二ノ鳥居◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その3)◆
- 2019.02.27
- 境内散歩
鶴岡八幡宮の参道・若宮大路には三つの大きな鳥居がありますが、現在の鶴岡八幡宮の表玄関と云えば、鎌倉駅東口に近い「ニノ鳥居」となります。「ニノ鳥居」 は、源頼朝が治承四年(1180年)に造営して以来、長らく木造でしたが、寛文八年( 1688年)に 将軍・徳川家綱が石造に建替えました。 しかし残念なことに関東大震災で倒壊してしまい、現在の「ニノ鳥居」 は昭和2年(1927年)11月に丈夫なコンクリートで再建され、昭和10年(1935年)には塗装工事も完成しました。
なお鶴岡八幡宮のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
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現在のニノ鳥居
有名な若宮大路の段葛は、この二の鳥居から鶴岡八幡宮入口の三ノ鳥居前まで続いています。鶴岡八幡宮の例大祭の神幸祭では、このニノ鳥居前に設けられた「御旅所」に本宮の御神輿三基が渡御し「八乙女の舞」が奉納されます。
ニノ鳥居の前には、大きなコンクリート製の阿形・吽形一対の狛犬が置かれています。これは昭和36年に小野田セメントより奉納されたものです。
正月
桜の頃
葉桜の頃
七夕祭
雪の日のニノ鳥居と段葛(安藤広重)
関東大震災とニノ鳥居
震災前・大正6年頃
関東大震災前の「ニノ鳥居」は石造で「段葛」の桜並木が整備され始めたところでした。段葛には砂利が敷き詰められ、両脇の街道沿いには、見事な松並木が続いています。
関東大震災で倒壊したニノ鳥居
関東大震災では、一ノ鳥居、ニノ鳥居、三ノ鳥居は全て倒壊しました。特にニノ鳥居では亡くなった方もいらっしゃいます。右端には、現在もニノ鳥居前に立っている東郷平八郎元帥筆の社名碑が倒れています。
妙長寺の相輪塔
倒壊したニノ鳥居の東柱は、妙長寺に建てられた高さ11mにもなる相輪塔に再利用されました。写真では裏側となり見えませんが、再利用後も「石雙華表(せきそうかひょう) 」 の銘は残されていたそうです。
しかしその後傾斜したため、防災上の理由から石の部分は低い台座に取り換えられてしまいました。現在の相輪塔は、こんな感じ。
源実朝歌碑
白旗神社石鳥居脇の鎌倉国宝館の前庭にある「源実朝歌碑」は、関東大震災で倒壊したニノ鳥居の西柱を利用しています。
最後までご覧いただきありがとうございました。若宮大路の大鳥居で一番馴染み深い今のニノ鳥居は沢山の車に囲まれていますが、明治時代には立派な松並木に囲まれていたのですね。
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