鎌倉・本覚寺◆境内散歩◆

鎌倉・本覚寺◆境内散歩◆

「鎌倉えびす」で知られる妙厳山本覚寺は、室町時代・永享三年(1436年)に日出上人が鎌倉公方・足利持氏の支援により創建した日蓮宗のお寺です。この場所にはもともと佐渡配流から鎌倉に戻った日蓮上人が 辻説法の拠点とした天台宗系の「夷三郎社」がありましたが、新田義貞の鎌倉攻めに際して焼失したため、本覚寺の創建と共に境内に「夷堂」が再建されました。また日蓮宗総本山の身延山久遠寺より日蓮上人のご遺骨の分骨を受け、境内の「日蓮御分骨堂」にお祀りしていることから「東身延」とも呼ばれて来ました。若宮大路沿いに門を構えることが禁じられていたことから、山門(仁王門)は小町大路側にありますが、鎌倉駅からは、鶴岡八幡宮のニノ鳥居交差点をコンビニ側に右折し100m程進むと右手に裏門がありますので、ここから境内に入るのが便利です。

なお本覚寺のご由緒、ご朱印、年中行事、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒本覚寺へ

本覚寺の魅力

◎正月の鎌倉を一段と賑やかにする鎌倉えびす

◎日蓮上人の御遺骨に向かい手を合わせることができる東身延・日蓮御分骨堂

◎名刀の代名詞「正宗」を鍛えた「相州伝」刀工の祖・岡崎正宗の墓所

◎眼病を克服したため目にご利益ありと崇められた二代目住職の名を頂く「日朝さま」の別称

仁王門・夷堂橋

仁王門は、江戸時代に建築されたもので、三浦半島方面の寺院から明治時代になって移築されたものだそうです。数年前に、阿形・吽形の仁王像と共に修理が施されました。

阿形
吽形

こちらの経石には「東身延」と刻まれています。

小町大路に面した仁王門のすぐ前の滑川に架かる橋が、鎌倉十橋の一つ「夷堂橋」です。鎌倉時代に仁王門付近にあった「夷三郎社(夷堂)」に由来します。

◆鎌倉十橋
江戸時代に、「新編鎌倉志」において選定されたもので、各々様々な云れが残されています。以下アイウエオ順にご紹介します。
(1)歌の橋(うたのはし)
金沢街道の「岐れ道」と「杉本寺」の間、荏柄天神「一の鳥居」付近にあります。死刑宣告を受けた渋川刑部六郎兼守が詠んだ和歌に、鎌倉三代将軍・源実朝が感銘し助命されたことから、兼守がそのお礼に架けた橋と云われています。
(2)夷堂橋(えびすどうばし)
本覚寺門前にある橋で、旧・夷堂の前にあったため、こう呼ばれています。
(3)勝の橋(かつのはし)
江戸時代に、徳川家康の側室で英勝寺を建立した「お勝の方」が架けた橋で、寿福寺の山門前にありました。
(4)裁許橋(さいきょばし)
御成小学校門前から南に進んだところで佐助川に架かる橋です。鎌倉時代に幕府の問注所(現在の裁判所)のすぐ近くにあったことから、このように名付けられました。
(5)逆川橋(さかがわばし)
大町四ツ角から南に下ったところで「逆川(滑川の支流)」に架かる橋 です。このあたりは流れが南から北になり、北から南へと流れる通常の鎌倉の川の流れに逆行するように見えることからこう呼ばれます。
(6)十王堂橋(じゅうおうどうばし)
鎌倉街道を北鎌倉駅から北に進んだところで小袋谷川に架かる橋です。昔この付近に閻魔様など十王をお祀りした「十王堂」があったことから名づけられました。
(7)筋替橋(すじかえばし)
横浜国大付属小学校の入口にあった橋で、道に対して橋が斜めに架けられていたことからこのように名付けられたそうです。今は石碑が残されているだけです。
(8)針磨橋(はりすりばし)
極楽寺駅から稲村ケ崎の方向に向かったところにあります。昔この付近に針を磨いて仕上げる商売をしていた老婆がいたとも、極楽寺にいた僧侶「我入道」が針を磨いていたとも云われています。
(9)琵琶橋(びわばし)
下馬四つ角から若宮大路を少し南に下った所で佐助川に架かる橋です。 この名は、由比ヶ浜公会堂から若宮大路に抜ける琵琶小路に由来するとのことです。
(10)乱橋(みだればし)
大町四ツ角から小町大路を南に下り、妙長寺を過ぎたところにあります。川は暗渠になっていますが、石の小さな欄干が残されています。新田義貞の鎌倉に攻めに際して、幕府側がこのあたりで崩れ始めたことに由来するとの言い伝えがありますが、鎌倉時代にも「濫橋」と呼ばれていたようで本当のところは定かではありません。

