大峰奥駆道を往来する修験者たちより「結願天(けちがんてん)」 と崇拝される玉置山を神奈備(かむなび)とする玉置神社は、熊野の森の奥深く杉の巨木に囲まれ鎮座する熊野三山の奥宮で、まさに「呼ばれた人しか行けない神社」「呼ばれた人しかたどり着けない神社」と云うにふさわしい秘境のお社です。 「玉置山縁起」によれば、その歴史は「王城火防」と「悪魔退散」のため社殿を設けた崇神天皇の61年(紀元前37年)に遡り […]
南明山・慈眼院・清滝寺(きよたきじ)は、古くは「山の荘」と呼ばれていた荘園の一角、土浦市小野にある真言宗豊山派のお寺です。その歴史は、坂東三十三観音霊場の中でも最古の部類に入り、推古天皇の十五年(607年)に聖徳太子が彫った聖観音像を、清瀧寺背後の龍ケ峯に安置した時代にまで遡ります。また別の伝説では筑波山の二柱(伊弉諾尊・伊弉冊尊)が小野山を天の鉾で突いたところ南北二カ所に「清」水が涌き出、その […]
三重県熊野市有馬にある花窟(はなのいわや)神社は、伊弉冉尊(いざなみのみこと)と軻遇突智尊(かぐつちのみこと)をお祀りしており、その始まりは神代に遡ります。 日本書記には、火の神・軻遇突智尊を生むときに陰部を焼かれて死んだ伊弉冉尊は、紀伊国の熊野の有馬村に葬られ、人々はその魂(みたま)を「花の時に花を以って祭」ったとあります。さらに社伝によれば、中古三十六歌仙の一人として知られる増基法師(生没 […]
八溝山・日輪寺は、茨城県・福島県・栃木県の三県が交わる八溝山(やみぞさん)の八合目(標高約800m)にある天台宗のお寺です。その歴史は白鳳期・天武天皇二年(673年)の開基・役小角にまで遡ることができ、大同二年(807年)の空海による中興、さらに仁寿三年(853年)の慈覚大師の来錫と続きます。 観音霊場として位置づけられたのは永延三年(989)年の頃で、時代を下った室町期・文明年間(1469~1 […]
那智勝浦町にある白華山(びゃっかさん)・補陀落山寺(ふだらくさんじ)は、仁徳天皇の世にはるかインドから那智浜に漂着なさった裸形上人により開山されたと伝わる古刹です。 江戸期までは那智七本願の一つ「補陀落寺」として知られ、文化五年(1808年)に台風で倒壊するまで大伽藍を構えていました。もともとは真言宗でしたが、明治期に青岸渡寺の別院となって以降は、天台宗の寺院として存続しています。 実は私の地元の […]
筑波山・大御堂は、茨城県つくば市にある真言宗豊山派のお寺で、坂東三十三観音霊場の第二十五番札所をお務めです。大御堂の前身に該る旧・筑波山知足院中禅寺は、開山・徳一上人以来、男体山・女体山の両筑波山をご神体とした筑波山大権現の本地仏である千手観音をお祀りする大寺院として栄えて来ました。江戸期になりますと、徳川将軍家の祈祷を担うようになり、将軍家光公の時代には七堂伽藍が整備された他、江戸にも「知足院 […]
那智山・青岸渡寺(せいがんとじ)は、那智勝浦町にある天台宗の寺院で、西国三十三所第一番札所として知られています。開基は、はるかインドから熊野浦に流れ着いた裸形上人(らぎょうしょうにん)とされ、仁徳天皇の御世にまで遡ります。さらに200年後の推古天皇の御世には、生仏上人により如意輪観音が安置され堂宇が整えられました。那智山には、「那智七先徳」をはじめとする多くの高僧が参籠し、11世紀から12世紀に […]
妙法山・持宝院・星谷寺は、神奈川県座間市にある真言宗大覚寺派のお寺です。江戸期には海老名の総持院の末寺で、すぐ近くの県営・座間谷戸山公園の中で現在は「伝説の丘」と名付けられている「本堂山」にあった「観音堂」を起源とします。また星谷寺の境内にまつわる「星谷寺の七不思議」は、坂東三十三観音霊場巡礼者の間でよく知られています。 なお星谷寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては […]
熊野本宮大社・熊野速玉大社とともに熊野三山を構成する現在の熊野那智大社は、仁徳天皇の五年( 317年)に、現在の別宮・飛瀧神社(ひろうじんじゃ)の地より、那智山中腹に遷り成立しました。 さらに遡ること千年、「神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと)=神武天皇」の東征(紀元前662年)の折、「丹敷浦(にしきうら)=那智の浜」より、神光を放つ「光ケ峯」を目指し那智川を遡上する中、目の前に現れた雄 […]
和歌山県新宮市の名は、もちろん熊野速玉大社の別名「新宮」に由来します。熊野本宮・熊野速玉・熊野那智の各社は、まとめて「熊野三山」と呼ばれておりますが、それは神仏習合が進み、朝廷による熊野統治のための役職「熊野別当」が置かれて以降(おそらく10世紀以降)に成立した概念であり、実は夫々に異なる起源を持っています。別称の「新宮」も一見、熊野「本宮」に対しての「新宮」であるかのような印象を受けますが、実 […]