江島神社・辺津宮(下之宮)は、江ノ島三社の中で最も北よりに位置し、江ノ島の玄関口である青銅鳥居から仲見世通りを抜け大石段を上ってすぐのところにあり、建永元年(1206年)に慈悲上人・良真の働きかけにより鎌倉将軍・源実朝が創建した江ノ島三社の中では一番新しい神社です。 ご祭神として、天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけひ)に際し素戔嗚尊の十束剣(とつかのつるぎ)を噛み砕いた天照大神が吹き出した息から生まれ […]
青銅鳥居を潜り瑞心門に至る参道「弁財天仲見世通り」の両脇は、旧江ノ島三坊のうち「岩本院」の流れを汲む「岩本楼」や「下之坊」が姿を変えた「恵比寿屋」 等の旅館、飲食店、土産物屋が立ち並ぶ江ノ島で一番賑やかな場所です。平成の初めごろにはスマートボールや射的のお店など昭和の雰囲気をたっぷり残した独特の風情がありましたが、すっかり小綺麗になってしまい、どこか寂しく感じられます。 参道突き当りにある江島神 […]
藤沢市江ノ島にある江島神社は、辺津宮(へつみや)・中津宮(なかつみや)・奥津宮(おくつみや)の三社からなります。御祭神(「江島大神」と総称される)は、天照大御神と須佐之男命の誓約により誕生した所謂「宗像三女神」で、 辺津宮(下之宮)では「田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)」、中津宮(上之宮)では「市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)」、奥津宮(本宮御旅所)では「多紀理比賣命(たぎりひめのみこと) […]
窟堂(いわやどう)・岩窟不動尊は、川喜多映画記念館から横大路(宝戒寺から鶴岡八幡宮前を西に抜け、さらにJR横須賀線を渡り今小路に至る)を少し西に進んだところにあります。平安期・鎌倉初期に三方を山に囲まれた鎌倉の中心地に大船方面から入るには、北鎌倉駅横の十王橋を過ぎたところを右折して源氏山・化粧坂を経由し、さらに川喜多映画記念館前を東西に通る横大路の北側の山の上を通過して、鶴岡八幡宮の西側に抜けるル […]
称名寺の往年の七堂伽藍の伝統を今に引き継ぐ建物が「金堂」です。所蔵設備が整った近代的な金沢文庫が成立し貴重な文化財が預託されるまでの長い年月、堂内には、称名寺に代表される金沢の諸寺の歴史が凝縮された仏・諸像が安置されてきました。金堂の東隣には、江戸期に建立された「釈迦堂」が並び、金沢八景「称名の晩鐘」で詠われた梵鐘(重文)が今も残る「鐘楼」、御朱印所となっている「庫裏」と共に、現在の称名寺の中心と […]
称名寺の見所と云えば、何と言っても関東有数の浄土式庭園「称名寺庭園」です。文保三年(1319年)から翌年の元応二年(1320年)にかけて、性一法師の手により造られた「称名寺庭園」は、梵字の「ア」を模したとされる「阿字ヶ池」とそれに架かる反橋と平橋を中心に広がります。七堂伽藍整備後の正中は金堂→平橋→中の島→反橋→仁王門の南北軸となりますが、金沢文庫に抜ける隧道手前の広場にあった創建当初の称名寺(= […]
最近の横浜市金沢区といえば、 沖合の人工島に造られた水族館と遊園地の複合リゾート施設「八景島シーパラダイス」が有名で、その海岸線には工場と倉庫が立ち並び、もともとの入海「瀬戸の内海」とその周辺は東京・横浜のベッドタウンとして大小の商業施設と住宅に埋め尽くされています。しかし平安期以降、 武蔵国久良岐郡金沢村とその周辺は東日本有数の景勝地として知られ、江戸期には中国の「瀟湘八景」に倣い「金沢八景」と […]
蛇身の弁財天をお祀りする神社では4月初己の日に例祭が執り行われることが多いのですが、 鶴岡八幡宮の境内にある旗上弁財天でもいつも通り4月初己の3日に例祭が斎行されました。今年は、例年4月3日に斎行される若宮例祭と重なり、午前は若宮例祭、午後は旗上弁財天例祭と寺社巡りを楽しみにしている方々には見所の多い一日となりました。 境内の様子 今年は3月中に早々と満開を迎えていた段葛の桜は葉桜に代わりつつある […]
円覚寺境内のセンターラインから東にそれた高台に国宝の「洪鐘(おおがね)」と弁天堂があります。 「おおがね」と呼ばれる梵鐘は、1301年(正安3年)に執権・北条貞時が鋳物師・物部国光に命じて鋳造した鎌倉最大(高さ約2.6m)の梵鐘で、円覚寺六世・西澗子曇(せいかんすどん)の銘「皇帝萬歳 重臣千秋 風調雨順 国泰民安」が入っています。また、この洪鐘は北条貞時が見た江ノ島弁財天の夢のお告げに従い円覚寺正 […]
坂東三十三観音霊場・第二十番札所の獨鈷山(どっこさん)普門院(ふもんいん)西明寺(さいみょうじ)は、別称「益子観音」の名の通り、益子焼で有名な栃木県益子町にある真言宗豊山派のお寺です。寺伝によれば開山・行基菩薩、開基・ 紀有麻呂とされていますが、天平時代に紀貫之で有名な豪族・紀氏の一族が移り住み益子町中心部の西に位置する「権現平」に紀貫之を祀る祠を建てたのが始まりで、康平年間(1058~65年)に […]