鎌倉・建長寺◆境内散歩(その4)◆半僧坊・勝上巘(しょうじょうけん)地蔵堂

鎌倉・建長寺◆境内散歩(その4)◆半僧坊・勝上巘(しょうじょうけん)地蔵堂

建長寺・境内散歩の最終回となる今回は、建長寺の最奥部「勝上巘(しょうじょうけん)」 にある半僧坊及び地蔵堂とその参道をご案内します。半僧坊は、明治二十三年(1890年)に、当時の建長寺住職・霄貫道(おおぞらかんどう)老師が、静岡県・浜松市の臨済宗・方広寺から奥山半僧坊大権現を建長寺の鎮守として勧請したお社です。ご祭神の半僧坊が天狗の姿をしておられるとの伝承から、天狗にまつわる沢山の造形を拝見することができます。かつて半僧坊が勧請されるまでは中央・五大尊、東・八幡、北・熊野、西・子神、南・第六天の四方鎮守が祀られていましたが、今なお神社としての外観を保っている鎮守は第六天社のみです。なお最後にけんちん汁の「五山」と甘味処「点心庵」も少しご紹介したいと思います。

なお建長寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒建長寺

奥山半僧坊大権現縁起

建長寺住職・霄貫道(おおぞらかんどう)老師が、半僧坊大権現 を勧請した浜松市の方広寺には、奥山半僧坊大権現の縁起として次のようなお話が伝わっています。

◆奥山半増坊大権現御本殿と半僧坊大権現御影

奥山半僧坊大権現サイトにリンク

◆奥山半僧坊大権現縁起
中国・唐に渡っていた遠江国・方広寺の開山・無文元選禅師が帰朝の折、台風に遇い遭難の瀬戸際となりましたが、法衣を着て袈裟をまとった天狗のような形相の異人が現れ、船を救いました。後に禅師が方広寺を開山した際、この異人は再び現れて、禅師の弟子となり禅師が遷化するまで身の回りのお世話を続けましたが最後に世の人々の災厄消除を誓って姿を消したそうです。 この異人は風体が半ば僧侶のようであったことから、周囲から「半僧坊」と呼ばれていました。その後方広寺の鎮守として長く信仰を集め、特に「厄難消除」「海上安全」「火災消除」にご利益があるとされています。

境内図

半僧坊・勝上巘(しょうじょうけん)参道

正統院石段前まで

「勝上巘(しょうじょうけん)」にある半僧坊及び地蔵堂に続く参道は、建長寺駐車場入り口の「点心庵」前にある道標からスタートします。正面に「従是勝上巘八町」とあるように、ここから平面・直線距離で900mくらいになります。総門を潜り、妙高院前の広場あたりから勝上巘を見上げると鎌倉地蔵尊霊場第十一番札所本尊の勝上巘地蔵尊をお祀りする地蔵堂が遠くに見えます。

勝上巘地蔵堂

こちらは、震災供養塔付近にある「勝上巘半僧坊道」の道標です。半僧坊には、このまま道沿いに北へ進んでいきます。

こちらは、宝珠院下にある道標です。「勝上巘地蔵尊道」とあります。

こちらは、龍峰院石段下にある「杉之谷瓣才尊天」の石碑です。この石段に向かって右手の石垣の上の華厳院跡には、昔「杉之谷瓣才尊天」が祀られていましたが、現在はその基壇上に、正統院石段下の旧・金剛院跡(現在の河村瑞賢墓)にあった七重石塔「華厳塔」が移築されています。 建長寺の創建当初に建立された「大華厳塔」 は立派な木造七重塔だったそうですが 正和四年(1315年)に焼失し、後に北条貞時の十三回忌に再建されましたが再び焼失してしまい、後は石塔として再建されていました。

なお「法堂」には、現建長寺管長の吉田正道老師の発願により大華厳塔復興を祈念して製作された「華厳小宝塔」が展示されています。五重塔なのですが、初層に裳階(もこし)を設けているため六重に見えます(ちょっと立派すぎる裳階かもしれません)。目標通り蘭渓道隆没後750年に該る2028年に大華厳塔が再建できるといいですね。

こちらが、正統院石段の登り口になります。正面が正統院、左手が旧・宝蔵です。大正時代の参道図を見ますと、このあたりに交番があったそうです。右手に「半僧坊道」と刻まれた大きな道標があります。

旧・半僧坊中店通

今は完全に建長寺境内に組み込まれてしまっていますが、大正時代には、旧・宝蔵付近から半蔵坊参道入口の達磨大師像付近までの参道は「半僧坊中店通り」と呼ばれ茶店が並んでいました。今でもその名残か、飲み物の自動販売機が置かれた古い建物が残っています。

