鎌倉・成就院◆境内散歩◆
- 2018.12.28
普明山法立寺成就院は、江ノ電・長谷駅と極楽寺駅の中間、極楽寺坂を見おろす高みにある真言宗大覚寺派のお寺です。新田義貞の鎌倉攻めに際して焼け落ちたため、現在の西鎌倉駅の近くにある西ヶ谷に移転していましたが、江戸時代になって、再び現在の地に帰ってきました。鎌倉時代には法立寺というお寺の塔頭であったのかも知れません。 由比ヶ浜を望む東北参道には、般若心経の文字数と同じ262株の紫陽花が植えられ、鎌倉でも […]
神に抱かれ仏と共に歩む日々…
普明山法立寺成就院は、江ノ電・長谷駅と極楽寺駅の中間、極楽寺坂を見おろす高みにある真言宗大覚寺派のお寺です。新田義貞の鎌倉攻めに際して焼け落ちたため、現在の西鎌倉駅の近くにある西ヶ谷に移転していましたが、江戸時代になって、再び現在の地に帰ってきました。鎌倉時代には法立寺というお寺の塔頭であったのかも知れません。 由比ヶ浜を望む東北参道には、般若心経の文字数と同じ262株の紫陽花が植えられ、鎌倉でも […]
鶴岡八幡宮では12月16日(日)に「御鎮座記念祭」が執り行われました。 鶴岡八幡宮は、康平六年(1063年)に、源頼義が、京都・石清水八幡宮を材木座の元八幡の地に勧請したことに始まります。その後、治承四年(1180年)に、源頼朝が現在の地(旧小林郷北山)に遷座しましたが、建久二年(1191年)3月3日の火災で焼失したため、大臣山の中腹を切り開いて社殿を造営し改めて同年11月21日に京都・石清水八幡 […]
鎌倉三十三観音霊場第十五番札所・円龍山向福寺は、鎌倉・材木座の京急バス「五所神社」停すぐ横にある時宗のお寺で、開山は一向宗の祖・一向俊聖(いっこう しゅんしょう)です。一向宗は、踊念仏系では時宗に次ぐ規模でしたが、江戸時代に幕府の寺社政策上の理由で、踊念仏系の宗派が時宗に統合されたため、現在は藤沢の遊行寺(清浄光寺)の末寺となっています。長年、時宗からの独立を模索していた旧・一向宗中心寺院の番場蓮 […]
「紅葉の日光遠征記」最終回(第十回目)となる今回は、前回に続き「日光東照宮」をご紹介します(今回は後篇です)。日光東照宮は始め「東照社」と称しており、「寛永の大造替」も終わった後の正保二年(1645年)に朝廷より宮号を賜り、初めて「東照宮」となりました。駿河からの改葬当初は質素だった建物ですが、「寛永の大造替」により日光東照宮の御本社は、拝殿・石の間・本殿(いずれも国宝)からなる豪華な権現造に生ま […]
「紅葉の日光遠征記」第九回目の今回は、前回に続き「日光東照宮」をご紹介します(今回は中篇です)。日光東照宮で最も有名な建物と云えば、何と言っても昨年(2017年)に修復成った国宝「陽明門」でしょう。 絢爛豪華な安土桃山文化の集大成ともいえる江戸前期の代表的建築物で、狩野探幽を中心とした狩野派が総力を結集して造り上げた装飾美の極致です。またご本殿と共に、日光東照宮の宗教体系上の核となる建築物である「 […]
「紅葉の日光遠征記」第八回目の今回は、シリーズ最後となる「日光東照宮」をご紹介します(なおボリュームがありますので、前・中・後篇に分けさせてください)。これまでご紹介したとおり、日光山は東照宮が建立される以前から東日本一の霊場として高い地位を占めていたわけですが、東照宮を通じて徳川将軍家と結びつくことにより、以降200年以上に亘り最盛期を迎えることになります。祭神は、ご存じの通り東照大権現・徳川家 […]
隋我山来迎寺は、材木座の住宅地に入り込んだ少しわかりにくい場所にあります。まず大町四つ角から小町大路を南に200mほど進んだ右手にある向福寺をやり過し、直ぐ左の五所神社参道に入り、さらに突当りを五所神社の鳥居を見ながら左折して50mほど行くと来迎寺の寺銘碑が見えます。現在の来迎寺は、時宗・総本山遊行寺の末寺ですが、源頼朝が、平家打倒の挙兵を助けた三浦義明の霊を弔うため、建久五年(1194年)に建立 […]
坂東三十三観音霊場・第十八番札所の中禅寺(立木観音)は、栃木県日光市街から「いろは坂」を登り切リ「華厳の滝」を過ぎた先の中禅寺湖畔に建ちます。延暦三年(784年)に、日光山を開闢した勝道上人が、中禅寺湖北岸にある日光二荒山神社中宮祠境内の男体山・登拝口のあたりに神宮寺を建てたのが始まりで、長らくその場所にありましたが、明治35年(1902年)9月の山津波で流されたため、現在の中禅寺湖東側の歌ヶ浜に […]
長寿寺は、鎌倉駅東口から江ノ電バスに乗り、建長寺停から200mくらい北鎌倉方面に歩いた左側にある臨済宗建長寺の塔頭寺院です。以前は境内が非公開で、また何れの霊場の札所もお務めではないこともあって、全国区で知られたお寺ではありませんが、紅葉の美しさでは、とにかく鎌倉の寺院でNo1と云ってよいと思います。ここは元々足利尊氏公の鎌倉での屋敷があった場所で、北側のやぐらには足利尊氏公のお墓も残っています。 […]
「紅葉の日光遠征記」第七回目の今回は、男体山を背に中禅寺湖を望む「日光二荒山神社・中宮祠」の様子をご紹介します。中宮祠は、男体山=大己貴命(おおなむちのみこと)をお祀りする神社として、勝道上人により、天応二年(782年)の男体山登頂の二年後の延暦三年(784年)に建立されました(同時に「中禅寺」も中宮祠の神宮寺として同じ中禅寺湖北岸の敷地に創建されています)。以来1200年以上の長きにわたり、男体 […]