうには、こちらの分岐は、鳥居を潜って右下に進むことになります。左に参りますと「山ノ神」「白山社」を経て、本殿裏に出ます。帰路ではこちらを逆に辿り戻って参りました。。


こちらの道標の分岐方向が、玉置辻(本宮辻)に向う大峰奥駆道となります。

大杉・県の天然記念物
こちらが玉置神社境内では最大の杉で、その名も「大杉」です。遠くから撮影しているので目立たないのですが、胸高幹囲は8.7m(直径3m近く)、樹高40mというスケールで、県の天然記念物に指定されています。

手水舎
長い参道を歩いて、正面石段下にやって参りました。こちらが手水舎です。


深山の火採火地
こちらは第39回わかくさ国体(奈良)に際して、炬火を採火した場所です。

下石段前の鳥居
こちらは、社殿正面の下石段前の鳥居です。参道入口の鳥居と同じくこちらも石造りの明神鳥居となっており、社号額が掲げられています。


上石段前の鳥居
上石段の前にも明神鳥居がありますが、こちらは白木造です。社号額は銅板で組み上げたもののようで、浮き上がった文字や背景の亀甲模様など細かいデザインが印象的です。その昔、鳥居前の平地には、諸坊が並んでいたそうです。


狛犬も苔生して、山深い神社らしい味わいがあります。


本殿
玉置神社の欅造の御本殿は、寛政六年(1794年)に建てられたもので、正面の唐破風の上に千鳥破風を重ねた入母屋造が特徴的です。まもなく令和の大改修による建替えのため解体の予定です。



本殿・内陣には三基の宮殿(くうでん)が置かれています。中央殿には主祭神の「國之常立尊(くにのとこたちみこと)」及び「伊弉諾尊(いざなぎのみこと)」「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」が祀られ、右殿に「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」、左殿には初代・神武天皇「神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)」が祀られています。
下の写真の右手が右殿、左手が中央殿となります。



神楽殿
こちらは神楽殿ですが、社務所が工事中のため、現在は授与所となっています。10月24日の例大祭には、この神楽殿で、巫女の衣裳を身につけた男子が白い弓矢を手にして舞う「弓神楽」が奉納されます。お神楽の歌詞には「熊野なる 玉置の宮の 弓神楽 弦音すれば 悪魔退く」とあります。

後白河院・和泉式部参拝記念塔
石垣手前の向かって右の石碑が和泉式部、左の石碑が後白河院の参拝記念塔となっています。
こちらが後白河法皇の保元二年(1157年)の行幸の折の御製
忘するなよ 程は雲井に 隔つとも なれて久しき 三熊野の月
こちらは和泉式部が寛弘七年(1010年)に参籠した折の歌
玉置の 名に立つものは 秋の夜の 月に磨ける 光なりけり


若宮社(玉置神社末社)
御本殿に右手にある末社・若宮社は「見世棚造(みせだなづくり)」と呼ばれる様式で作られています。御祭神は、住吉大神・八幡大神・春日大神の三柱です。
元々は、伊弉諾尊・伊弉冉尊の御子神・天照大御神がお祀りされていたため「若宮」と呼ばれていた訳ですが、明治六年(1873年)に天照大御神が本社・右殿に合祀されたタイミングで現在の三柱の御祭神が勧請されました。

神武社(玉置神社末社)
玉置神社末社の神武社は、若宮社と同じく「見世棚造(みせだなづくり)」 の建物で、現在の御祭神は、迦具土神・速玉男神・高倉下神の三柱です。江戸期までは社名のとおり「神日本磐余彦尊=神武天皇)」が祀られていましたが、若宮と同じく明治六年(1873年) に本社・左殿に合祀されたことから現在の御祭神となりました。

夫婦杉(めをとすぎ)
若宮社裏の木戸をくぐってすぐにそびえるのが「夫婦杉(めをとすぎ)」です。二股に分かれた幹が特徴的なご神木で、胸高幹囲は9.0m、樹高25mですが、残念ながら他のご神木のように県の天然記念物には指定されていません。



神代杉(じんだいすぎ)・県の天然記念物
夫婦杉の近くにあるこちらが「神代杉(じんだいすぎ)」です。ごつごつとした枝が特徴的で、胸高幹囲は8.3m、樹高20mで、県の天然記念物に指定されています。

大日堂社
大日堂は役行者により草創されたもので、役行者と弘法大師が造った胎蔵・金剛両界の二体の大日如来像が安置されておりましたが、明治の廃仏毀釈の折、厨子とともに破砕されてしまいました。
現在の大日堂社は、明治の廃仏毀釈により廃された大日堂を平成4年(1992)に再建したもので、外見は社殿造となっていますが、内部には仏教系の六角堂が置かれています。六角堂にはご本尊の木造双身大日如来坐像(もくぞうそうしんだいにちにょらいざぞう)が安置されており、毎年8月8日の例祭に御開帳されます。

