日光二荒山神社・本社~紅葉の日光遠征記2018(その6)~
- 2018.11.27
- 日光遠征記
「紅葉の日光遠征記」第六回目の今回は、下野国一之宮「日光二荒山神社・本社」の様子をご紹介します。日光二荒山神社は、男体山(=二荒山)をお祀りする神社として、勝道上人により、現在の本宮神社の地に開創されました。その後、大谷川の氾濫を避けるため現在の東照宮陽明門付近に移転して「新宮」を称するようになり、さらに13世紀になってから現在の恒例山の南面に鎮座しました。
慈覚大師・円仁以来、本地垂迹説に基き日光山の諸仏・諸神の関係性が整理(「輪王寺・三仏堂付近~紅葉の日光遠征記2018(その4)~」を参照)される中で、神社群は、この日光二荒山神社・本社を軸に体系化され、現在の姿に落ち着いて来ました。
現在の日光二荒山神社は地理的に大きく三か所に分かれ、また別宮もあることから、相互の関係が少しわかりにくくなっています。以下、その所在地とご祭神を整理してみましたのでご参照ください。
社号 | 社名 | 場所 | ご祭神 |
奥社 | 二荒山神社 | 男体山頂 | 男体山=大己貴命 (おおなむちのみこと) |
奥社 | 滝尾神社 | 男体山 八合目 |
女峰山=田心姫命 (たごりひめのみこと) |
奥社 | 太郎山神社 | 男体山頂 | 太郎山=味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) |
中宮祠 | 二荒山神社 | 中禅寺湖畔 ・男体山麓 |
男体山=大己貴命 (おおなむちのみこと) |
本社 (新宮) |
二荒山神社 | 恒例山南麓 | 男体山=大己貴命 (おおなむちのみこと) |
別宮 | 滝尾神社 | 滝尾 | 女峰山=田心姫命 (たごりひめのみこと) |
別宮 | 本宮神社 | 神橋北岸 | 太郎山=味耜高彦根命 (あじすきたかひこねのみこと) |
二荒山神社の境内図
日光二荒山神社サイトにリンクさせていただきました。今回は、南の「神門」からお参りします。
参道入口
銅の鳥居
輪王寺の「常行堂」のすぐ前に、銅の「鳥居」と金文字の「社銘碑」があります。
神門
「鳥居」をくぐると石段が続き、すぐ前に「神門」があります。男体山頂に奥宮が祀られてから1200年を記念して造立されたものですが、周囲の古い建物ともすっかり溶け込んでいます。
拝殿・本殿付近
「神門」をくぐると、両脇に杉の巨木が二本づつあります。入って右手が「夫婦杉」です。
左手が「親子杉」になります。
手水舎
「手水舎」で手と口を清めます。大きな神社の割には、コンパクトな手水舎です。
本殿・拝殿
すぐ目の前に「拝殿(重要文化財)」があります。
「拝殿」前には「清めの大麻(おおぬさ)」が立てられています。
「拝殿」の奥の「本殿(重要文化財)」は現在建て替え中です。「本殿」と「拝殿」は、「渡殿」で繋がっており、東照宮や大猷院と同じ「権現造」となっています。なお「本殿」には、拝観料を納めて神泉苑に入った側からアプローチする必要があります。
「本殿」には「二荒山大神(ふたらやまのおおかみ)」と総称される三神「男体山=大己貴命(おおなむちのみこと)」、「女峰山=田心姫命(たごりひめのみこと)」、「太郎山=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)」がお祀りされています。なお「新宮」としての本来の主祭神は「男体山=大己貴命(おおなむちのみこと)」です。
せっかくの御縁なので屋根葺き替えの「小羽板(こばいた)」を奉納させていただきました。
「本殿」に向かって左側にあるご神木で、境内で最も高い木だそうです(高さ約60m)。左手に赤い鳥居があり、奥の方で女性が礼拝していますが、ここが境内社の滝尾神社です。
御祈祷・御朱印受付所
「拝殿」に向かって右手に、ご朱印やご祈祷の受付があります。
ご祈祷の待合室横の日本庭園は、きちんと手入れされており、縁側のガラス戸越しに結婚式を待つ花嫁の真白な角隠しが見えます。
こちらのご朱印所では「二荒山神社」「滝尾神社」「本宮神社」のご朱印をいただきました。下は「二荒山神社」のご朱印です。
神楽殿
「拝殿」に向かって左手に進むと、大黒天がいらっしゃる「神楽殿」があります。
神楽殿の隣には、ご神木の「三本杉」が聳えています。
神苑内部・神輿舎近辺
「神楽殿」の先からは有料になっており、この受付で拝観料を納めます。
化燈籠
少し進むと右手に、屋根つきの朱色の囲いがしてある不思議な銅の灯篭があります。これが有名な「化燈籠(重要文化財)」です。
◆化燈籠の怪異◆
鎌倉時代に「鹿沼権五郎入道教阿」と「清原氏女」が奉納したものですが、夜に灯かりをともすと、燈籠がゆらゆらと怪しげに揺れたり、すぐに油がなくなったりするため、警固の武士に何度も切りつけられたということです。その刀傷は今でも残っておりますが、そうしているうちに怪異は現れなくなったとのことです。
日枝神社
「化燈籠」の向かい側に祠がありますが、これが「日枝神社」です。慈覚大師・円仁が近江国・日吉神社より勧請したもので、重要文化財に指定されています。
本家体等格納庫
