鎌倉・妙長寺◆境内散歩◆

鎌倉・妙長寺◆境内散歩◆

海潮山妙長寺(かいちょうざんみょうちょうじ)は、小町大路と水道路の交差点を少し南に下った左手にある日蓮宗のお寺です。バス停で言いますと京急バス「水道路」停となります。日蓮上人の四大法難の一つとされる「伊豆法難」で日蓮上人を救った伊豆の漁師のご子息である日実上人が開山・開基となるお寺で、境内にはその記念塔があります。もともとは材木座の「豆腐川」河口付近の旧地名である「沼ケ浦」にありましたが、天和元年に津波の被害に遭い祖師堂を残すばかりとなったため、材木座でもかなり内陸に入った現在の場所(旧・乱橋村畠中)に移転しました。 ここには昔、天目山円成寺というお寺があったそうです。また妙長寺には、明治の文豪・泉鏡花が滞在し、小説「みだれ橋」(後に「星あかり」に改題)の題材としたことでも知られています。

◆伊豆法難
伊豆法難は、日蓮上人の四大法難の一つです。松葉ヶ谷の法難を逃れた日蓮上人が再び鎌倉にて布教を始めたところ、捕えられて伊豆に流されることになり、伊豆伊東の沖で、満潮時には水没してしまう「俎岩(まないたいわ)」の上に置き去りにされてしまいました。その窮地を救ったのが地元漁師の「船守弥三郎(ふなもりやさぶろう)」で、後に妙長寺の開山・開基となる日実上人の父君にあたります。

なお妙長寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒妙長寺へ

妙長寺の魅力

◎以前は鶴岡八幡宮の旧ニノ鳥居・東柱を利用していたことから高さ11mにも及んだという伊豆法難記念相輪塔

◎開山・日実上人の父君が大きな役割を果たした「伊豆法難」にまつわる重厚な寺史

山門

山門前には、数台車が置けるスペースがあります。

山門右手前には、宗祖・日蓮上人の立派な銅像があります。妙長寺を初めてお参りの方は、この像を目印になさるとよいと思います。

ご本堂

山門を入って正面がご本堂です。

御本尊は「一尊四士」です。中央が説法印を結んだ「釈迦如来」。四大菩薩は、向かって左手より「安立行菩薩(あんりゅうぎょうぼさつ)」「浄行菩薩(じょうぎょうぼさつ)」「上行菩薩(じょうぎょうぼさつ)」「無辺行菩薩(むへんぎょうぼさつ)」となります。

「一尊四士」 の前立には日蓮上人がいらっしゃいます。

ご本堂前には、妙長寺の縁起が刻まれた石碑と、石製の「摩尼車(まにぐるま)」があります。

浄行菩薩

ご本堂に向かって右手前には、四大尊のおひとり「浄行菩薩像」が安置されています。

日実上人の御墓

こちらが開山・開基の日実上人の御墓です。向かって右手の石板には歴代住職のお名前が刻まれています。

鱗供養塔

こちらは、鎌倉・逗子・三崎の漁師さんたちにより明治十一年に建てられた「鱗供養塔」です。十年に一度、材木座海岸沖では「放生会」が執り行われます(前回は2014年でした)。

従来は10年に一度、木製の「大角塔婆」が立て替えられてきましたが、最近黒石の塔婆に立て替えられました。

伊豆法難記念塔

山門を入ってすぐ右側に見事な相輪塔が立っています。これは伊豆法難を記念したもので、足元には石で出来た伊豆法難御用船の六分の一模型が置かれています。妙長寺では毎年5月12日に伊豆法難会が修されます。

もともと、この相輪塔は、関東大震災で倒壊した鶴岡八幡宮の旧ニノ鳥居の東柱を利用して建立されたもので高さ11mもありましたが、その後傾斜したため、防災上の理由から石の部分は今の低い台座に取り換えられました。

桜の頃

四月の妙長寺は、相輪塔付近の八重桜がとても綺麗です。

最後までご覧いただきありがとうございました。観光目的のお客様は、あまり訪れることのないお寺ですが、桜の頃は一見の価値があります。