御神輿殿(解体前)
御神輿殿は大日堂社の横にあった建物で、現在は解体されています。10月24日の例大祭では、この御神輿が神社の周りを練り歩きます。

社務所
社務所と付属の台所は文化元年(1804年)に建立された建物で、国の重要文化財に指定されています。江戸期に玉置神社の別当寺として力を振るった高牟婁院の書院・庫裏として建立されたましたが、 高牟婁院が廃された後は二階が社務所(書院含む)・台所、一階が参籠所として使用されています。


社務所内部は狩野法橋・橘保春・橘安國ら狩野派大阪画壇の筆による花鳥図が描かれた杉の板戸で仕切られています。聖護院門跡御座所の「孔雀の間」「御殿の間」、及び江戸期には護摩堂であった「神殿」の三部屋は、 その高い格式から他の部屋より床が高く、天井も格天井となってます。

こちらが、台所です。


宝蔵

鐘楼(解体中)
現在解体中の鐘楼の鐘(国重要文化財)は高さ84cm、口径47cmと小ぶりですが、「應保三年(1163年)癸巳三月三日」の銘がある非常に古いもので、側面には陀羅尼(だらに)などの244文字の梵字が22行にわたり陽鋳されており、名馬・磨墨に騎乗し、梶原景季との宇治川の先陣争いで名を上げた佐々木高綱により奉納されたものと伝わります。現在、鐘楼が解体中のため梵鐘は十津川村郷土資料館に展示されています。

こちらは解体前の鐘楼(昭和33年(1958年)奉納)です。

こちらの梵鐘は、もともと社頭に掲げられ江戸期には「公武祈請」の時のみ使用されていたそうです。少し怖い話ですが「この世の終わりの時のみ撞く鐘」とも云われており、現在解体されている鐘楼を昭和33年(1958年)に建てた宮司がこの鐘を撞いたところ間もなくお亡くなりになり、神託があったということでわざわざ富山から来て鐘を撞いた方もすぐに亡くなられたということです。


絵馬堂
こちらの絵馬堂は、現在、休憩所として使われているようで、テーブルと椅子が置かれていました。

玉石社参道入口
左の石畳からが玉石社の参道となっています。正面の建物はお手洗いです。

三柱神社(玉置神社摂社)
こちらは、玉置神社の摂社・三柱神社で、寛元三年(1245年)に祭祀され、その名の通り主祭神のお稲荷様「倉稲魂神(うがのみたまのかみ)」と「天御柱神(あめのみはしらのかみ)」「国御柱神(くにのみはしらのかみ)」の三柱の神様が祀られています。玉置神社の地主神として、玉置神社の成立以前から信仰されていた神社で、「玉置山権現縁起」によれば、かつては三狐神社と呼ばれ「天狐・地狐・人狐」の三狐神をお祀りしていたそうです。3月初午の例祭は、なかなかに賑やかなお祭りだそうです。



写真の左端に見える石灯籠は、玉置左内の寄進とされています。


宿坊

浦杉(うらすぎ)・県の天然記念物
宿坊横にあるこちらが「浦杉(うらすぎ)」で、枝ぶりよく元気そうな杉です。胸高幹囲は7.0m、樹高28mで、県の天然記念物に指定されています。

出雲大社玉置教会(いずもおおやしろ・たまききょうかい)
出雲大社玉置教会は、出雲国造家(千家氏)が代々管長を務める出雲大社教(いずもおおやしろきょう)の教会で、御祭神はもちろん大国主命です。十津川郷士が尊王攘夷の急先鋒として活躍した十津川郷では、明治の廃仏毀釈も徹底したものとなり郷中の全ての寺院が廃されたことから、明治以降、郷内教化のために神官が教導職を務めておりました。しかし国家神道化の進展により神官の宗教活動が禁止されたのを機に、明治十八年(1885年)に村民がこぞって出雲大社教に所属することになり、その活動拠点として玉置神社境内に置かれました。現在の建物は、明治二十年(1882年)に建てられたもので、令和の大改修による建替えのため間もなく解体される予定です。


真名井社(真王水神)
中央のお社が、真名井社です。その前の階段を上がると玉石社に向います。右手の平らな道は宝冠の森に続きます。

真名井社の御祭神は真王水神で、玉置神社が創建された崇神天皇の61年(紀元前37年)よりこの地に鎮座されます。昭和50年代に湧水が枯れかけた折に、元どおりに水が湧き出ることを祈念してこの社殿が建てられましたが、それと同時に不思議なことに元通りに水が湧き出るようになったそうです。

