境内散歩

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鎌倉・大町釈迦堂口遺跡◆暫定公開~日月やぐら・地蔵やぐら・唐糸やぐら・釈迦堂切通~

  • 2026.03.15

大町釈迦堂口遺跡は、鎌倉市の南東部「名越ケ谷(なごえがやつ)」の最奥部にあり、発掘が進められた平場2カ所と、日月やぐら・地蔵やぐら・唐糸やぐらといったやぐら群から構成される遺跡です。鎌倉市が所有するまでは、ドイツ人ハンス・シュリーブス氏の邸宅や国際自動車(kmタクシー)の保養所でしたので、鎌倉期の遺跡とは別に、かつての保養所の庭園に関係する遺物も残っております。平成22年(2010年)に国史跡に指 […]

稲葉根王子(いなばねおうじ)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第十四回)五体王子巡礼~岩田神社・水垢離場・一瀬王子跡~

  • 2026.03.11

 五体王子社の一つとして知られる稲葉根王子(いなばねおうじ)の名が、最初に見えるのは「中右記」で、天仁二年(1109年)10月22日の条に「伊奈波祢王子社」とあります。次いで建仁元年(1201年)に記された藤原定家の「熊野御幸記」には「稲葉根王子は五躰王子に準じて云々」との記述があることから、この頃はまだ五体王子には数えられてはいなかったことが分かります。しかし承元四年(1210年)の「修明門院熊 […]

新宮(今宮)◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その11)◆後鳥羽上皇・土御門上皇・順徳上皇

  • 2026.02.19

鶴岡八幡宮・新宮(いまみや)は、今宮とも記され、後鳥羽上皇と、第一皇子の土御門上皇、第三皇子の順徳上皇の三柱をお祀りしています。承久の乱に敗れ隠岐に流された後鳥羽上皇が延応元年(1239年)に崩御すると、翌仁治元年(1240年)に神宮寺の裏山が地震で崩れ、続いて仁治二年(1241年)には浜の大鳥居(現在の一の鳥居の前身)の拝殿が津波で流され、さらに寛元三年(1245年)の元旦には大風で三基の鳥居が […]

切目神社(きりめじんじゃ)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第十三回)五体王子巡礼~熊野懐紙・平清盛・大塔宮~

  • 2026.02.12

和歌山県印南町の切目神社(きりめじんじゃ)は、熊野十二所権現のうちの若宮・禅師宮・ 聖宮・児宮・子守宮をお祀りすることから九十九王子社の中でも格式の高い五体王子社の一つ、切目王子社の流れを汲む神社で、かつては切部王子とも呼ばれていました。開創は崇神天皇の御世に遡り、切目神社東隣の「太鼓屋敷」と呼ばれる地に建てられた「五体王子宮」が始まりとされています。天正十三年(1585年)年の豊臣秀吉による紀州 […]

甘縄神明神社◆境内散歩◆鎌倉最古の神社~安達盛長・染屋時忠

  • 2026.01.22

長谷の神輿山(じんよざん)の中腹にある甘縄神明神社は、和銅三年(710年)に長谷の豪族・染屋時忠により開創されたと云われる鎌倉最古の神社で、開創の当初は、神輿山上に神明宮、山麓に神輿山円徳寺という寺院が建てられたと伝わります。なお甘縄神明神社は、「吾妻鏡」では「伊勢別宮」と度々呼ばれていたことや、甘縄神明神社の名が定まったのは昭和7年(1932年)のことで、長らく甘縄神明宮、甘縄神明社という名で親 […]

藤白神社(藤代王子社)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第十二回)五体王子巡礼~子守楠神社・有間皇子~

  • 2026.01.01

和歌山県海南市藤白にある藤白神社は、古くは「藤代王子社」と呼ばれ、熊野九十九王子社の中でも格式の高い「五体王子社」の一つとされています。紀州路を辿る熊野詣の玄関口「熊野一の鳥居」に隣接することから、歴代上皇法皇の140回にも及ぶ熊野御幸では必ずこちらに宿泊され、熊野三山に直接参拝することが難しい女性皇族・貴族のための熊野三所大権現遥拝所としても知られて来ました。主祭神は、櫛玉饒速日命で、熊野坐大神 […]

祖霊社◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その10)◆

  • 2025.12.17

祖霊社は、鶴岡八幡宮の末社の中では最も新しいお社で、昭和二十四年にこの地に鎮座しました。鶴岡八幡宮の影響力が強い鎌倉市内には、神道を宗旨とする方々が多く、鶴岡八幡宮に対し祖霊の奉斎を望む声も大きかったことから、戦後「鶴岡八幡宮祖霊社維持会」が結成され、前の大戦の英霊に加え、祖霊、歴代宮司の御霊が併せて祀られることとなり、仏教のお彼岸に準じて春と秋の年二回例祭が執り行われます。なお、江戸期の鶴岡八幡 […]

阿弥陀寺(熊野妙法山)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第十一回)~女人高野・火生三昧跡・ひとつ鐘まいり~

  • 2025.12.03

古くは上生院と号した熊野妙法山阿弥陀寺は、熊野那智大社のさらに奥、那智山スカイラインを登った妙法山にある真言宗御室派のお寺で、大宝三年(703年)に唐の天台山より来朝した蓮寂上人により開山されました。さらに弘仁六年(815年)には、弘法大師・空海が中腹に阿弥陀如来を安置したお堂を建てたことから阿弥陀寺と名付けられ、以来法華経修行の道場として、また女性の参拝が許された「女人高野」として知られてきまし […]

旗上弁財天社◆鶴岡八幡宮・境内散歩(その9)◆

  • 2025.10.05

 旗上弁財天社は、鶴岡八幡宮の三ノ鳥居をくぐり、太鼓橋横の赤橋を渡った右手にある源氏池の小島にある神社で、周囲に源氏の白旗が立ち並びます。現在の御祭神は市杵島姫命ですが、かつてのご祭神は弁財天で、 12世紀末の鶴岡八幡宮の創建に伴い、若宮大路を下った一ノ鳥居の手前西側にある琵琶小路より、現在の場所に遷座されました。この元々の弁財天は、明治の神仏分離令により、他の末社とともに廃されましたが、昭和31 […]

高山寺(田辺)◆境内散歩◆熊野三山遠征記(第十回)~南方熊楠・植芝盛平~

  • 2025.09.23

田辺市の正南面山(しょうなんめんざん)蘇悉地院(そしつじいん)高山寺の開創は、推古天皇の御世、熊野国・牟婁郡に住む「牟婁の長者」が大和国・飛鳥に出かけた際に、推古天皇の摂政であった聖徳太子(上宮太子)に拝謁し、その感化を受けて南面山に建立したという勧修学問寺に遡ります。勧修学問寺以来現在に至るまで、高山寺には、上宮太子の愛馬「烏の駒(くろのこま) 」に背負われて現れたという薬師如来像と上宮太子像が […]

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