「日枝神社」近くの建物には、弥生祭の「神前献備」で使用されていた「松原町・本家体(ほんやたい)」と「鉢石町・萬度(まんと)」が納められていました。
神輿舎
こちらが「神輿舎(重要文化財)」です。もともとは東照宮の仮殿の拝殿でしたが、寛永の造替工事の際に現在の位置に移転されています。徳川家光の命による寛永の造替工事は大規模なもので、日光山中の主要な建物のほとんどが造り変えられたため、有名な大工頭・中井大和守正清が東照宮創建当初に建てた建物がそのまま残っているのは「神輿舎」ぐらいです。
「神輿舎」の中には、三基の神輿が格納されております。
太郎山=本宮神社 | 男体山=本社(新宮) | 女峰山=滝尾神社 |
高天原
「神輿舎」の奥の塀際に、結界が張られた「高天原(たかまがはら)」があります。「高天原」は、日向国に降り立った天津神と、代表的な国津神である大巳貴命(=大国主命)がリンクするための神聖な場所で、春の例大祭「弥生祭」の前日に「高天原神事」が執り行われます。
◆高天原神事◆
「高天原」には、「神輿舎」に安置されている三基の神輿が、滝尾神社の姫神を、本社の主神と本宮の御子神が迎えるという形で打ち揃い、八乙女が御神酒を奉げ、「御前神楽」が奉奏されます。その後、三基の神輿は拝殿前に進み、神饌十二台を奉げて「着輿祭」が執り行われます。
「高天原」のすぐ横には、ご神木の切り株が一対残され、新たな苗木が各々植えられています。また、その手前には日向国高千穂神社からの献木「神話の絆杉」が植えられています。数百年後には、三本杉と呼ばれるようになるかも知れません。
神苑内部・大国殿&朋友(みとも)神社近辺
大国殿
男体山の神霊である新宮権現は、本地仏が千手観音、垂跡神が大巳貴命、応用の天部が大黒天となります。まず本地仏は、輪王寺三仏堂で祀られております。また、垂跡神・大巳貴命は二荒山神社「本殿」に祀られ、応用の天部・大黒天は、ここ「大国殿(重要文化財)」で、夫々祀られています。
「大国殿」内には、宝刀「太郎丸」が展示されていました。総長260.5cm、刃長179.2cm、重量7.2kgというネットゲームで巨人が振り回しそうな大太刀でした。二荒山神社では、宝物館に収蔵されている怪刀「袮々切丸」に次ぐ大きさだそうです。南北朝時代の作で、栃木県文化財に指定されています。
他にも、大黒天にまつわる色々な品が展示されていました。
大国殿の外側には、お菓子の神様とされる「大国田道間守(だいこくたじまもり)像」があります。
◆不老長寿の実◆
「田道間守」は古事記に登場する人物です。垂仁天皇(すいにんてんのう)の命により「常世の国(とこよのくに)」より不老不死の妙薬「非時香菓(ときじくのかくのみ)」を持ち帰りましたが、この世では既に十年が過ぎていました。垂仁天皇はもう亡くなっており、嘆き悲しんだ田道間守は命を絶ちましたが、播かれた「非時香菓の木の実」は大きく育ち、沢山の実を付けました。その実から造られたお菓子はとても美味しかったことから、田道間守は「お菓子の神様」として祀られています。
朋友神社
「朋友神社(重要文化財)」のご祭神は「少彦名命(すくなひこなのみこと)」です。「少彦名命」は、「新宮」のご祭神「大巳貴命(おおみなつちのみこと)」のお供として「大巳貴命」をサポートする役割りの神様です。
二荒霊泉・日光連山遥拝所付近
二荒霊泉
「二荒霊泉」は、日光三霊水「薬師の霊水」「酒の泉」「本宮の清水」のうち、現在も採取可能な「薬師の霊水」「酒の泉」をここまで引いてブレンドしたものです。「酒の泉」をここまで引くとなると距離は何キロもあるのですが・・・。
私も、近くの休憩所「あづまや」でボトルを購入し、汲んで帰りました。
日光連山遥拝所
「二荒霊泉」の奥に「日光連山遥拝所」があります。大きな石を積み上げて日光連山を模したもので、本物の男体山の頂上と同じく大きな神剣が立っています。
上新道からのルート
東照宮から、二荒山神社・本社に向かうには「上新道(うわしんみち)」を使うのが便利です。東照宮「表門」を出て、拝観券受付所を右に曲がった道が「上新道」です。ここをまっすぐ進むと「社銘碑」と唐風の「楼門」があります。
このあたりで「上新道」を振り返ると、こんな感じです。
「楼門」をくぐると直ぐ「銅の鳥居(重要文化財)」があり、その先が境内になります。
境内の縁起物
二荒山神社・本社内には、沢山の縁起物が置かれていました。ギャラリー形式に写真をまとめましたので、ご覧ください。
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最後までご覧いただきありがとうございました。日光二社一寺の中では経営規模が最も小さく、歴史的に見た力関係でも他の二者に押され気味の日光二荒山神社ですが、男体山を含む広大な敷地は伊勢神宮に次ぐ国内二位の面積があるそうです。また別宮を含め管理する諸社の数は多く、刀剣を中心とした寺宝も素晴らしいものがあり、伸び代は他の二者より大きいように思います。海外を含めもっともっと多くの参拝客がお参りしてくれるといいですね。
ギャラリー
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