甘縄神明神社◆境内散歩◆鎌倉最古の神社~安達盛長・染屋時忠
- 2026.01.22
- 境内散歩
長谷の神輿山(じんよざん)の中腹にある甘縄神明神社は、和銅三年(710年)に長谷の豪族・染屋時忠により開創されたと云われる鎌倉最古の神社で、開創の当初は、神輿山上に神明宮、山麓に神輿山円徳寺という寺院が建てられたと伝わります。なお甘縄神明神社は、「吾妻鏡」では「伊勢別宮」と度々呼ばれていたことや、甘縄神明神社の名が定まったのは昭和7年(1932年)のことで、長らく甘縄神明宮、甘縄神明社という名で親しまれてきたことから、当初より伊勢神宮の別宮として建てられたのではないかという有力説もあります。
現在の主祭神は天照大御神で、配祀神として倉稲魂命、伊邪那美命、武甕槌命、菅原道真が祀られています。
なお甘縄神明神社のご由緒、ご朱印、年中行事、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください 。
⇒甘縄神明神社へ
- 1. 甘縄神明神社の魅力
- 2. 境内図
- 3. 由比ケ浜駅から甘縄神明社方面
- 4. 染屋太郎太夫時忠邸阯
- 5. 甘縄神明神社参道
- 6. 旧加賀谷邸
- 7. 旧川端康成邸
- 8. 鳥居
- 9. 甘縄神明宮石標(宝永)
- 10. 甘縄神明宮石標(明治)
- 11. 安達盛長邸阯石碑
- 12. 石灯籠
- 13. 手水舎
- 14. 旧甘縄院阯
- 15. 万葉歌碑
- 16. 鎮魂碑
- 17. 北条時宗公産湯の井
- 18. 神輿庫
- 19. 大石段
- 20. 狛犬
- 21. 拝殿
- 22. 本殿前石段
- 23. 本殿
- 24. 五所神社
- 25. 秋葉神社
- 26. 拝殿前石灯籠
- 27. 屋根修理記念碑
- 28. 米寿の碑
- 29. 長谷公会堂
- 30. 正月の風景
- 31. 桜の頃
- 32. 初夏の頃
- 33. 長谷の灯り
- 34. 例大祭
- 35. 長谷の市
- 36. 稲瀬川
甘縄神明神社の魅力
◎和銅年間に遡る鎌倉最古の歴史
◎謎の人物開創・染屋時忠にまつわる伝説
◎甘縄に居を構えた頼朝の忠臣・安達盛長の事績
境内図

由比ケ浜駅から甘縄神明社方面
甘縄神明神社への最寄り駅は、江ノ電・由比ケ浜駅です。改札を出ると「海岸通り」で、これを北西に進み「由比が浜通り」に向かいます。


染屋太郎太夫時忠邸阯
途中の左手に「染屋太郎太夫時忠邸阯」があります。由比の長者とも呼ばれる染屋時忠は、歴史の教科書には出てきませんし、歴史ドラマや映画でもまず目にすることのない人物です。しかし源氏の支配が確立される以前の古い鎌倉世界では、伝説の人として知られ、文武天皇の御世(697~707年)から神亀年中(724~728年)に至る間、この場所に居を構え、東八箇国の総追捕使(そうついぶし)を命じられるほどの武将でした。
時忠は、大化の改新の中心人物の一人・藤原鎌足の玄孫という名家の血筋で
、東大寺開山の良弁(ろうべん)の父とも云われています(異説あり)。 由比ガ浜に逗留中の藤原鎌足が「鎌槍」を松が岡に埋めたことから「鎌倉」の地名が生まれたという伝説があるように、鎌倉と藤原鎌足との関係は深く、浄明寺の開山堂には藤原鎌足像が安置され隣接地には鎌足稲荷が祀られています。

さらに時忠を廻っては、三歳の娘が大鷲に攫われて、食べられてしまったという悲しい物語も伝わります。時忠は、鎌倉中をさがしまわり散らばった肉片・骨片を見つけては、そこに供養塔を建てたそうで、その場所は「塔の辻」と呼ばれるようになりました。かつては7カ所あったそうですが、現在では笹目郵便局のそばに唯一石塔が残っています。また円覚寺の裏山の六国見山で娘の亡骸を見つけたことから「稚児の墓」が建てられ今もお参りできます。下の写真は、時忠の娘が大鷲に乗る「おとりさま」像で、境内に大鳥神社(鷲の宮)を祀る松葉ケ谷の妙法寺に伝わります。

