妙法山・星谷寺(星の谷観音)◆坂東三十三観音霊場(第八番)参拝◆

妙法山・星谷寺(星の谷観音)◆坂東三十三観音霊場(第八番)参拝◆

 妙法山・持宝院・星谷寺は、神奈川県座間市にある真言宗大覚寺派のお寺です。江戸期には海老名の総持院の末寺で、すぐ近くの県営・座間谷戸山公園の中で現在は「伝説の丘」と名付けられている「本堂山」にあった「観音堂」を起源とします。また星谷寺の境内にまつわる「星谷寺の七不思議」は、坂東三十三観音霊場巡礼者の間でよく知られています。

なお星谷寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒星谷寺へ

星谷寺の魅力

◎近江源氏の嫡流・佐々木信綱由来の重要文化財「撞座一つの梵鐘」

◎今なおオリジナルのDNAを引き継ぐ七不思議のひとつ「咲き分け散りの椿」

◎前庭を覆う槙の大木と銀杏の大木

境内図

寺号標

こちらは、寺号標です。右側面には坂東三十三観音霊場八番札所の御詠歌「障りなす 迷いの雲を 吹き払い 月もろともに 拝む星の谷」が刻まれています。

札所標石

 こちらは、坂東三十三観音霊場の八番札所を示す札所標石です。右側面に「昭和四十九年四月吉日星谷寺住職三矢智光建立」とあります。埋め込まれている黒曜石の石板のデザインも寺号標と同じですので、両者は門柱を兼ねて同時に建立されたようです。

こちらは、以前に立てられていた寺号標と札所標石です。右の明和六年(1769年)建立の札所標石には、「坂東八番星谷寺」とあるようです(「寺」の字は埋もれて見えません)。

参道

参道入り口から観音堂まで、一直線に石畳が伸びています。

仁王像

昭和60年に造立された青銅の仁王様です。厚木にある仏具店「蓮華堂」さんより納品されたものです。

 この場所にはもともと立派な仁王門があり、運慶作と伝えられる仁王様がいらっしゃいました。下の写真はその旧仁王門を撮影した明治33年(1900年)の写真です。こちらの仁王門は、昭和3年(1928年)に焼失し、その後仁王像と共に再建された簡易な仁王門も、戦後1960年代に倒壊したそうです。

◆星谷寺の七不思議
一 撞座一つの梵鐘(重要文化財)
 普通は、二カ所ある撞座が一つしかない梵鐘。関東以北では二番目に古い梵鐘とされており国の重要文化財に指定されています。詳しくは記事の中でご説明します。
二 根下り紅葉の老木
 根元が、乳房のように垂れ下がっているため、触れると乳の出がよくなるという言い伝えがありました。しかし残念ながらこの老木は枯れてしまい、観音堂内に幹が保管されています。現在は新しい紅葉が植えられています。
三 観音草(別名・田村麻呂草)
 「観音様のお庭の草」と呼ばれていたことから略して「観音草」と云い、「吉祥草」「むら草」とも云うそうです。中風に効くとされ、その効能を伝え聞いた方々が多くお参りに来られました。坂上田村麻呂も陸奥遠征に際して病を癒したそうです。
四 星の井戸
 昼間でも水面に星が浮かんで見えるという井戸。
五 咲き分けの散り椿
 一株の木に様々な色の花を咲かせるという椿。「椿寺」として知られる京都の地蔵院から移植されたもので、純白、白に紅斑入り、淡い紅、濃紅、紅に白斑入りの五種類の花を咲かせます。また椿は、花全体がぽとりと落ちるものですが、この椿は花弁毎に散っていくそうです。
六 楠の化石
 星谷寺の旧地にあった楠木の倒木が化石となったもので、長さ約20cm、周囲約27cm、重さ約4kgあり、振るとコロコロと音がするそうです。現在は庫裏内に保管され、一般には公開されておりません。
七 不断開花の桜
 年中、何れかの枝に花を咲かせるという桜。
番外 松の梅
「根下り紅葉の老木」の代わりに挙げられることがあります。一見松の木ですが、梅の花が咲くという不思議な木ということですが、今はもうありません。

