鎌倉・円覚寺◆境内散歩(その2)◆仏殿・選仏場・居士林等

鎌倉・円覚寺◆境内散歩(その2)◆仏殿・選仏場・居士林等

今回ご紹介させていただく仏殿・選仏場・居士林・法堂跡・浴場跡といった場所は七堂伽藍のコアとなる重要な部分です。円覚寺の伽藍は、数多くの火災や地震によって失われ、その都度再建を繰り返してきましたが、今回の仏殿・選仏場・居士林については、そうした謂れを含めてご紹介できればと存じます。

境内図

仏殿

円覚寺の伽藍は、建長寺と同様に中国の径山(きんざん)・万寿寺に習った左右対称型の様式で、その中心となるのがこの仏殿です。 弘安五年(1282年)の創建当時から存在していましたが、長い歴史の中で遭遇した震災により幾度も倒壊・焼失を繰り返しました。現在の仏殿は、昭和39年(1964年)に落慶法要を迎えたもので、関東大震災で倒壊した先代の仏殿から頑丈な鉄筋コンクリート製に作り替えられました。なおこの外観は、元亀四年(1573年)の仏殿古図を参考に復元されたものです。

円覚寺仏殿正面

仏殿の前には、このような案内板があります。

こちらは開山忌の案内板です。

正面の扁額には「大光明寶殿」とあり、現在の仏殿に掲げられているものは、永和四年(1378年)の後光厳天皇の御宸筆より作られたものです。

円覚寺仏殿南西隅

この鐘は、仏殿で行われる諸行事の開始を告げるため、鳴らされます。

円覚寺仏殿南側
円覚寺仏殿裏側扉
円覚寺仏殿裏側入口内に掲げられた由来書

明治の文豪・夏目漱石が円覚寺塔頭・帰源院に参禅して代表作の一つ「門」のモチーフとしたことは有名です。 こちらは今は使われていませんが、仏殿正面に向かって右側に据えられた手水石で、「漱石」と彫られています。夏目漱石の「漱石」という雅号は中国の故事「漱石枕流(石にくちすすぎ流れに枕す)」に由来するというのが定説ですが、漱石がもし学生の頃にでも円覚寺を訪れて、この手水石の文字にインスパイアされたものだったとしたら面白いですね。

仏殿の内部はこんな感じです。

天井の龍は「白龍の図」と呼ばれています。日本画家・守屋多々志 の筆によるもので、前田青邨が監修したものです。なお円覚寺仏殿の龍の爪は3本ですが、建長寺仏殿の龍の爪は5本あります。

こちらがご本尊の宝冠釈迦如来坐像(鎌倉市指定文化財)です。関東大震災で旧仏殿が倒壊後、昭和39年(1964年)に仏殿が再建されるまでの間は、選仏場に安置されていました。

円覚寺・宝冠釈迦如来

脇侍は、向かって左が帝釈天、右が梵天とされており、何れも鎌倉市の指定文化財となっています。

円覚寺・帝釈天
円覚寺・梵天

仏殿に入って左奥に鎮座する二体の坐像は、左が達磨大師、右が無学祖元です。

4月8日はお釈迦様が誕生した日で、各地のお寺で降誕会(花まつり)が行われます。円覚寺の仏殿の様子は、こんな感じです。

ご本尊の宝冠釈迦如来の前に花御堂が置か据えられています。

天蓋の花の美しいこと・・・。神社と違いお寺(殊に禅寺)の境内で原色を目にすることは少ないのですが、花まつりだけは例外です。

「天上天下唯我独尊」誕生仏に甘茶を注ぎます。

お釈迦様が悟りを開いた日を記念する12月8日の成道会(じょうどうえ)の頃には大きな角塔婆が仏殿の前に立てられます。角塔婆の四面には、仏教の唯識論で説く「四智」が書かれています。

◆四智
四智とは、唯識論で説かれる四つの智慧のことです。
①大円鏡智(だいえんきょうち)
この世の全ての存在を、如何なる分別も加えることなく、あるがままに映し出す鏡の如き智慧
②平等性智(びょうどうしょうち)
「自」と「他」を差別なく平等のものとみなす智慧
③妙観察智(みょうかんざっち)
この世のあらゆる存在について、その有り様を正確に観察する智慧
④成所作智(じょうしょさち)
その時々に為すべきことを正しく実行する智慧

選仏場

選仏場は、その名の通り座禅修行を通じて悟りに達した「仏」を選び出す場という意味で使われています(固有名詞ではなく普通名詞です)。円覚寺の選仏場は別名「蔵殿」とも呼ばれ、僧堂を兼ねた経堂として元禄十二年 (1699年) に
創建当時の七堂伽藍の僧堂のポジションに 建立されたもので、当初は大蔵経を収めた法輪宝蔵と呼ばれていました。円覚寺における専門修行道場の役割は、明治十六年以降、正続院内の禅堂「正法眼堂」が担っていますが、それ以前はここが円覚寺における座禅修行の場でした。また関東大震災により倒壊した仏殿が再建されるまでの間は、ご本尊の宝冠釈迦如来以下の諸像が安置され仮仏殿となっていました。
なお、正面に掲げられた扁額「選佛場」の文字は、中国・宋より伝来した禅林の巨匠・無準師範(ぶじゅんしはん)の書を東福寺の額より写したものです。

中国風の火灯窓です。

建物の奥には、薬師如来像と大慈大悲観音菩薩像(円覚寺百観音霊場一番札所本尊)が安置されています。

薬師如来像
大慈大悲観音菩薩像

桜の頃はこんな感じ

紅葉の頃は、こんな感じ。

時折、催し物の会場としても使用されます。

居士林

円覚寺の居士林は、在家の禅道場として知られていますが、その歴史は明治10年、第二百三世・(今北)洪川宗温により正伝庵の択木園に創立された「居士寮」に遡ります。「居士寮」には、山岡鉄舟・夏目漱石などが参禅し、円覚寺の居士禅は広く世に知られるようになりました。また大正時代後半には、円覚寺五十六世・曇芳周応(どんぽうしゅうおう)の塔所である済蔭庵にて、一般学生の参禅を目的に結団された「済蔭団」が活動していましたが、大正15年に火災により活動拠点の建物が失われたため、昭和3年に東京・牛込にあった柳生新陰流の剣道場・碧榕館を済蔭庵に移築し現在の居士林が成立しました。 居士林では「土曜座禅会」等が定期的に開催されています。

以下、春夏秋冬・夫々の居士林・山門の写真を並べてみました。

春の居士林
夏の居士林
秋の居士林
冬の居士林

禅子寮(ぜんこりょう)

こちらは女性参禅者用の宿所となっている「禅子寮(ぜんこりょう)」で、居士林に向かって右手にあります。もともとは東慶寺にあった施設とお聞きしています。

法堂跡

こちらは七堂伽藍の一つ法堂跡です。 「直指堂」と呼ばれた法堂は、元享三年(1323年)に建立されましたが、応安七年(1374年)の大火で焼亡した後は再建されていません。

浴場跡

こちらも七堂伽藍の一つ浴場の跡で、現在は駐車場になっています。

護国塔

選仏場に向かって左手にある日露戦争戦没者の慰霊塔で、「護国塔従軍司教釈宗演書」とあります。円覚寺二百七世・釈宗演は、日露戦争には従軍司教として出征しています。夏場は、花と緑につつまれた美しい場所です。

最後までご覧いただきありがとうございました。次回は大方丈とその付近をご案内しようと思っています。