甘縄神明神社参道
伊勢神宮との深い繋がりを示す「長谷鎮守 甘縄神明宮」の社号標が、由比ガ浜通沿いの参道入口に立っています。右側面には「伊勢皇大神宮別宮」、裏面には「令和元年九月建之」とあります。かつて甘縄神明神社は、伊勢別宮として源頼朝公の崇敬を受けたことから甘縄神明宮と呼ばれ、頼朝公は、文治三年(1186年)に社殿を修理し、荒垣及び鳥居を奉納しています。

こちらが甘縄神明神社の参道で、突き当りに石の鳥居が見えます。

旧加賀谷邸
鎌倉には、明治以来の洋風建築が多く残されていますが、旧加賀谷邸もそのひとつで、和洋折衷様式が特徴となっています。洋館部分は、高い天井と大窓という開放的な洋風デザインとなっているのに対し、日本建築の母屋には縁側があり、日本人には馴染み深い空間となっています。大正期に建てられて以降、一時は直木賞作家の山口瞳も住んでいたそうです。


今は、「北橋」という名の食事処となっており、和室側が蕎麦屋さん、洋室側がカフェになっています。

旧川端康成邸
鳥居に向かって左手の路地の突き当たりとその左手が、旧川端康成邸で、昭和43年(1968年)にノーベル文学賞を受賞した当時、ここにお住まいでした。現在は川端康成記念会が置かれています。

鳥居
こちらは大正2年(1913年)に奉納された石鳥居です。

甘縄神明宮石標(宝永)
こちらの「甘縄神明宮」とある石標は、宝永六年(1709年)に立てられたものです。右側面には、八幡太郎義家氏神とあります。 この年は、当社を中興した京都・妙心寺の独園和尚示寂の年で、弟子の瑞峯祖堂が別当寺甘縄院の住持となった頃にあたります。

下の写真は明治後期に撮影されたものですが、左手前にあるのが上と同じ「甘縄神明宮」の石標です。隣にあるはずの石鳥居が写っていないのは、この時期には、現在「長谷鎮守 甘縄神明宮」の社号標 が建てられている由比ガ浜通り沿いの参道入口にあったためです。

甘縄神明宮石標(明治)
こちらは明治42年(1909年)に長谷の有志により奉納された石標で、元神奈川県知事の沖守固男爵の書です。「甘縄神明宮 源義家朝臣再建」とあります。源頼義公が甘縄神明宮に祈願したところ嫡男の義家公が生まれたことから、康平六年(1063年)に当社を修復し、義家公自身もまた永保元年(1081年)に当社を再建しました。

安達盛長邸阯石碑
甘縄神明神社のある神輿山の麓には、源頼朝が流人の頃からの側近・安達盛長の屋敷がありました。盛長は、鎌倉殿の十三人の一人にも数えられる有力な御家人で、子孫も北条得宗家の外戚として力を振るいましたが、曾孫の泰盛の代に、霜月騒動により内管領・平頼綱らに滅ぼされました。

石灯籠
鳥居をくぐって、石段を数段上がったところに左右一対の石灯籠があります。いずれも大正13年(1924年)に奉納されたもので、向かって左には「青年団」右には「消防組」とあります。


手水舎
こちらのボリューム感満点の手水石は、昭和12年(1937年)に石材商の原七三郎という方から奉納されたものです。もともとの別当寺甘縄院が臨済宗のお寺だったせいか、禅寺の手水石っぽく「漱石」と彫られています。


旧甘縄院阯
手水舎の裏手に、甘縄神明宮の別当寺であった甘縄院に関係する石碑や石塔がまとめられています。甘縄院は明治20年(1887年)に廃されましたが、それまで染屋時忠の位牌もあったそうです。

写真中央最奥の卵塔は、18世紀初に甘縄院住職であった瑞峯祖堂の墓碑です。

万葉歌碑
こちらには万葉集より「鎌倉の 見越(みごし)の崎の 石崩(いはくえ)の 君が悔ゆべき 心は持たじ」の歌が刻まれています。万葉集が詠まれた頃には、このあたりまで海岸が迫っていたようです。そもそも「甘縄」という地名も、海と関係のある「海士(海女)」と「漁網」を意味すると云われています。