鐘楼

こちらが、星谷寺七不思議のひとつ撞座一つの梵鐘(高さ約120cm、口径約60cm)で国の重要文化財に指定されています。嘉禄三年(1227年)の銘があり、関東以北では二番目に古い梵鐘です。銘には以下の5人の名が記されています。
◎大勧進金剛佛子 秀毫 
梵鐘の製作資金を集めに尽力した僧
◎大壇越沙弥 西願 
秀毫の活動に大きく貢献した僧。西願の名は、「吾妻鑑」に坂東二番札所・岩殿寺の観音堂の修理に際しても名が挙がっており、当時鎌倉近辺で活躍していた勧進聖であったと思われます。
◎大檀那源朝臣 信綱 
梵鐘の製作資金を提供した信者。近江源氏・佐々木氏当主で、宇治川の先陣争いで有名な高綱の甥。
◎大工源吉国 
厚木市飯山の鋳物師・森吉国と推定されます。
◎勧進金剛弟子 秀範 
秀毫の弟子の僧

確かに鐘座は、こちらに一つしかありません。この鐘が突かれるのは年に一度大晦日のみです。

こちらは、明治44年(1911年)撮影の旧鐘楼ですが、場所は異なり、現在の水屋付近にありました。

観音草と鈴木英夫歌碑

こちらの石碑は、コスモス短歌会の発起人を務めた歌人の鈴木英夫の歌碑で昭和61年(1986年)に建てられたものです。 碑文には北原白秋に師事したと記載がありました。
手前に生えている草が、星谷寺七不思議のひとつ観音草ですが、昔はあたり一面に生えていたのでしょう。

咲き分けの散り椿

こちらが星谷寺七不思議のひとつで座間市の重要文化財(天然記念物)に指定されている「咲き分けの散り椿」です。「椿寺」として知られる京都・地蔵院から移植されたもので、現在の椿は初代のDNAを引き継いだ二代目にあたるそうです。一度季節に訪れてみたいものです。

修行弘法大師像

こちらは、修行僧弘法大師像です。真言宗のお寺では、弘法大師の修行像が祀られていることが多いですね。

手前が樟です。裏手に大きく枝を広げた大銀杏と並び、星谷寺のシンボルとなっています。

宝篋印塔

こちらは、座間市の文化財に指定されている宝篋印塔です。宝暦十三年(1763年)に建立されたもので、高さは5mを超える大きなものです。左脇の塔婆は、平成16年(2002年)のご開帳の際の回向柱です。

紅葉(「根下り紅葉の老木」跡)

枯れた「根下り紅葉の老木」の跡に植えられた紅葉の若木です。後ろに見える塔婆は、平成14年(2002年)の回向塔です。

オリジナルの「根下り紅葉」の幹は、観音堂の外陣に保管されています。

大銀杏

晩秋には、この左右の大銀杏から落ちた黄色い葉が、前庭を覆いつくします。

こちらの石橋は、どうやら銀杏の根を守るため、アーチ型になっているようです。

水屋

平成14年(2002年)に改修されたものです。水盤には大きく「洗手」と彫られています。

大香炉

こちらは平成元年(1989年)に造られた大香炉です。

燭台

この建物の柱はコンクリート製ですが、屋根の部分は木造で以前のものを再利用しているようです。

回向柱

 星谷寺ご本尊の聖観音菩薩像(伝・行基作)は秘仏とされており「午年の10月18日」のみにご開帳となります。何とこの禁を破ると住職は1年以内に命を失うという伝承があるそうです。こちらの回向柱は、前回のご開帳平成26年(2014年)に立てられたもので、ご開帳の日には観音堂との間に結縁綱が張られていました。次回は、もううすぐ令和8年(2026年)になります。

大燈籠

こちらの大燈籠は、昭和53年(1978年)に熊切松五郎さんご夫妻より寄進されたものです。

もとの大燈籠は、寛政十三年(1801年)に尾州徳川家の御殿女中であった牛田初瀬という方の寄進によるものです。石が剥離するなど脆くなっており、胴と笠が離れた状態ですが、本堂脇に保管されています。

観音堂(本堂)

