日光東照宮(中篇)~紅葉の日光遠征記2018(その9)~

日光東照宮(中篇)~紅葉の日光遠征記2018(その9)~

「紅葉の日光遠征記」第九回目の今回は、前回に続き「日光東照宮」をご紹介します(今回は中篇です)。日光東照宮で最も有名な建物と云えば、何と言っても昨年(2017年)に修復成った国宝「陽明門」でしょう。 絢爛豪華な安土桃山文化の集大成ともいえる江戸前期の代表的建築物で、狩野探幽を中心とした狩野派が総力を結集して造り上げた装飾美の極致です。またご本殿と共に、日光東照宮の宗教体系上の核となる建築物である「本地堂(薬師堂)」には、本地仏+垂迹神をワンセットとする日光山の神仏習合の標準パターンに則り、本殿の垂迹神・東照大権現に照応する本地仏・薬師如来が祀られています。

境内図

日光東照宮のサイトにリンクさせていただきます。
 

本地堂(薬師堂)

伊達政宗の「南蛮鉄燈籠」脇の石段を上がって左手最奥にある「本地堂(薬師堂)」(重要文化財)は、火災で失われた「寛永の大造替」で造立された建物を昭和三十六年に再建したもので、東照大権現の本地仏「薬師瑠璃光如来」が安置されています。この天井には、昭和の日本画界の巨匠・堅山南風画伯の手による「鳴龍」が描かれており、「鳴龍」の顔の下で拍子木を鳴らすと、天井と床が共鳴し、まるで龍が鳴いているかのような音を響かせます。なお、この建物の帰属については「輪蔵」の場合と同様に、日光東照宮境内にあるものの日光東照宮と輪王寺の間で今なお係争中です。


◆「鳴龍」の再現◆
こうした共鳴現象は、再建前の狩野永真安信(かのう えいしん やすのぶ)が「鳴龍」を描いた「鏡天井」で既に確認されていました。そこで、再建にあたっては、縮小模型等を用いてこの現象を音響工学的に分析し、龍の顔の部分を6cmくぼませるよう天井を設計することで見事再現に成功しました。

鼓楼・鐘楼

「本地堂」の手前にあるのが、重要文化財の「鼓楼」です。唐様の仏教寺院建築で見られる典型的な建物で、比較宗教学的観点から見ると、神社らしくないといえば「らしくない」のですが、日光山を形作る「宗教」は、仏教原理主義でも神道原理主義でもなく、あくまでも日本オリジナルの「神仏習合教」ですので、何の問題もありません。

石畳を挟んで反対側が同じく重要文化財の「鐘楼」です。

朝鮮鐘・回転燈籠

「鐘楼」の横には、四代将軍・家綱の代に派遣された朝鮮通信使から贈られた「朝鮮鐘(虫蝕の鐘)」(重要文化財)が吊るされています。この材料の銅は対馬藩が準備したものだそうで、日朝の間を取り持つ対馬藩・宗家の苦労が伺えます。龍頭に、音響効果を狙ってあけられた穴があるため、別名「虫蝕(むしくい)の鐘」とも云います。

「回転燈籠」(重要文化財)は、オランダ東インド会社から贈られたものでアムステルダムで製造されたものですが、誤って三つ葉葵を逆さまに造りこんでいます。

陽明門

国宝「陽明門」は、京都御所の東正門の名を頂いたもので、日光東照宮創建当初より存在しており、他の主要建造物同様に「寛永の大造替」において造替えられています。その後、幾度も改修は行われていますが、最大の修復工事は「平成の大修理」で4年半をかけて昨年(2017年)3月に完成しました。使用された金箔は24万枚(京都・金閣寺の20万枚を上回る枚数)、総工費は約12億円となっています。大修理を終え、家光の時代の鮮やかな彩色彫刻で埋め尽くされたその姿は、絢爛豪華の一言に尽きます。一日眺めていても飽きない「日暮し門」と云われる所以でしょう。