半僧坊参道入口から見た旧・中店通り

この区間は、春先に、いろいろな花が楽しめます。

アカヤシオ
ムラサキナバナ
モモ
ニチニチソウ
レンギョウ

石畳の参道入口

狛犬が置かれた石畳の参道入口で道は三方に別れます。手前左の石段を登ると建長寺の大檀那であった河村瑞賢父子の墓があり、達磨大師銅像のある右手に進むと塔頭の回春院に向かいます。

この達磨大師の銅像は、達磨大師ゆかりの中国少林寺より託されたものだそうです。。

達磨大師銅像

石畳の参道と三基の鳥居

石畳の参道に入ると三基の鳥居が並んでいます。手前から順に青銅・鉄・石で出来ています。この付近の桜の頃の風景は、こんな感じ。

つつじ
モクレン

勝上巘石段

鳥居を過ぎると、九十九折の長い石段が続きます。

石楠花

途中、様々な講中の石碑が立ち並びます。石段の終わりの方で、女人坂が右手に別れます。

夏の参道

緑が豊かな夏の晴れた日の参道は、こんな感じ。

旧・半僧坊中店通
旧・半僧坊中店通
九十九折の石段
色々な講中の石碑

紅葉の参道

秋が深まると、参道の紅葉や銀杏も色付きます。

桔梗
九十九折の石段

半僧坊大権現

大天狗・烏天狗像

次第に、大天狗・烏天狗の銅像が見えてきます。現時点では、大天狗二体、烏天狗十体が奉納されています。

大団扇の彫刻

石段左手の崖の岩肌に大団扇が彫り込まれています。

こちらは、手水鉢です。境内より少し石段を降りたところにあります。何にしても高い場所なので、給水上の都合でこうなったのかも知れません。

御本殿

半僧坊の境内は、こんな感じ。御本殿には大きな提灯が掲げられています。脇の部屋には大きな団扇の衝立が置かれていました。

お百度石

建長寺・総門から百往復は、一日では不可能です。半僧坊下の鳥居から約250段の石段を百往復するのも、ほとんど命がけです。この世への深い執着を刻むことにならないとよいのですが。

お百度石

ご朱印所

こちらは、客殿に付属するご朱印所です。こちらで頂けるご朱印は「半僧坊大権現」及び、鎌倉二十四地蔵尊霊場第十一番札所「勝上巘地蔵尊」の二種類です。

相模湾見晴台

ご朱印所の前の「相模湾見晴台」付近からは、建長寺の伽藍を始め、遠く相模湾まで見渡せます。

富士見台

こちらは、大きな富士山を拝める富士見台です。

勝上巘地蔵堂

勝上巘地蔵堂は、半僧坊が建立される前から勝上巘にあり、もともとは、半僧坊本殿の場所に建っていました。半僧坊が建立された際に、客殿より少し東側の巨福主山登口に移され現在に至ります。鎌倉二十四地蔵尊霊場の第十一番札所本尊「勝上巘地蔵尊」が祀られています。

河村瑞賢墓

東廻航路・西廻航路の開設及び大坂の治水工事で有名な江戸時代初期の豪商・河村瑞賢とその子・墨斎の御墓が、半蔵坊石畳手前左側の石段を上ったところにあります。先に触れたとおり、建長寺開創当初は、この場所に七重の華厳塔があり、焼失後は金剛院が置かれていましたがそれも廃され、昭和九年に他の場所にあった河村瑞賢の御墓がここに移され現在の形になりました。

夏の河村瑞賢墓地入口
晩秋の河村瑞賢墓地入口

左奥が河村瑞賢、右手前がその子・墨斎の御墓です。

虫塚

石畳の参道を入るすぐ左手に、ゾウムシの収集で有名な解剖学者・養老孟司氏の発願による「虫塚」があります。人工物を象徴した無機質な虫かごを思わせるオブジェは建築家・隈研吾氏のデザインです。

けんちん汁「五山」

「けんちん汁と云えばこのお店」となる蕎麦処「五山」の別館が、建長寺のすぐ前にあります。なお本店は、明月院踏切の建長寺側すぐ横です。

甘味処「点心庵」

建長寺にお参りする都度、つい足が向いてしまう甘味処の「点心庵」です。これから夏にかけては白玉抹茶あずきのかき氷が一番でしょう。なお左下の道標には「従是勝上巘八町」とあります。

最後までご覧いただきありがとうございました。四回に分けてご紹介してきた建長寺境内散歩ですが、さすが鎌倉随一の大寺だけのことはあって、調べものだけでもかなりのボリュームでした。何れ円覚寺にも取り掛かりたいと思います。