日光二荒山神社・中宮祠~紅葉の日光遠征記2018(その7)~

日光二荒山神社・中宮祠~紅葉の日光遠征記2018(その7)~

「紅葉の日光遠征記」第七回目の今回は、男体山を背に中禅寺湖を望む「日光二荒山神社・中宮祠」の様子をご紹介します。中宮祠は、男体山=大己貴命(おおなむちのみこと)をお祀りする神社として、勝道上人により、天応二年(782年)の男体山登頂の二年後の延暦三年(784年)に建立されました(同時に「中禅寺」も中宮祠の神宮寺として同じ中禅寺湖北岸の敷地に創建されています)。以来1200年以上の長きにわたり、男体山山頂にある奥宮登拝の登山口を守り続けてきました(日光二荒山神社は、ご神体として男体山全体を今でも所有しています)。現在のご祭神は、当初の男体山=大己貴命(おおなむちのみこと)に、女峰山=田心姫命(たごりひめのみこと)と、太郎山=味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)を加え、三神を併せた「二荒山大神」とされています。

中禅寺湖畔

紅葉ドライブを楽しみながら、上り専用の「第二いろは坂(国道120号線)」を登り切ると、左手に「華厳滝エレベータ」乗り場があり滝壺に近い高さにある「観瀑台」まで降りることができます。ただ私の場合、営業時間前の早朝に到着してしまった為、駐車場脇の階段を下りたところにある展望台からの撮影となりました。

「華厳滝エレベータ」から中禅寺湖に向かうとすぐに中宮祠の大鳥居があります。自動車もくぐれます。

雨が時折強く降る不安定な天候でしたが、半月山からの中禅寺湖は、なかなかに雄大な眺めです。

このあたりは、山腹がそのまま中禅寺湖に入り込んでいる地形が多くみられます。湖面ぎりぎりまで紅葉で埋まっています。

中宮祠あたりからは中禅寺が遠望できます。

中宮祠唐門まで

中宮祠の境内は、こんな感じです。

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駐車場あたりも紅葉が進んでいました。

今回は正面から参拝します。まず「浜鳥居」です。

「浜鳥居」に向かって右脇に「水神碑」が建っています。大正時代に、中宮祠渡船組合が、湖上の安全を祈願して建立したもので、ご祭神は「水波能売神(みずはのめのかみ)」です。

「浜鳥居」からは本殿まで一直線です。

石段を上ったところが「八脚門」です。

「八脚門」の先は、広く開け、前に石段があります。

「八脚門」をくぐって右側に「日光灯篭」があります(立派な松の枝の下に見えます)。これは中禅寺湖の燈台の役割りを果たしていたそうです。

石段に向かって右側には「牛石」があります。修験の道場である男体山では、牛馬は、「馬返し」までしか入れませんでしたが、その禁を破った農夫に曳かれてきた牛が、中宮祠の前で石になってしまいました。明治まではその石が残っていましたが、その後行方不明となり、現在の「牛石」は地元有志により復元されたものです。

石段を上ると右手が手水舎です。

左手は、中宮祠稲荷神社となっています。

本殿・拝殿とその周辺

正面は、重要文化財の中門(一般には唐門と呼ばれています)。東照宮成立以降の建築様式に従い、神社ながら唐風の造りになっています。

「唐門」をくぐり振り返ると、湖まで見通せます。

正面の拝殿までの通路は、降雪に備え屋根が設けられています。

拝殿(重要文化財)の正面と外観は、こんな感じです。

拝殿の奥には本殿(重要文化財)があります。二荒山神社・本社と違って豪華な千鳥破風などはありませんが、立派な入母屋造となっています。

本殿の周囲の「透塀」と、正面向かって右手の「掖門」も重要文化財に指定されています。

本殿に向かって左手には「山霊宮(やまのみや)」があります。こちらでは、男体山を中心とした霊場・日光連山八峯に生涯を奉げて篤く信仰した先達をお祀りしています。

「山霊宮」の奥に、イチイの大木が聳えています。すぐ横の登拝口を少し上ったところにも、もう一本イチイの大木があり、併せて天然記念物に指定されています。

本殿に向かって右手は、霊峰・男体山頂上の奥宮に続く登拝道の入口「登拝口」があります。山頂までは、ここから標高差1200mのほぼ直登コースになっており、登りで4時間くらいかかるそうで、山歩きに慣れた方でもかなりキツイとお聞きしています。登拝期間は5月5日から10月25日ということですので、丈夫な方はぜひ無酸素単独登頂に挑戦してみてください。
手前に、重要文化財の「唐銅鳥居」があり、奥に見えるのが「登拝門」です。「登拝門」は開山祭(五月五日)から閉山祭(十月二十五日)までの登拝期間のみ開かれています。

登拝口に向かって左側には「大黒天像」、右手前には「男体山大蛇御神像」があります。

この付近には「さざれ石」と「扇の的弓道発祥之地碑」があります。なお中宮祠前の中禅寺湖畔では毎年8月に那須与一にちなんで「扇の的弓道大会」が開催されています。

拝殿に向かって左側は「神楽殿(大黒殿)」です。ここの天井画は、最近、文星芸術大学の日本画専攻の学生さんたちが描いたものです。拝見しましたが、後世に伝えても恥ずかしくない素晴らしい出来栄えでした。