鎮魂碑
先の大戦で亡くなった方々の鎮魂碑です。昭和50年(1975年)に建てられたものです。

北条時宗公産湯の井
大石段に向かって左手にあるのが「北条時宗公産湯の井」です。元寇を退けた執権として有名な北条時宗は、祖母の松下禅尼が、安達盛長の嫡男・安達景盛の娘であったことから、甘縄神明宮下の安達屋敷で出生しました。

神輿庫
ガラス越しに、二基の神輿が見えます。
向かって左側が明治期に、右側が昭和に入ってから製作されたものです。





大石段

大石段の上からは、海岸が遠くなってしまった現在でも、由比ガ浜の沖が見渡せます。

狛犬
両脇の狛犬は、昭和12年(1937年)に、本殿・拝殿の再建にあわせて「長谷同和会」により奉納されたものです。


拝殿
現在の拝殿は、天保九年(1838年)に建てられた以前の拝殿が 関東大震災で全壊したものを、昭和12年(1937年)に再建したものです。背後に幣殿を備えており、上からはT字型に見えます。




天照大神は女神であるはずですが、不思議なことに伊勢神宮と同じく千木は男神を表す外削になっています。これが、天照大神男神説の根拠の一つとなっています。

本殿前石段
この写真は、正月に撮影したため、拝殿の背後の扉が開け放たれています。


本殿
天保九年(1838年)に建てられた以前の本殿も関東大震災で半壊し、拝殿と同じく昭和12年(1937年)に再建されました。ご本殿には、天照大神像と共に、源義家公の座像が祀られています。

五所神社
五所神社は、もともとは長谷寺境内にあった長谷の鎮守・五社明神(神明、春日、白山、稲荷、天神)を、明治20年(1887年)に遷座したものです。


秋葉神社
こちらが、防災の神様・秋葉神社です。最近階段の補修が行われたようで、小さな記念碑が立っています。





拝殿前石灯籠
こちらの石灯籠は、享保十五年(1730年)に奉納されたものです。

屋根修理記念碑
社殿の屋根の葺き替えの記念碑です。平成10年(1998年)に建てられました。

米寿の碑
裏面には、昭和29年(1954年)に、長谷で酒類販売業「萬屋本店」を営む石渡惣左衛門氏の米寿を記念して御影石の玉垣を奉納した旨、記されています。このお店は、現在、レストラン「萬屋本店」となっています。

長谷公会堂
鳥居のそばには長谷公会堂があり、甘縄神明神社で行われる催しでも利用されています。


正月の風景
大石段には、カラフルな提灯が掲げられています。大石段下の二基の石灯籠は、昭和29年(1954年)に奉納されたものです。





正月には、拝殿の背後の扉が開かれ、拝殿に上がって参拝することができます。


神輿庫前に受付があり、神札等を頒布していただけます。

こちらは、古神札納め所です。

桜の頃

初夏の頃




長谷の灯り
以前、長谷・極楽寺エリアで夏の終わりに開催されていたイベント「かまくら長谷の灯かり」でライトアップされた境内の様子です。




例大祭
甘縄神明神社の例大祭は9月14日に式典が行われますが、東町・大仏・坂ノ下とお神輿がお渡りする神幸祭は、14日に近い日曜日となります。現在、甘縄神明社は大町の八雲神社の兼務社となっていますので、神事は八雲神社の神主がおつとめになります。





長谷の市
「長谷の市」は、毎年4月と10月に長谷の門前商店街が主催するイベントです。甘縄神明神社境内は、朝市の会場となります。








稲瀬川
稲瀬川は、甘縄神明神社から長谷寺に向かう途中、三橋交差点前に流れる細い川で、由比ガ浜通にかかる「三橋」より北側は暗渠になっています。鎌倉期には「水無瀬川」と呼ばれ、この川の東岸までが鎌倉市街とされていました。歌舞伎の白波五人男が見得を切る「稲瀬川勢揃いの場」というのは、まさにこの川のことです。


最後までご覧いただきありがとうございました。鎌倉最古の甘縄神明神社ですので、いつかはご紹介しようと思いつつやっと記事にできました。
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