極楽坂切通の鎌倉側の「坂ノ下」にある「御霊神社」は、御祭神の鎌倉権五郎景正公にちなみ「鎌倉権五郎神社」とも呼ばれます。古くは「五霊神社」と呼ばれ豪族「鎌倉党」の一族である大庭・梶原・長尾・村岡・鎌倉の五氏の先祖を祀っておりましたが、遅くても文治元年(1185年)までには、後三年の役での「矢抜き」の逸話であまりにも有名な鎌倉武士の鑑・鎌倉権五郎景正公一柱のみをお祀りする神社となり、いつしか表記も「御 […]
この春にお参りした南紀熊野三社・青岸渡寺とその周辺の由緒ある神社・仏閣を「熊野三山遠征記」として数回に分けてご紹介します。第一回は、熊野三社でも筆頭とされる熊野本宮大社です。 田辺市本宮町にある熊野本宮大社(旧官幣大社・熊野坐神社(くまのにますじんじゃ))は、崇神天皇六十五年(紀元前33年)に開創され、熊野速玉大社・熊野那智大社と併せた熊野三社の首座として、神代より全国4800社と云われる熊野神 […]
今回は、蓮華開く文月の鶴岡八幡宮の祭礼・行事を、境内を彩る花鳥と共にご紹介します。7月となりますと平家池は白い蓮華、源氏池は赤い蓮華で埋め尽くされます。鎌倉文華館前の芝の鮮やかな緑が眩しく、ブロンズ像「輝く未来」を照らします。「七夕祭」の飾りつけが華やかな境内では、大きくカラフルな吹き流しが風を受けて靡き、短冊が結われた笹の枝がさやさやと音を立てます。 また、梶の葉を形どった色紙が夫々に願い事が […]
岩殿寺は、大和国長谷寺の徳道上人が、この地に下向した際、十一面観世音菩薩と熊野権現が顕現し、そのお告げにより社を建てたのが始まりとされ、その後、巡錫の折に同じく奇瑞を得た行基菩薩が、奥の院に安置される十一面観世音菩薩像を彫った養老五年(721年)をもって開創とされています。徳道上人は鎌倉・長谷寺の開山としても知られていますが、鎌倉・長谷寺の開創は天平八年(736年)ですので、伝承上、岩殿寺の開創は […]
「鎌倉十三仏詣実行委員会」が例年企画する「梅かまくら寺社特別参拝」の第十弾「安国論寺」に参加してきました。 この日は、ご本堂に上がりご住職による安国論寺のご説明をお聞きし、そのあと参加者からの質問にもお答えいただく時間も取って頂きました。その後、普段は中に入れない「御小庵」にご案内頂き「御法窟」内を正面に見ながら参拝いたしました。さらに、以前から気になっていた「観音堂」にも初めて上がらせてもらいモ […]
天長元年(824年)淳和天皇の代に、天台宗山門派の祖、慈覚大師・円仁により現在のさいたま市岩槻区に開かれた華林山・最上院・慈恩寺の名は、慈覚大師が入唐の際に遊学した長安(現在の西安)・大慈恩寺に由来します。行基や空海が全国至る所の寺院の開山・開基に名を連ねているように、慈覚大師は、出身地の下野国を始めとした北関東から東北地方にかけての多くの寺社の縁起にその名を残しています。慈恩寺は、創建以来、江 […]
今回は、草木萌ゆる弥生の鶴岡八幡宮の祭礼・行事を、境内を彩る花鳥と共にご紹介します。真冬の寒さが和らぎ、境内の木々は次々と花を咲かせて参ります。下旬ともなりますと段葛の桜が咲き誇る若宮大路は多くの観光客で賑わい 、鎌倉は一年でもっとも華やいだ季節を迎えます。 3月には、近年鶴岡八幡宮の行事として新たに加わった「献詠披講式」が執り行われる他、八幡宮総本社・宇佐八幡宮の例祭(18日)にあわせて「宇佐 […]
真言宗豊山派に属する海上山(かいじょうざん)千葉寺(せんようじ)の創建は和銅二年(709年)と極めて古く、千葉市内では最古の寺院です。巡錫の折にこの地に立ち寄った行基が、一本の茎に二つの花を咲かせ、その花の中で阿弥陀如来と観音大士が説法している蓮を見て、丈六の十一面観音像を刻み堂宇を建て安置したのがその始まりとされます。行基はさらに聖武天皇に奏聞して「海照山」の山号と「三界六道」の勅額を得て本堂 […]
円覚寺塔頭の「正續院」は、開山・無学祖元の塔所として知られている訳ですが、実は臨済宗円覚寺派における四つの大切な役割を担っています。 第一に開山・無学祖元の塔所「開山塔」としての役割です。無学祖元は、円覚寺の開山であると共に建長寺の二世でもありますので、塔所は示寂の地である建長寺に置かれ「正續庵」と呼ばれておりましたが、後に、夢窓疎石が後醍醐天皇に働きかけ円覚寺境内に移したのが、現在の「正續院」 […]
今回は、鶯さえずる如月の鶴岡八幡宮の祭礼・行事を、境内を彩る花鳥と共にご紹介します。正月の喧騒から、少し落ち着きを取り戻した境内では、梅があちこちで小さな花を咲かせています。源氏池には、荒れ気味の海を避けた「ゆりかもめ」が集い、冬眠しない「台湾リス」も餌を求めて活発に動きまわります。 2月の行事の目玉は、節分祭の後に行われる「福豆拾い(豆まき)」です。大紋を着込んだ年男・年女の撒豆奉仕者が、元気 […]