新宮(今宮)◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その11)◆後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇

新宮(今宮)◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その11)◆後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇

鶴岡八幡宮・新宮(いまみや)は、今宮とも記され、後鳥羽上皇と、第一皇子の土御門上皇、第三皇子の順徳上皇の三柱をお祀りしています。承久の乱に敗れ隠岐に流された後鳥羽上皇が延応元年(1239年)に崩御すると、翌仁治元年(1240年)に神宮寺の裏山が地震で崩れ、続いて仁治二年(1241年)には浜の大鳥居(現在の一の鳥居の前身)の拝殿が津波で流され、さらに寛元三年(1245年)の元旦には大風で三基の鳥居が倒れるなど天変地異が続いたことから、隠岐に流された後鳥羽上皇、および佐渡に流された順徳上皇の怨霊を鎮めるために、当初は、護持僧の長賢を併せた三柱を御祭神として、宝治元年(1247年)に創建されました。 自ら望んで土佐に配流となった土御門上皇を、長賢に代えてお祀りすることで現在の形になったのは、明治期のことです。創建から室町期にかけては上野国片山荘など神領を持ち別当坊が置かれるなど、鶴岡八幡宮の末社の中では、特別なポジションにありました。新宮の鎮座地は、本宮とは少し離れて、県道24号線を鶴岡八幡宮境内の西側を県道24号線で北上し、鶴岡文庫前を右に入るとすぐに左折し北方向に進んだ突き当たりで、かつて鶴岡二十五坊が並んでいた御谷(おやつ)の一筋東側の谷戸(東谷)の最奥になります。

境内図

鶴岡八幡宮境内図・新宮

御谷休憩所

こちらは、鶴岡八幡宮の北西隅の鶴岡八幡宮駐車場脇にある御谷休憩所で、鳩サブレの豊島屋が運営しています。本宮から新宮に向かう途中にあります。

鶴岡文庫

鶴岡八幡宮に伝わる古文書を始めとした資料や収蔵品が保管されています。以前は公開されていたのですが、現在は学術研究機関なっており、一般への資料公開は行われておりません。

参道

鶴岡文庫の東側をまっすぐ北に延びる参道で、突き当りが新宮となります。

鳥居

新宮の鳥居は、鮮やかな赤の明神鳥居です。奥に本殿が見えます。

石燈籠

鳥居をくぐって短い石段を上った両脇に一対の石灯籠があります。もともとは、宝暦三年(1753年)に播磨明石城主・松平直純により本宮前に奉納されたものですが、後にここに移されました。

神饌井

こちらは昭和3年(1928年)に整備された神饌井です。

本殿

令和元年(2019年)の台風の影響で倒木に押し倒され損壊したため、令和3年(2021年)に建て直されたものです。屋根は銅葺の流造りで、白木に黄金色の金具が美しいお社です。

この度の災害後、本殿の背後には、山崩れ・落石等に対処するためのコンクリートの障壁が設けられました。

旧本殿

こちらは、令和元年(2019年)の台風で損壊した旧社殿です。昭和37年(1962年)に建てられたコンクリート製の社殿で、「今宮」の社号額が掲げられています。

台風により、社殿に向かって右奥の木が倒れました。

旧社殿は切妻で、外削の千木の間に五本の鰹木が並んでいます。

倒壊直後の本殿

和元年(2019年)の台風の影響で損壊した社殿の写真です。本殿が再建されるまでの間は、御祭神は本宮に御動座なさっておりました。

壊れた社殿には白色のビニールシートがかけられており、後ろには倒れた木の根元部分が残されています。

例祭

令和2年(2020年)の例祭は、本殿が再建されていないため、本宮西側の宇佐八幡宮遥拝所にて執り行われました。祭主がいらっしゃいます。

鶴岡八幡宮宮司は、参列者として着席していらっしゃいます。新宮は、三上皇の怨霊を鎮めるという創建以来の目的から、旗上弁財天社や丸山稲荷社のように氏子組織を持たないため、参列者は、鶴岡八幡宮の神職の皆様だけとなります。

修祓

祝詞奏上

祭主一礼

祭主退下

最後までご覧いただきありがとうございました。新宮は、一般の観光客が足を延ばすことの少ないお社で、いつも静かな佇まいを保っておられます。