「東照大権現」の扁額は、後水尾天皇の御宸筆による「勅額(ちょくがく)」です。なお「龍」のように見える霊獣は、「息」という別の霊獣です。

磨き上げられた黒漆に金箔が輝く組物は、一層目が四手先、二層目が三手先となっており、格式の高さが伺えます。


白い「胡粉(ごふん)」に金箔が施された唐獅子が、何体も取り付けられています。

軒下の色鮮やかな「錦鶏」です。

「陽明門」の両脇に鎮座する随身像は、向かって右が「左大臣」、左が「右大臣」です。両膝の家紋は何故か明智光秀の「桔梗(ききょう)」とも織田信長の「五瓜(ごか)」とも受け取れる形をしています。特に前者の解釈は「天海僧正光秀説」の根拠としてよく使われます。

「左大臣」


「右大臣」

陽明門の裏側にも、左右に阿形・吽形の極彩色の狛犬がいます。

「陽明門」の彫刻は、あまりにも多く網羅することは難しいですので、今回写真に収めることができた範囲でご紹介します。

「周公聴訴(しゅうこうちょうそ)」

「陽明門」正面の組物の間にある彫刻です。西周の名臣「周公旦(しゅうこうたん)」は髪を洗っている時でも訴人があればその話を聞いたと云う故事を題材にしたもので、二体一組になっています。

「髪を洗う周公旦」


「周公旦に訴える人達」

「孔子観河の図(こうしかんがのず)」

孔子は、弟子たちとともに河畔に立ち、川が流れるところを見てこう言いました。「人が次々と死に赴く様は、まさにこの川の流れのようなものだ。昼も夜も途切れることがない。云々。」この場面は「孔子観河」として広く知られ、古くより画題とされてきました。
「孔子、川の流るゝを観て曰く、「逝者如斯、不待昼夜」云云。是れ孔子観河として知らるゝ所にして、古来図せらるゝ所なり。」(『画題辞典』斎藤隆三)

「琴棋書画(きんきしょが)」

これも「陽明門」正面の組物の間にある彫刻で、理想とされる君主に求められる四つの嗜み「琴」「囲碁」「書」「絵画」を表したものです。

「囲碁」


「書」


「絵画」

仙人の彫刻

「陽明門」裏側の組物の間にある彫刻は、夫々中国の仙人が描かれています。

「鉄拐仙人」


「鳳凰に乗った梅福仙人」


「鶴に乗った王子喬」


「空飛ぶ費長房を見上げる人々」何故か費長房本人は描かれていません。


「笠で空を飛ぶ鐘離権」


「龍に乗った黄仁覧」


「鯉に乗った琴高仙人」

「唐子遊び(からこあそび)」・表側

第二層の高欄にある彫刻のうち表側にある9体です。中国の子供たちが遊ぶ様を描いています。

「孟母三遷」


「奏楽」


「舞踏」


「司馬温公瓶割」


「鬼ごっこ」


「木馬遊び」


「蝶採り」


「石拳」

「唐子遊び(からこあそび)」・裏側

第二層の高欄にある彫刻のうち裏側にある9体です。表側と同じく中国の子供たちが遊ぶ様を描いています。

「白犬遊び」


「みみずく」


「灌仏会ごっこ」


「山鵲」


「雪だるま」


「瑠璃鳥と雀」


「動物いじめ」


「山鵲」


「木馬遊び」

陽明門回廊

「陽明門」の左右に伸びる回廊も「陽明門」の一部として国宝となっており、その壁面には、たくさんの透かし彫りが並んでいます。また塀から延びた銅製の燭台が写っていますが、これは「回転燈籠」と同じくオランダ東インド会社から奉納されたものです。

御仮殿

一般には、本殿の大規模な改修又は改築をを行う際に、祭神を一時的に遷座しお祀りするための「仮」の「御本殿」というポジションですので、役割りを終えた時点で取り壊すことになりますが、大規模な改修が恒常的に行われる東照宮の場合は、建物がそのまま維持されており、重要文化財に指定されています。ただ明治以降、こちらに「下遷宮」された例はないそうです。

「石鳥居」をくぐって右側に進むとまず現在改修工事中の「鐘舎」が見えます。

その先に青銅の鳥居が見えます。早朝ということもあり、参拝者は全くおられませんでした。

正面には「透塀」「唐門」「拝殿」が見えます。その奥には「相の間」「御本殿」があり、「御本社」と全く同じ構成になっています。不定期に内部が公開されることがあり、その期間中は、限定ご朱印を頂けるそうです。

如何でしたでしょうか? 以下「後篇」に続きます。

ギャラリー

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