鎌倉・宝戒寺~聖天供(しょうてんく)2019年~

鎌倉・宝戒寺~聖天供(しょうてんく)2019年~

鎌倉・宝戒寺は、鎌倉幕府執権を代々務めた北条一門の菩提を弔うために後醍醐天皇の発願により建立された天台宗の寺院です。その境内の一番右奥にあるお堂が「大聖歓喜天堂(だいしょうかんぎてんどう)」で、ご縁日の毎年5月23日には「聖天供(しょうてんく)」が修されます。

なお宝戒寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
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境内の様子

「聖天供」の前日、5月22日には「徳崇大権現・大般若転讀会」が修され多くの檀家・参拝者が参列しましたが、この日は境内も大分落ち着いた感じでした。

大ぶりなアカンサスが青々と育ってきました。咲くと下向きの白い花をたくさん付けます。

聖天供5月23日のアカンサス
昨年6月ごろのアカンサス

大聖歓喜天堂

この日の「大聖歓喜天堂(だいしょうかんぎてんどう)」は緑に包まれ輝いて見えました。

提灯には、聖天様の象徴とされる「巾着袋」と「二又大根」が描かれています。 「巾着袋」は砂金袋をイメージしたもので、聖天様の御利益の大きさを表します。また二本の「二又大根」が交差した図柄は男女交合をイメージしたもので、悪神「毘那夜迦(ビナヤカ)」と十一面観世音菩薩との一体化を象徴します。

巾着袋
交合した二本の二又大根

二月から三月にかけては「大聖歓喜天堂」付近は、梅がとてもきれいです。

「大聖歓喜天堂」堂内

中央に見える厨子に、宝戒寺二世・普川国師・惟賢和上が国家鎮護を祈念し造立した秘仏「大聖歓喜双身天王」(国重要文化財)が収められています。聖天様というと「浴油行」に適した小振りな金属製の像が多いのですが、宝戒寺の聖天様は、像高1.5mにもなる木像で、造形的に優れ保存状態も良好だそうです。また、極めて強烈な力を持つ歓喜天は、祀り方を誤れば逆に災いをもたらすことから、右手に十一面観音菩薩像を配すことで歓喜天の力を更に制御しています。

歓喜天像は、象頭の強力な悪神「毘那夜迦(ビナヤカ)」を十一面観世音菩薩が象頭の女天 に化身して抱擁・一体化することで、毘那夜迦の力をコントロールし仏教の護法神に転じさせた姿を造形したものです。 このことは、向かって左手の象頭の女天(十一面観世音菩薩の化身)の足が、右手の毘那夜迦(男天)の足を踏んでいることに象徴されています。なお毘那夜迦は、ヒンドゥー教の象頭の神ガネーシャの別名とされています。

向かって左手の小振りの厨子には、鎌倉市指定文化財の地蔵菩薩坐像が鎮座します。

聖天供(しょうてんく)

ご本堂より、ご住職以下の皆さんが大聖歓喜天堂に向かいます。

参列する皆さんは、「塗香(ずこう)」で身を清めて堂内に入ります。大聖歓喜天堂の入口に立つお坊様より粉末状の塗香を左手に頂き、右手の中指と人差し指で口を浄めた後、両手に塗り広げ、さらに胸とお腹に塗ります。

堂内では、ご住職が印を結び真言を唱えられた後、参列者全員で「法華経・観世音菩薩普門品第二十五」「般若心経」を読誦し、ご焼香させて頂きました。

清浄歓喜団(せいじょうかんぎだん)

聖天供を終えた後、参列者はお下がりの「清浄歓喜団(せいじょうかんぎだん)」を頂戴しました。もともと「モーダカ」というインドのお菓子で、日本では聖天様にお供えする定番のお菓子となっています。

七種類の香辛料(白檀、桂皮、龍脳、薄荷、丁子、肉桂、胡椒)を練り込んだこし餡を、米粉と小麦粉を練り合わせた厚い皮で、包口が八葉の蓮華を模した形になるよう茶巾状に丁寧に包み込み、ごま油で硬く揚げたもので、現在では京都・祇園の「亀屋清永」(創業元和三年(1617年))でしか作られていません。奈良時代に日本に伝来した秘伝の製法で作られた千年菓子の一つで、当時は貴族しか食べられませんでした。

最後までご覧いただきありがとうございました。この日は、帰宅後「清浄歓喜団」を頂戴し、聖天様がお生まれになった古代インドの香りと食感を、時空を超えて楽しませていただきました。