圓福寺(飯沼観音)◆坂東三十三観音霊場(第二十七番)参拝◆
- 2025.03.23
坂東三十三観音霊場第二十七番札所を務める飯沼山金照院圓福寺は、千葉県銚子市にある真言宗系の単立寺院です。銚子市は、いまでこそ醤油と漁業で有名ですが、もともとはこの圓福寺の門前町として発展してきました。 寺伝によれば神亀元年(724年)に、漁師が、ご託宣によりご本尊の十一面観世音菩薩を銚子沖で引き揚げたのが圓福寺の始まりとされています。その直後の天平年間には行基が来錫し、この十一面観音を厨子に納め […]
神に抱かれ仏と共に歩む日々…
坂東三十三観音霊場第二十七番札所を務める飯沼山金照院圓福寺は、千葉県銚子市にある真言宗系の単立寺院です。銚子市は、いまでこそ醤油と漁業で有名ですが、もともとはこの圓福寺の門前町として発展してきました。 寺伝によれば神亀元年(724年)に、漁師が、ご託宣によりご本尊の十一面観世音菩薩を銚子沖で引き揚げたのが圓福寺の始まりとされています。その直後の天平年間には行基が来錫し、この十一面観音を厨子に納め […]
南明山・慈眼院・清滝寺(きよたきじ)は、古くは「山の荘」と呼ばれていた荘園の一角、土浦市小野にある真言宗豊山派のお寺です。その歴史は、坂東三十三観音霊場の中でも最古の部類に入り、推古天皇の十五年(607年)に聖徳太子が彫った聖観音像を、清瀧寺背後の龍ケ峯に安置した時代にまで遡ります。また別の伝説では筑波山の二柱(伊弉諾尊・伊弉冊尊)が小野山を天の鉾で突いたところ南北二カ所に「清」水が涌き出、その […]
八溝山・日輪寺は、茨城県・福島県・栃木県の三県が交わる八溝山(やみぞさん)の八合目(標高約800m)にある天台宗のお寺です。その歴史は白鳳期・天武天皇二年(673年)の開基・役小角にまで遡ることができ、大同二年(807年)の空海による中興、さらに仁寿三年(853年)の慈覚大師の来錫と続きます。 観音霊場として位置づけられたのは永延三年(989)年の頃で、時代を下った室町期・文明年間(1469~1 […]
筑波山・大御堂は、茨城県つくば市にある真言宗豊山派のお寺で、坂東三十三観音霊場の第二十五番札所をお務めです。大御堂の前身に該る旧・筑波山知足院中禅寺は、開山・徳一上人以来、男体山・女体山の両筑波山をご神体とした筑波山大権現の本地仏である千手観音をお祀りする大寺院として栄えて来ました。江戸期になりますと、徳川将軍家の祈祷を担うようになり、将軍家光公の時代には七堂伽藍が整備された他、江戸にも「知足院 […]
妙法山・持宝院・星谷寺は、神奈川県座間市にある真言宗大覚寺派のお寺です。江戸期には海老名の総持院の末寺で、すぐ近くの県営・座間谷戸山公園の中で現在は「伝説の丘」と名付けられている「本堂山」にあった「観音堂」を起源とします。また星谷寺の境内にまつわる「星谷寺の七不思議」は、坂東三十三観音霊場巡礼者の間でよく知られています。 なお星谷寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては […]
岩殿寺は、大和国長谷寺の徳道上人が、この地に下向した際、十一面観世音菩薩と熊野権現が顕現し、そのお告げにより社を建てたのが始まりとされ、その後、巡錫の折に同じく奇瑞を得た行基菩薩が、奥の院に安置される十一面観世音菩薩像を彫った養老五年(721年)をもって開創とされています。徳道上人は鎌倉・長谷寺の開山としても知られていますが、鎌倉・長谷寺の開創は天平八年(736年)ですので、伝承上、岩殿寺の開創は […]
天長元年(824年)淳和天皇の代に、天台宗山門派の祖、慈覚大師・円仁により現在のさいたま市岩槻区に開かれた華林山・最上院・慈恩寺の名は、慈覚大師が入唐の際に遊学した長安(現在の西安)・大慈恩寺に由来します。行基や空海が全国至る所の寺院の開山・開基に名を連ねているように、慈覚大師は、出身地の下野国を始めとした北関東から東北地方にかけての多くの寺社の縁起にその名を残しています。慈恩寺は、創建以来、江 […]
真言宗豊山派に属する海上山(かいじょうざん)千葉寺(せんようじ)の創建は和銅二年(709年)と極めて古く、千葉市内では最古の寺院です。巡錫の折にこの地に立ち寄った行基が、一本の茎に二つの花を咲かせ、その花の中で阿弥陀如来と観音大士が説法している蓮を見て、丈六の十一面観音像を刻み堂宇を建て安置したのがその始まりとされます。行基はさらに聖武天皇に奏聞して「海照山」の山号と「三界六道」の勅額を得て本堂 […]
坂東三十三観音霊場・第二十番札所の獨鈷山(どっこさん)普門院(ふもんいん)西明寺(さいみょうじ)は、別称「益子観音」の名の通り、益子焼で有名な栃木県益子町にある真言宗豊山派のお寺です。寺伝によれば開山・行基菩薩、開基・ 紀有麻呂とされていますが、天平時代に紀貫之で有名な豪族・紀氏の一族が移り住み益子町中心部の西に位置する「権現平」に紀貫之を祀る祠を建てたのが始まりで、康平年間(1058~65年)に […]
栃木市にある坂東三十三観音霊場第十七番札所・出流山満願寺の開山は、勝道上人が日光開山に先立ち観世音菩薩のご加護を仰ぐべく今の本堂の場所に堂宇を立てて千手観音を奉安した天平神護元年(765年)で、「出流(いずる)」の名の通りこの地はまさに日光の源流・ルーツに該ります。寺伝によれば、さらに遡る天平時代に役行者小角が、現在の奥の院「観音の霊窟」を発見したのが修験道場としての出流山の始まりで、子宝に恵まれ […]