鎌倉・五所神社~例大祭(乱材祭)2019年~(2)御神輿渡御・前篇

鎌倉・五所神社~例大祭(乱材祭)2019年~(2)御神輿渡御・前篇

鎌倉・五所神社の例大祭では、海上渡御の前に三基の神輿が材木座・乱橋地区をぐるりと巡回します。今回は、五所神社境内での神事から「かね石駐車場」までの渡御の様子をご紹介します。

なお2019年の五所神社・乱材祭の記事は、以下のリンクをご覧ください。
⇒(1)宵宮祭
⇒(2)御神輿渡御・前篇
⇒(3)御神輿渡御・後篇
⇒(4)海上渡御
⇒(5)三ツ目神楽


 

乱材祭(2019年)の日程・コース

2019年の鎌倉・五所神社の乱材祭は、6月8日(土)から6月11日(火)にかけて行われ、6月9日(日)の例大祭では、五所神社境内での神事に引き続き、境内を出た神輿三基、子供神輿三基が、材木座・乱橋地区をぐるりとまわり、光明寺に到着します。光明寺での法要を終えた神輿三基は材木座海岸に向かい、一号神輿と二号神輿が海上渡御します。

今回は、五所神社から「かね石駐車場」にかけての御神輿渡御の様子をご紹介します。

五所神社の御神輿

五所神社は、明治になって旧「乱橋(みだればし)村」と旧「材木座村」が合併し「西鎌倉村大字乱橋材木座」となった後、明治41年(1908年)に、地元の神社五社(三島神社、諏訪神社、八雲神社、金比羅宮、見目(みるめ)明神)が合併して成立したものです。
こうした経緯から、神輿も下表のように旧「諏訪神社」由来の一号、旧「見目明神」由来の二号三号の、計三基が現存し、うち一号と二号が海上渡御を行います。

  一号神輿 二号神輿 三号神輿
由来 旧・諏訪神社 旧・見目明神 旧・見目明神
作者 大工:吉川勘右ヱ門
仏師:後藤斎宮
同左 同左
制作年 江戸時代末期 弘化四年
(1847年)
同左
最終補修年 昭和三十年
(1955年)
平成四年
(1992年)
昭和三十一年
(1956年)
屋根飾り(天頂) 鳳凰(当初は八咫烏であったらしい) 鳳凰 蓮花(当初は鳳凰であったらしい)
屋根紋 梶の葉紋三ツ盛 輪宝紋三ツ盛 同左

五所神社境内の様子

鳥居の内の参道には、御神輿三基と子供神輿三基の計六基が出御順にずらりと並んでいます。先頭は音松クラブの子供神輿、続いて材木座の子供神輿二基、あとは旧・諏訪神社の御神輿一基(一号)、旧・見目明神社の御神輿二基(二号と三号) と続きます。

音松クラブ子供神輿
材木座子供神輿(小)
材木座子供神輿(大)
旧・諏訪神社御神輿(一号)
旧・見目明神社御神輿(二号)
旧・見目明神社御神輿(三号)

例大祭

関係者の皆さんが次第に集まって来ました。

こちらは、ミス鎌倉のお二人が先導する手古舞行列のお子さんがてにもつ錫杖です。

御本殿では、例大祭の神事が進んでいきます。

修祓(しゅばつ)
祝詞奏上(のりとそうじょう)
玉串奉奠(たまぐしほうてん)
直会(なおらい)

五所神社発輿

御神輿に先立って、手古舞の皆さん、猿田彦、注連榊が出立します。

猿田彦
注連榊(しめさかき)

鎌倉市長さんのご挨拶です。

御神輿の出御に先立ち、祝詞奏上の後、一基毎に御祓いが行われます。

子供神輿から順に出御します。

音松クラブ子供神輿
材木座子供神輿(小)
材木座子供神輿(大)
一号神輿
二号神輿
三号神輿

御神輿渡御に参加する御神輿や山車が、小町大路に並んで行きます。

小町大路を北へ

一号神輿・二号神輿が担ぎ上げられ、いよいよ出発です。行列は小町大路を北に向かいます。

ヒロ病院前

小町大路を北に向かった行列は左折して西方向に向かい、ヒロ病院前を過ぎて行きます。こちらは、先頭の注連榊です。道往く途中、沿道の方々に注連榊を頒布します。続く猿田彦の姿も見えます。

こちらは手古舞の皆さん。手前は、鎌倉市長さん?

御囃子のトラックと山車が続きます。

子供神輿の後、御神輿が三基続きます。

かね石駐車場

行列は、かね石駐車場に到着しました。一号神輿・二号神輿が練ってます。この後御神輿は馬におろされ、一休みしてから次の目的地のクリエイト駐車場を目指し南に進みます。

三号神輿

最後までご覧いただきありがとうございました。次回も引き続き御神輿渡御の様子をご紹介いたします。