鎌倉・千手院◆境内散歩◆

鎌倉・千手院◆境内散歩◆

千手院は、光明寺・山門に向かって左手にあります。鎌倉三十三観音霊場の第二十番札所として、地元・鎌倉の寺社巡りがお好きな方々にはお馴染みの寺院です。鎌倉三十三観音霊場のご朱印を頂く際には、同じく十八番札所の光明寺、及び向かい側にある十九番札所の蓮乗院とを続けてお参りする方が多いと思います。元々は光明寺の僧坊で、光明寺が徳川家康が定めた関東十八檀林の筆頭だった江戸時代には「専修院」と称し浄土宗の修行道場として知られていました。江戸中期以降、修行僧の数が減るにつれ、ご本堂に祀られている「木造千手観音立像」にちなんで「千手院」と称するようになったようです。

なお千手院のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒千手院へ

※写真をクリックすると拡大します。

千手院の魅力

◎大檀林・光明寺を実体的に支える専修道場として地味ながらも地に足の着いた歴史的役割

◎江戸時代中期以降、読み書き算盤を教えるなど地元材木座の人々の生活と一体化した衆生済度の場としての在り様

境内の様子

光明寺・山門前の駐車場を出た目の前が千手院の山門です。

こじんまりとした境内はこんな感じです。

正面には、ご本尊の木造阿弥陀如来坐像、及び木造千手観音立像が安置されるご本堂があります。木造千手観音立像は、天文元年(1532年)に恢誉上人が守護仏としてお持ちになったものです。

ご本堂には、ご詠歌が記された鎌倉三十三観音霊場の額が、掲げられています。

ご本堂の右手に庫裡があり、ご朱印がいただけます。

ご本堂手前には、お地蔵様がいらっしゃいます。

境内には、松尾芭蕉の句碑が建てられています。

この句碑の由来書が脇にありましたのでご紹介します。この句碑は、明治時代前期の住職・定賢和尚を偲んで千手院の寺子屋「桑楊学校」で学んだ地元の方が、建立したものだそうです。

最後までご覧いただきありがとうございました。
地味な印象の寺院ですが、光明寺のような大寺院において、塔頭が果たしてきた歴史的役割りを振り返るには、丁度良い見本のように思います。

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