佐助稲荷神社(さすけいなり)◆境内散歩◆~御塚・霊狐泉
- 2025.01.20
- 境内散歩
佐助稲荷神社は、鎌倉駅の北西の山手にあるお稲荷様で、創建は鎌倉初期の建久年間(1190年~1199年)とされています。社伝によりますと、源頼朝の挙兵にあたり頼朝の夢枕に隠ノ里の稲荷の主が現れ、挙兵を勧めたそうです。見事鎌倉に幕府を開いた後、頼朝は畠山重忠に命じて「かくれ里の祠」を探し当て、社殿を設けたのが始まりというお話です。「佐助」の名は、官職名「兵衛佐」を名乗っていた頼朝を助けたことに由来するそうです。
現在、鎌倉でお稲荷様と云えば、鶴岡八幡宮境内社の丸山稲荷を押さえて、まずはその名が浮かぶ著名な佐助稲荷ですが、長らく鶴岡八幡宮の境外末社のポジションにあり、明治四十二年(1909年)にようやく無格社として独立を果たし、現在は鎌倉・御霊神社の宮司兼任社となっています。
御祭神として、宇迦御魂命(うかのみたまのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)、佐田彦命(さるたひこのみこと)、大宮女命(おおみやひめのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)の五柱が祀られています。
なお佐助稲荷神社のご由緒、ご朱印、年中行事、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください 。
⇒佐助稲荷神社へ
佐助稲荷神社の魅力
◎境内を埋め尽くす白狐の陶像
◎佐助稲荷の長い歴史に重みを加える源頼朝との逸話
◎小ぶりな拝殿で奉納されるコンパクトな初午祭の鎌倉神楽
境内図
道標
こちらが佐助稲荷と銭洗弁財天の道標です。現在、銭洗弁財天にお参りする際には、普通、源氏山側の隧道を入っていくのがオーソドックスなルートとなっていますが、隧道が開通したのは昭和33年(1958年)のことで、本来の参道は、鎌倉駅より佐助稲荷に向う道の途中を右側に逸れ、旧こくに茶屋跡の脇に出てくる狭い道です。昔は地元の者しか知らず、他所の者に気づかれにくい場所であったことから、佐助稲荷と共に銭洗弁財天の社地は「隠れ里」と呼ばれておりました。
社号標
こちらは、「鎌倉総社佐助稲荷神社」とある社号標で、昭和39年(1964年)に江ノ電から奉納されたものです。当時、江ノ電は「江ノ島鎌倉観光(株)」という社名でした。
下拝所
鳥居群の入口右手には、上に登るのが困難な参拝者向けに下拝所が設けられています。もともとは社号標の手前に「下社」があり、お詣りもできておりましたが、社務所機能が拝殿横の授与所に統合されたことに伴い廃されたため、代わりとして建てられたものです。
鳥居群
稲荷社特有の鳥居のトンネルです。伏見稲荷の千本鳥居とは参りませんが、50基くらいの鳥居が、密度高く並んでいます。
途中、石橋があります。
石鳥居
こちらは、石段を上がった上の拝殿前にある石の鳥居です。昭和53年(1978年)に奉納されたもので、奉納者は「八仙閣」とあります。
振り返れば、こんなふうに鳥居が並びます。
鳥居横には境内でも一番力強い狐像が控えます。
鳥居を潜って左手はこんな感じ
手水舎
現在の手水舎の様子は、こんな感じ。
コロナ前には、こんなに水が湛えられていました。
拝殿
こちらが佐助稲荷に大きな被害をもたらした令和元年(2019年)の台風15号のあとに完成した拝殿です。
社号額は、以前の拝殿から引き継がれています。
本殿前石段
こちらが本殿前の少し急な石段です。
本殿
明治28年(1895年)に建てられた前の本殿は、令和元年(2019年)の台風15号で損壊し、現在その場所は4本の赤い柱に囲まれた神籬となっています。
神籬の手前の空間は、授与所でいただける陶器の狐で埋もれています。
台風15号被害の以前あった案内板には、万治二年(1659年)に刊行された鎌倉旅行記「金兼藁」に収録されていた「源十郎弥十郎事」という霊験譚が紹介されていました。狐を助けた魚屋の源十郎が、狐のいうように大根を栽培したところ、疫病に効能があり大いに売れて財を成しましたが、そこで建立した稲荷神社が現在の佐助稲荷であると伝わります。
御塚(おつか)
本殿から御塚へは、このような道が続きます。
台湾リスが木の実を食べていました。鎌倉の寺社には、たくさんの台湾リスが住み付いています。
こちらが、御塚(おつか)です。頼朝が社殿を建立するより前から信仰されていた磐座で、奥に石の宝塔が据えられています。
石鳥居(拝殿左手)
拝殿左手のこちらの鳥居は、苔がついて相応に年を経ているように見えますが、令和元年の台風15号のあとすぐに建てられたものです。
石祠群
時代も出自も分からない古い石祠が並んでいます。
拝殿左脇に鼻の欠けた狐像があります。
令和元年の台風15号の前は、このように配置されていました。
社務所兼授与所
令和元年の台風被害後に完成した社務所兼授与所です。以前、社務所は石段下にあった下社内に設けられていました。
脇に古神札納所が置かれています。
霊狐泉
霊狐泉は、稲荷山中腹の源泉として、古くより佐助から御成・由比ガ浜にかけての田畑を潤してきました。湧水の飲用はできませんが、ペットボトルで自由にお持ち帰りできます。
十一面観世音菩薩
縁結びの神様(仏様???)として祀られている十一面観音様の祠です。ご利益があるのなら・・・固いことは言いません。中に収められている十一面観音像は、良縁に恵まれず足柄郡のとある尼寺に出家した姫君「赤松幸運」が現世の若い男女の良縁を祈願して彫ったものと伝えられていています。毎年5月18日に御開帳され、宮司が般若心経と観音経をお誦みになります。
以前は、石段下の下社横に建てられていました。
平成の終わりごろの佐助稲荷
下社
令和元年の台風被害の前までは、石段下に下社が置かれ、社務所もこの中に設けられており、ご朱印もこちらで頂けました。階段を昇れないお年寄りは、こちらをお参りしていたのですが、下社が廃された後は、新たに置かれた下拝所がその役割を担っています。
石段
石段の鳥居群は、今と変わらぬ風景です。
拝殿
以前の拝殿です。石鳥居は変わりありませんが、この頃の瑞垣は、しっかりした石造でした。
この日の拝殿は、初午祭の支度が整えられていました。
こちらの畳の上で、鎌倉神楽が奉納されます。
旧本殿
現在、神籬となっている場所には、明治28年(1895年)に建てられた旧本殿の建物がありました。
拝殿左手旧鳥居
拝殿左手の鳥居は、令和元年の台風被害を機に建て替えられました。
石祠群
整理されていない苔むした祠と狐像に、歴史の積み重ねを感じます。
旧授与所
今の建物より小ぶりです。
初午祭の日には、甘酒が振舞われます。
最後までご覧いただきありがとうございました。以前より気になっていた佐助稲荷の記事をようやくアップ出来て、とてもうれしく存じます。
-
前の記事
花窟神社(はなのいわやじんじゃ)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第六回)~産田神社(うぶたじんじゃ) 2025.01.03
-
次の記事
記事がありません
コメントを書く