祖霊社◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その10)◆
- 2025.12.17
祖霊社は、鶴岡八幡宮の末社の中では最も新しいお社で、昭和二十四年にこの地に鎮座しました。鶴岡八幡宮の影響力が強い鎌倉市内には、神道を宗旨とする方々が多く、鶴岡八幡宮に対し祖霊の奉斎を望む声も大きかったことから、戦後「鶴岡八幡宮祖霊社維持会」が結成され、前の大戦の英霊に加え、祖霊、歴代宮司の御霊が併せて祀られることとなり、仏教のお彼岸に準じて春と秋の年二回例祭が執り行われます。なお、江戸期の鶴岡八幡 […]
神に抱かれ仏と共に歩む日々…
祖霊社は、鶴岡八幡宮の末社の中では最も新しいお社で、昭和二十四年にこの地に鎮座しました。鶴岡八幡宮の影響力が強い鎌倉市内には、神道を宗旨とする方々が多く、鶴岡八幡宮に対し祖霊の奉斎を望む声も大きかったことから、戦後「鶴岡八幡宮祖霊社維持会」が結成され、前の大戦の英霊に加え、祖霊、歴代宮司の御霊が併せて祀られることとなり、仏教のお彼岸に準じて春と秋の年二回例祭が執り行われます。なお、江戸期の鶴岡八幡 […]
古くは上生院と号した熊野妙法山阿弥陀寺は、熊野那智大社のさらに奥、那智山スカイラインを登った妙法山にある真言宗御室派のお寺で、大宝三年(703年)に唐の天台山より来朝した蓮寂上人により開山されました。さらに弘仁六年(815年)には、弘法大師・空海が中腹に阿弥陀如来を安置したお堂を建てたことから阿弥陀寺と名付けられ、以来法華経修行の道場として、また女性の参拝が許された「女人高野」として知られてきまし […]
旗上弁財天社は、鶴岡八幡宮の三ノ鳥居をくぐり、太鼓橋横の赤橋を渡った右手にある源氏池の小島にある神社で、周囲に源氏の白旗が立ち並びます。現在の御祭神は市杵島姫命ですが、かつてのご祭神は弁財天で、 12世紀末の鶴岡八幡宮の創建に伴い、若宮大路を下った一ノ鳥居の手前西側にある琵琶小路より、現在の場所に遷座されました。この元々の弁財天は、明治の神仏分離令により、他の末社とともに廃されましたが、昭和31 […]
田辺市の正南面山(しょうなんめんざん)蘇悉地院(そしつじいん)高山寺の開創は、推古天皇の御世、熊野国・牟婁郡に住む「牟婁の長者」が大和国・飛鳥に出かけた際に、推古天皇の摂政であった聖徳太子(上宮太子)に拝謁し、その感化を受けて南面山に建立したという勧修学問寺に遡ります。勧修学問寺以来現在に至るまで、高山寺には、上宮太子の愛馬「烏の駒(くろのこま) 」に背負われて現れたという薬師如来像と上宮太子像が […]
闘鶏神社(とうけいじんじゃ)は、和歌山県南部・田辺市にある神社で、「鬪雞神社」又は「鬪鷄神社」とも表記されます。 創建につきましては、允恭天皇八年 (419年)に「熊野権現」をこの地に勧請し「 田辺宮」と称したのが起源とするものや、神社背後の仮庵山に神光が現れたことに由来し 天武天皇十三年(684年) に「新熊野證誠十二所大権現」と称したとするものがありますが、「紀伊続風土記」の記述のように、久 […]
大乗山薬王寺は、鎌倉・扇ガ谷にある日蓮宗のお寺です。かつては梅嶺山夜光寺という真言宗のお寺でしたが、日蓮の直弟子・日像に法論を挑まれ折伏され(日蓮宗ではよくあるお話)、永仁元年(1293年)には日蓮宗に改宗しました。 鎌倉期を過ぎると衰えましたが、江戸期・寛永年間(1624~1645年)には不受不施派の広島國前寺18世大乗院日達が中興し梅立寺(江戸・大乗寺末寺)と改めました(このタイミングで大乗山 […]
古くから音楽・芸能の神様として信仰を集める天河大弁財天社は、「熊野川」の上流「十津川」のさらにその源流「天の川」が流れる天川村に鎮座します。天川村は、行政区画上は奈良県ですが、分水嶺が村の北側にあるため、その水系は南紀・熊野三山と同じ新宮川(熊野川の河口付近の名称)水系に属します。 琵琶山と呼ばれる岩山の上に建てられ、その下に神代からの磐座(いわくら)が鎮まる天河大弁財天社の本殿には、主祭神の「市 […]
大峰奥駆道を往来する修験者たちより「結願天(けちがんてん)」 と崇拝される玉置山を神奈備(かむなび)とする玉置神社は、熊野の森の奥深く杉の巨木に囲まれ鎮座する熊野三山の奥宮で、まさに「呼ばれた人しか行けない神社」「呼ばれた人しかたどり着けない神社」と云うにふさわしい秘境のお社です。 「玉置山縁起」によれば、その歴史は「王城火防」と「悪魔退散」のため社殿を設けた崇神天皇の61年(紀元前37年)に遡り […]
佐助稲荷神社は、鎌倉駅の北西の山手にあるお稲荷様で、創建は鎌倉初期の建久年間(1190年~1199年)とされています。社伝によりますと、源頼朝の挙兵にあたり頼朝の夢枕に隠ノ里の稲荷の主が現れ、挙兵を勧めたそうです。見事鎌倉に幕府を開いた後、頼朝は畠山重忠に命じて「かくれ里の祠」を探し当て、社殿を設けたのが始まりというお話です。「佐助」の名は、官職名「兵衛佐」を名乗っていた頼朝を助けたことに由来す […]
三重県熊野市有馬にある花窟(はなのいわや)神社は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)をお祀りしており、その始まりは神代に遡ります。 日本書記には、火の神・軻遇突智尊を生むときに陰部を焼かれて死んだ伊弉冉尊は、紀伊国の熊野の有馬村に葬られ、人々はその魂(みたま)を「花の時に花を以って祭」ったとあります。さらに社伝によれば、中古三十六歌仙の一人として知られる増基法師(生没 […]