唐門を右手に回り込むとご朱印所があり、さらにその並びにご祈祷受付があります。

日光二荒山神社・中宮祠のご朱印です。

東鳥居からの参道

中宮祠には、正面の「浜鳥居」からとは別に、市街地に近い「東鳥居」からも参拝できます。まず銅製の「東鳥居」です。

「東鳥居」の右脇には社銘碑と、登拝口を示す石碑が建っています。

「東鳥居」をくぐり参道を進むと、右手に「宝物館」が見えます。

さらに進むと、右手に立派な社務所があり、唐門の前の石段に至ります。

宝物館の収蔵物

日光二荒山神社の「宝物館」は、刀剣の収蔵物が有名です。以下、主要な収蔵物をご紹介します。

「国宝:大太刀 銘 備州長船倫光貞治五年二月日 附 野太刀拵」

南北朝期大太刀を代表する雄大な野太刀です。拵も太刀と同時代の野太刀拵の希少な品で、現在は朱鞘ですが、もとは実戦刀用の黒漆塗でした。

栃木県総合教育センターサイトにリンク

「国宝:小太刀 銘 来国俊  黒漆蛭巻太刀拵」

作者国俊は鎌倉期の山城来派を代表する名工です。国宝指定太刀では最小の小太刀となります。

栃木県総合教育センターサイトにリンク

「重要文化財:山金造波文蛭巻大太刀(号祢々切丸)」

刃長216.7cm、刀身の重量24kgという二荒山神社最大の大太刀で、実用可能な大きさではありません。

日光二荒山神社サイトにリンク
◆「祢々切丸」伝説◆
日光の鳴虫山に「ネーネー」と鳴くことから「祢々(ねね)」と呼ばれる虫の妖怪(河童とも云われております)がおり、悪さをして人々を苦しめていました。ところがある夜、二荒山神社に納められていた御神刀「山金造波文蛭巻大太刀(やまがねづくりはもんひるまきのおおだち)」が、ひとりでに鞘を抜け「祢々」目がけて飛んで行きました。それを見た「祢々」は鳴虫山を下りて大谷川を渡り、「ねねが沢」を経て二荒山神社まで逃げましたが、遂に切られたということです。それ以来、この太刀は
「祢々切丸(ねねきりまる)」と呼ばれるようになりました。

「重要文化財:山金造黒漆蛭巻 大太刀中身無銘(号 柏太刀)」

「日光山奉納新宮御宝前上毛国小田平塚入道」の奉納銘があり、祢々切丸と共に南北朝時代に流行した大太刀の貴重な遺例とされています。端午の節句に奉納されたことから「柏」と名付けられたとの説がありますが、定かではありません。「祢々切丸」「柏太刀」「瀬登太刀」は神刀とされ、弥生祭では男体山で捕獲された雄鹿の生皮の上に、これら三振りの大太刀が飾られます。

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「重要文化財:大太刀 無銘(号瀬登太刀) 附 金銅蛭巻兵庫鎖太刀拵」

拵と共に南北朝時代の製作です。刀身には龍と竹林の彫物が施されています。

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「金銅装神輿 南北朝」

康応元年(1389年)の刻銘を有する新宮・本宮・滝尾各社の神輿で、弥生祭に使用されていたものです。

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日光湯元温泉へ

中禅寺湖から、温泉神社のある奥日光湯元温泉にかけての見所をご紹介します。

竜頭の滝(りゅうずのたき)

中禅寺湖畔を抜け、さらに進むと「竜頭の滝」に出ます。

滝の横には、竜頭観音様のお堂があります。

竜頭観音様は繊細で優美な造りで、竜を従えています。

戦場ヶ原

竜頭の滝の先には「戦場ヶ原」が広がります。東に男体山・女峰山・太郎山、西に白根山を仰ぐ雄大な景色が爽快です。もともとは、湖だった場所が湿原となったものです。

◆「戦場ヶ原」の由来◆
中禅寺湖の水を巡って赤城山の神と男体山の神が戦った場所がここであったと伝えられていることから「戦場ヶ原」と呼ばれるようになりました。
赤城山の神が、中禅寺湖から水を奪ったことから、男体山の神は、それを取り返すべく白蛇の大軍を派遣しましたが、逆にムカデの大軍に返り討ちに合い、中禅寺湖まで攻め込まれてしまいました。
劣勢に立たされた男体山の神は、白鹿に変身して奥州の厚樫山(あつかしやま)に住む「猿麻呂(さるまろ)」という弓の名人(実は、男体山の神の孫)に加勢を頼みました。そして、もし赤城山の軍勢を破ることができれば、男体山を猿麻呂に狩場として与えるという約束をしました。この「猿麻呂」の子孫とされているのが日光二荒山神社の社家の一つでである小野家です。
いよいよ戦場ヶ原で、両者の戦いが始まりましたが、次第に蛇の大群はムカデの大群に押され、とうとう大ムカデ(=赤城山の神)と大蛇(=男体山の神)の直接対決となりました。そうした中、猿麻呂が放った矢は、見事に大ムカデの左目に突き刺さり大ムカデは赤城山に退却して行きました。その後大ムカデが目の傷をいやした跡は、現在の「老神温泉(おいがみおんせん)」とされています。

湯滝

「戦場ヶ原」を抜けると、湯ノ湖に出ます。澄んだ湖面には、白根山が映ります。

湯ノ湖の南端にあるのが「湯滝」です。

温泉神社

湯ノ湖の北側は、奥日光湯元温泉となっており、温泉街の入口近くの長い階段を上ったところに温泉神社があります。

木造朱塗の温泉神社御本殿です。

以前は銅の祠で、現在は、日光二荒山神社の宝物殿に「温泉神社銅祠」として展示されています。

日光二荒山神社サイトにリンク

ご朱印は、中宮祠でいただけます。

御本殿の向かって右の祠は、大山祇神社です。

御本殿の向かって左の赤い祠は、稲荷神社です。

ギャラリー

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最後までご覧いただきありがとうございました。