 こちらが、江戸前期・延宝二年(1674年)に建立され、文化二年(1809年)に改修された五間四面の観音堂です。
 行基菩薩が刻んだというご本尊の聖観音菩薩像は40cmくらいの坐像で、もともとはちょっと怖い「見不知森(みしらぬもり)」現在の座間谷戸山公園の「伝説の丘」にあった観音堂に安置されておりました。鎌倉期に戦火で観音堂が焼け落ちた際に、自ら炎を避けて現在の星谷寺の敷地にあった杉の枝まで飛んで光明を放ち、それを見た当時の住職の理源(中興開基)が、この場所に新しく観音堂を建立したとの伝説が残されています。

 ご開帳の日には、厨子から取り出され、前立の観音像と入れ替えて、お祀りされます。

こちらの水瓶は平成6年(1994年)に造られたものです。

唐破風が特徴的です。

寺号額

 寺号「星谷寺」の隣に「東都九皋知文題」とあり、江戸中期・江戸在住の書家・篆刻家である細井知文(号・九皋(きゅうこう))の題字であることが分かります。 額装は最近改められたもののようです。

鰐口

外陣

左手に賓頭盧様、右手に大黒様がいらっしゃいます。上を見上げれば飛天のレリーフが三枚見えます。

賓頭盧(びんずる)尊者

大黒天

飛天

飛天・中央
飛天・左
飛天・右

西国・坂東・秩父百観音霊場・順礼成就札所扁額

享保年間に納めらてた扁額ですが、ここに記されているように多くの方々が、百観音霊場参拝を成就されたようです。私など車があってもなかなか西国三十三か所までは手が届きませんが、徒歩で回りきるというのは・・・想像を絶します。

納経所

こちらでご朱印を頂けますが、ご朱印料は自動販売機で納めます。

中門

こちらをくぐると庫裏がすぐ目の前です。

庫裏

庫裏には妙法山の山号額が掲げられています。仁王門があったころはそちらに山号額が掲げられていました。庫裏には星谷寺七不思議のひとつ「楠の化石」が保管されています。手前の慈母観音像は、昭和56年(1981年)に寄進されたもので、仁王像と同じく蓮華堂厚木店より納入されたものです。

四阿

庫裏前の内庭には四阿が置かれ、一休みできます。

清星殿

こちらは星谷寺付属の斎場「清星殿」です。

星の井戸

昼間でも星が見えるという星谷寺七不思議のひとつ「星の井戸」です。覗き込んでみたのですがよくわかりませんでした。井戸の中の水面まではかなり距離があるように見えました。

水琴窟

水を流して、管に耳をあてると、澄んだ音が聞こえてきます。

不断開花の桜

庫裏の裏手の墓地にある不断開花の桜は星谷寺七不思議のひとつで、確かにかなりの古木のようです。花の開花時期が一定でなく、3月・4月の開花期以外の季節にも花を咲かせるそうですが、撮影した9月中旬のタイミングで花は咲いていませんでした。

伝説の丘・旧観音堂跡

星谷寺観音堂の旧地は、県立座間谷戸山公園内に「伝説の丘」として名残をとどめています。

西口の屋敷門に向って左手にある本堂坂を上ると「伝説の丘(旧称:本堂山)」に至ります。

こちらが、観音堂の旧地・本堂山(=伝説の丘)です。こちらの観音堂には本尊の観音様の他、薬師如来・不動明王・毘沙門天が祀られていたそうです。

現在は頂上付近に休憩所があります。少し下ったところの六地蔵と小さな墓地に、観音様の残り香を感じるだけです。

長屋門を入った大きな谷戸は、奥の深い湿地帯となっており、現在は体験学習用の水田などが設置されていますが、昔は「蛇穴谷戸」と呼ばれ大蛇が住んでいたそうです。そして「蛇穴谷戸」や「本堂山」を含む県立座間谷戸山公園一帯は「見不知森(みしらぬもり)」という幽谷の地として恐れられていた場所でした。相模國風土記稿には「山こく幽邃にして清泉せんかんたり、星影水中に映じ,暗夜も白昼の如くなれば土人星谷と呼り」とあり、この地は星谷寺の名のルーツでもあります。さらに言えば「星の井戸には昼間も星が映る」という七不思議の伝説も、この谷戸にまつわる言い伝えを「星の井戸」に仮託したものと思われます。

最後までご覧頂きありがとうございました。坂東三十三観音霊場のご紹介もこれから継続して参ります。