玉石社参道
真名井社から玉石社に向う参道のところどころに鳥居が建てられ、また石仏が祀られています。




玉石社(玉置神社末社)
三本の杉の巨木に囲まれた狭い空間の底に白い玉石が敷き詰められ、中央に黒い鎮石が埋められたこちらが玉置神社の奥宮・玉石社です。周りは瑞垣で囲まれておりますが神殿はなく、伊弉冉尊が迦具土神を産みお隠れになった石室のあった場所とも云われています。御祭神は大巳貴命 (おおなむちのみこと) で、例祭は毎年5月13日です。






磐余杉(いわれすぎ)・県の天然記念物
裏参道にあるこちらが「磐余杉(いわれすぎ)」で、「大杉」の次に高い杉です。胸高幹囲は7.0m、樹高30mで、県の天然記念物に指定されています。

常立杉(とこたちすぎ)・県の天然記念物
「常立杉(とこたちすぎ)」は「磐余杉(いわれすぎ)」から少し駐車場寄りに歩いたところにある杉ですが、歩道より大分下にあり、幹が傷んでおりますので見逃しそうになりました。胸高幹囲は8.6m、樹高25mで、県の天然記念物に指定されています。

裏参道
本殿の裏手を上り白山社、山之神を経て駐車場に向う裏参道です。本殿までの距離は、こちらの方が、表参道より短いようです。

こちらに結界が張られています。

白山社
白山社の御祭神は「伊弉冉尊(いざなみのみこと)」と「菊理姫命(くくりひめのみこと)」で、菊理姫命は白山神社の総本社である加賀国一宮・白山比咩神社のご祭神です。例祭は毎年5月6日です。

こちらがご神体の乳岩です

山之神
こちらの山之神には、大山祇命が祀られています。奥に丸い石が見ええますが、こちらは付近の岩壁から採取されたと思われる枕状溶岩の断面です。

このような岩壁が「玉置山の枕状溶岩堆積地」として県の天然記念物に指定されております。


参拝を終えてみた駐車場からの絶景です。こんなに晴れわたっておりました。

ご朱印

こちらの牛王神符は、以前、玉置神社で頒布されていたものだそうです。

祭礼と行事
1月1日 | 歳旦祭 |
1月28日 | 古神札焚上祭 |
2月11日 | 建国記念祭 |
2月17日 | 祈年祭 |
3月初午 | 三柱神社初午祭 |
3月春分の日 | 出雲大社玉置教会祖霊祭 |
5月6日 | 白山社例祭 |
5月13日 | 玉石社例祭 |
5月14日 | 出雲大社玉置分教会例祭 |
6月30日 | 夏越大祓祭 |
8月8日 | 大日堂社祭 |
9月秋分の日 | 出雲大社玉置教会祖霊祭 |
10月24日 | 玉置神社宵宮祭 |
10月24日 | 玉置神社例大祭 |
12月7日 | 山の神祭 |
12月26日 | 煤祓い神事 |
12月31日 | 大祓・除夜祭 |
毎月1日 | 出雲大社玉置教会月次祭 |
毎月8日 | 大日堂社開扉 |
毎月15日 | 三柱神社月次祭 |
毎月24日 | 玉置神社月次祭 |
アクセス
住所 | 〒647-1582 奈良県吉野郡十津川村玉置川1番地 |
電話 | Tel:0746-64-0500 Fax:0746-64-0429 |
URL | https://tamakijinja.or.jp/ |
【公共交通機関】
近鉄大阪線・大和八木駅→奈良交通/八木新宮バスで十津川温泉下車→タクシー利用(40分程度)
【車】
阪和自動車道・美原JCT→南阪奈道路・葛城IC→大和高田バイパス・新堂ランプ→京奈和自動車道・五條IC→R370→R168
(美原JCTより約3時間)
駐車場有(無料) 。
最後までご覧いただきありがとうございました。私がお参りした日の早朝は、前日の豪雨のため折立と小川からのルートが閉鎖され、唯一通じていたのが私が利用した道が狭くあまり使われない玉置口ルートでした。そのため私が到着した時点で境内には誰も参拝客はおらず、ご朱印所のご神職の方は、私の顔を見るなり「どうやって来ましたか」と尋ねたくらいです。「呼ばれた人しかたどり着けない神社」とはこういうことなのかと、神奈川からお参りした私へのご神慮に、ただただありがたく感じ入った次第です。熊野三山遠征記はまだまだ続きます。
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