境内参道沿い

仁王門を入ると正面に大きなご本堂が見えます。

左側が受付で、ご朱印もこちらで頂けます。

「にぎり福」という縁起物が人気で、一日一回握ると福が来ます。手作りですので、ひとつひとつ形・大きさ・デザインが異なりますが、こんなアバウトな造りに親近感を覚えます。

こちらは、手水舎です。二頭の龍が絡み合い水を吐いています。

こちらは、青銅製の立派な香炉です。

御本堂に向かって左手には、御本堂と回廊で繋がった庫裡・書院が並びます。

庫裡
書院(鎌倉えびす期間中)

御本堂

仁王門を入った正面にあるのがご本堂で、大正時代に建てられたものです。正面の扁額には「常祥閣」とあります。

内部の正面には、御本尊の「釈迦如来及両脇侍像」 が安置されており、その前には日朝上人の坐像が鎮座します。なお中尊の宝冠釈迦如来像は南北朝時代作で鎌倉市の文化財に指定され、脇侍の文殊菩薩様は、鎌倉十三仏の三番札所本尊でもあります。 「釈迦如来及両脇侍像」は、もともと日蓮御分骨堂に安置されていましたが、関東大震災の折にご本堂に移されたそうです。

日蓮御分骨堂

日蓮御分骨堂は、後に身延山久遠寺の住職となった本覚寺二世・日朝上人が、 久遠寺より日蓮上人の遺骨を分骨しお祀りしたものです。この御縁により本覚寺は「東身延」と呼ばれるようになりました。

鐘楼

この鐘楼の鐘は、日出上人が木更津八幡宮の別当寺・泉蔵寺での法論に勝ち、持ち帰ったものであると伝えられています。

夷堂(えびすどう)

鎌倉時代には、現在の本覚寺仁王門付近に、天台宗系の「夷三郎社(夷堂)」があり、佐渡配流から戻った日蓮上人が鎌倉での布教の拠点としていましたが、新田義貞の鎌倉攻めに際して焼亡してしまいました。その後本覚寺の創建と共に境内に再建され、長く信仰を集めてきましたが、明治の神仏分離令により同じ小町大路に面した蛭子神社に移され、七面大明神及び宝戒寺にあった山王大権現とともに合祀されました。

仁王門を入って右側にある現在の夷堂は、昭和56年(1981年)に建立されたもので「夷尊堂」の扁額が掲げられています。

内部には、烏帽子を被り半跏合掌した黒いえびす様が祀られています。古い様式ですので、現在よくみられる釣竿を背負って鯛を抱えるえびす様とは、大分異なります。このえびす様を巡っては、布教に励む開山・日出上人が鎌倉公方の足利持氏に捕われた際に、持氏の枕元にえびす様が現れたため、無罪放免になったという伝説が残されています。

正宗の墓

こちらが、名刀の代名詞「正宗」を鍛えた刀工・岡崎五郎正宗の御墓と云われている宝篋印塔です。 「正宗」の名を日蓮上人に付けてもらったことから本覚寺とは御縁があります 。確かに台座には正宗の法名の「心龍日顕 」から「心龍墓」と刻まれていますが、後に刻まれたもののようで、本当のお墓は、沢山の墓石が並ぶ墓地の中にあるそうです。

こちらは宝篋印塔とは別に建てられている石碑です。

なお、正宗の屋敷は現在の寿福寺付近にあったとされ、現在は寿福寺南側の小路に「刃稲荷」が残されています。隣の石碑には「正宗家鋪・焼刃渡」と刻まれています。

こちらは宗祖・日蓮、本覚寺初代・日出上人、二世・日親上人の墓所とされる宝篋印塔です。ご本堂の裏手にあります。

人形塚

こちらは、人形塚です。毎年10月の第一日曜日に行われる人形供養の日の朝に撮った写真の為、注連縄が張られています。

裏門

こちらが、本覚寺の裏門になります。鎌倉駅方面から本覚寺にお参りする方は、この門から入るのが便利です。

境内の花々

春は桜、夏は百日紅が綺麗です。

桜(夷堂橋付近から)
百日紅
百日紅
芙蓉
椿

鎌倉えびす

昭和56年(1981年)の「夷堂」落慶を機に始まった行事で、毎年正月に賑やかに執り行われます。1月1日から3日が「初えびす」、1月10日が「本えびす」となります。詳細は、以下のリンクをご参考にどうぞ。→本覚寺・鎌倉えびす

最後までご覧いただきありがとうございました。正月の鎌倉でもひと際賑やかな「鎌倉えびす」には、ぜひお出でいただければと存じます。