鎌倉・八雲神社(大町)
社名 | 八雲神社 通称:厄除けさん、旧称:鎌倉祇園社 |
社格 | 村社 |
主祭神 | 須佐ノ男命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)、八王子命(はちおうじのみこと)、佐竹氏の霊 |
境内社(配祀神) | 御嶽三峯社(櫛眞知命・伊邪那岐命・伊邪那美命) 諏訪神社(建御名方神) 稲荷神社(宇迦之御魂神) 於岩稲荷社(田宮於岩命) |
創建 | 永保年中(1083年) 創建者:新羅三郎義光 |
開門時間 | 8:30~16:30 |
拝観料 | 無料 |
八雲神社(鎌倉・大町)の魅力
◎鎌倉の夏を彩る四連神輿も勇壮な大町まつり
◎平安時代より多くの史料に名を留める厄除開運の「鎌倉祇園社」としての歴史
◎湘南鎌倉地域の地元信仰を下支えする神主兼務社としての重要性
ご由緒(「八雲神社由緒略記」より)
平安時代永保年中(1083年)新羅三郎義光公の勧請と伝う。当時「後三年の役」に陸奥国にて苦戦を伝えられた兄八幡太郎義家のもとに、助勢のため赴く途中鎌倉に立ちよられ、たまたまこの地に悪疫が流行し住民が難儀しているのを知り、これを救わんがため「厄除神」として霊験の聞こえた京都の祇園社を勧請し篤く祈願されたところ、たちまち悪疫退散し、住民は安堵し難を救われました。以後住民は祇園さまとあがめ深く信仰してまいりました。室町時代足利成氏が関東管領の頃(1449年)は当社の神輿が管領屋敷に渡御し奉幣の式が行われたことが「鎌倉年中行事」に記されている。戦国時代天正十四年(1586年)六月小田原北条氏五代氏直の時「当社の祭礼に際し不敬不礼の者は権門の者といえども厳科に処す」という禁制守護状を下賜された。徳川家康が江戸に入場されるや、五穀豊穣万民豊楽の祈請のため慶長九年(1604年)三月当社に対し永楽五貫の朱印地(神領)を下賜された。以後代々の徳川将軍家より朱印状が下付された。社号は鎌倉祇園社又は祇園天王社と称していたが、明治の御維新に際し八雲神社と改称し大町総鎮守として明治六年村社に列格され、明治四十年四月神饌幣帛料供進神社に昇格した。昭和二十八年七月宗教法人に登録され神社本庁に所属し現在に及んでいる。
境内図
巡礼雑記
2021年2月17日 八雲神社(大町)◆境内散歩◆~京都・八坂神社に繋がる「鎌倉の厄除さん」~ ⇒投稿記事へ
鎌倉・大町にある八雲神社は、永保年中(1083年)に、後三年の役に参戦するため陸奥国に向かう途上の新羅三郎義光公が、悪疫に悩まされるこの地の住民を救うべく京都祇園社を勧請し、「鎌倉祇園社」として開創されました。その後も「西の京都祇園社」に対し「東の鎌倉祇園社」と呼ばれるほどの信仰を集め、室町時代には関東管領家、戦国時代には小田原北条氏、江戸時代には徳川将軍家と歴代の権力者に保護されてきましたが、明治の神仏分離令を機に仏教系と映る「祇園」の名を廃し、新たに「八雲神社」を称するようになりました。この社名「八雲」は、素戔嗚尊が詠んだとされる日本で最初の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」に由来します。鎌倉市内には、八雲神社と称するお社が四社(大町・西御門・山ノ内・常盤)ありますが、中でも今回ご紹介する大町・八雲神社は、四社の中で唯一神主が常在する神社であり、湘南鎌倉地区の多くの無住神社の神主を兼任するなど、旧大町村内に留まらず地元鎌倉湘南地域になくてはならないお社として親しまれています。
御朱印
年中行事
1月1日 | 歳旦祭 |
1月6日 | 新年初神楽 |
1月15日に近い休日 | さいと焼 |
3月24日 | 祈年祭 |
7月7日より14日の間 | 例大祭 |
11月24日 | 新嘗祭 |
季節の花々
春 | 桜 |
夏 | ー |
秋 | 椿、紅葉 |
冬 | ー |
住所 | 〒248-0007 神奈川県鎌倉市大町1-11-22 |
電話・FAX | Tel:0467-22-3347 Fax:- |
URL | – |
【公共交通機関】
JR横須賀線「鎌倉駅」より徒歩8分。
【車】
横浜横須賀道路「朝比奈IC」より鎌倉方面・約20分。
近辺にコインパーキング多数。