和歌山県印南町の切目神社(きりめじんじゃ)は、熊野十二所権現のうちの若宮・禅師宮・ 聖宮・児宮・子守宮をお祀りすることから九十九王子社の中でも格式の高い五体王子社の一つ、切目王子社の流れを汲む神社で、かつては切部王子とも呼ばれていました。開創は崇神天皇の御世に遡り、切目神社東隣の「太鼓屋敷」と呼ばれる地に建てられた「五体王子宮」が始まりとされています。天正十三年(1585年)年の豊臣秀吉による紀州 […]
瑞應山蓮華院弘明寺は、横浜市最古とされる高野山金剛峰寺の直末寺です。創建は養老五年(721年)に、「虚空蔵求聞持法」「大毘遮那経(大日経)」の漢訳で知られる善無畏(ぜんむい)三蔵が来錫し、この地に結界を張った時にまで遡ります。さらに天平九年(737年)には巡錫中の行基が、現在の御本尊十一面観世音菩薩を彫り上げ、弘仁五年(814年)には弘法大師が一千座の護摩を焚いたそうです。そしてご本堂が建立されて […]
和歌山県海南市藤白にある藤白神社は、古くは「藤代王子社」と呼ばれ、熊野九十九王子社の中でも格式の高い「五体王子社」の一つとされています。紀州路を辿る熊野詣の玄関口「熊野一の鳥居」に隣接することから、歴代上皇法皇の140回にも及ぶ熊野御幸では必ずこちらに宿泊され、熊野三山に直接参拝することが難しい女性皇族・貴族のための熊野三所大権現遥拝所としても知られて来ました。主祭神は、櫛玉饒速日命で、熊野坐大神 […]
佐白山(さしろさん)・正福寺(しょうふくじ)は、茨城県笠間市にあるお寺で、坂東三十三観音霊場第23番札所・佐白観音として知られています。 白雉二年(651年)に、三白山三白院三白寺として、現在の境内とは道路を挟んだ向かい側にある佐白山の山頂に創建されたと伝えられています。この年はすぐ近くにある笠間稲荷神社の創建と同じで、どうやらその発祥を一つのようです。 その後、鎌倉時代の初期には百を超える堂宇 […]
古くは上生院と号した熊野妙法山阿弥陀寺は、熊野那智大社のさらに奥、那智山スカイラインを登った妙法山にある真言宗御室派のお寺で、大宝三年(703年)に唐の天台山より来朝した蓮寂上人により開山されました。さらに弘仁六年(815年)には、弘法大師・空海が中腹に阿弥陀如来を安置したお堂を建てたことから阿弥陀寺と名付けられ、以来法華経修行の道場として、また女性の参拝が許された「女人高野」として知られてきまし […]
飯上山(いいがみざん)・如意輪院(にょいりんいん)・長谷寺(ちょうこくじ)は、厚木市飯山にある高野山真言宗のお寺で、坂東三十三観音霊場の第六番札所・飯山観音の名で広く知られています。開創は行基菩薩で、奈良期・神亀二年(725年)に遡り、大同2年(807年)には弘法大師の来錫を得て、当時の領主・飯山権太夫が伽藍を整えたと伝えられています。古くから桜の名所として知られ、三月から四月にかけての桜の季節に […]
田辺市の正南面山(しょうなんめんざん)蘇悉地院(そしつじいん)高山寺の開創は、推古天皇の御世、熊野国・牟婁郡に住む「牟婁の長者」が大和国・飛鳥に出かけた際に、推古天皇の摂政であった聖徳太子(上宮太子)に拝謁し、その感化を受けて南面山に建立したという勧修学問寺に遡ります。勧修学問寺以来現在に至るまで、高山寺には、上宮太子の愛馬「烏の駒(くろのこま) 」に背負われて現れたという薬師如来像と上宮太子像が […]
金目山(かなめさん)・光明寺は、神奈川県平塚市にある天台宗のお寺で、文武天皇大宝2年(702年)に、相模湾の小磯の浜で塩汲みの海女が桶で掬った 金色の聖観世音菩薩像を、道儀上人が寺を建ててお祀りしたのが始まりとされています。永延二年(988年)には、花山法皇が坂東三十三観音霊場の七番札所に定められ、鎌倉時代には源頼朝、室町時代には足利尊氏や関東公方(鎌倉府)の保護を受け、寺領2600坪を賜り、その […]
闘鶏神社(とうけいじんじゃ)は、和歌山県南部・田辺市にある神社で、「鬪雞神社」又は「鬪鷄神社」とも表記されます。 創建につきましては、允恭天皇八年 (419年)に「熊野権現」をこの地に勧請し「 田辺宮」と称したのが起源とするものや、神社背後の仮庵山に神光が現れたことに由来し 天武天皇十三年(684年) に「新熊野證誠十二所大権現」と称したとするものがありますが、「紀伊続風土記」の記述のように、久 […]
坂東三十三観音霊場・第九番札所の慈光寺は、正式には都幾山・一乗法華院・慈光寺といい、鎌倉期の有力御家人・比企能員(ひき よしかず)でも知られる埼玉県比企郡の西部・ときがわ町の山中にあります。 寺伝「都幾山慈光寺実録」によると、その歴史は天武天皇の二年(673年)に興福寺の慈訓(じきん)が、都幾山に登り、その光り輝く場所(現在の観音堂)に千手観音を安置したことに遡ります(実際に慈訓が活動した時期よ […]