鎌倉・建長寺◆境内散歩(その3)◆方丈・唐門・得月楼・応真閣・庭園

鎌倉・建長寺◆境内散歩(その3)◆方丈・唐門・得月楼・応真閣・庭園

建長寺・境内散歩三回目の今回は、唐門・方丈(龍王殿)・得月楼・大庫裡(応真閣)とその近辺をご紹介します。もともと禅宗寺院における方丈は、住職の日常生活の場とされ、書院・仏間・応接間等を兼ね備えた多目的建造物でした。現在の建長寺では、大方丈(龍王殿)・得月楼・大庫裡(応真閣)がそうした役割を分担しています。

なお建長寺のご由緒、ご朱印、年中行事、季節の花々、アクセス等につきましては、以下のリンクをご覧ください。
⇒建長寺

境内図

唐門

現在の「唐門」は、東京の芝・増上寺にあった江戸幕府二代将軍・徳川秀忠公夫人・崇源院(お江与の方)霊屋前の中門を、正保四年(1647年)に移築したものです。唐破風を正面に向けた「向唐門」の様式で、 崇源院の子で江戸幕府三代将軍・徳川家光公の菩提寺である日光輪王寺・大猷院の唐門にも通じる素晴らしい金彩と浮彫りが施されています。「唐門」は通常閉じられていますが、本来は方丈の正面入口となります。

建長寺・唐門
唐門・正面
唐門・正面・浮彫り
唐門・裏側

唐門前広場

唐門前は、舗装された広場になっており、西側には石碑などが立っています。

石塚友二句碑

こちらは、昭和時代、戦前戦後を通じて活躍した鎌倉文士・石塚友二の句碑です。昭和36年11月22日の時頼忌に際して建立されたものだそうです。「好日や わけても杉の 空澄む日」

石塚友二・句碑

花塚

4月8日の「花まつり」では、花塚の前で花供養が行われます。

建長寺・花塚

茶筅塚(ちゃせんづか)

毎年5月28日の「茶筅供養」では、「茶筅塚」の前で、茶筅のお炊き上げが行われています。

建長寺・茶筅塚

茶盌塚(ちゃわんづか)

こちらは、「茶筅塚」の隣にある「茶盌塚(ちゃわんづか)」です。

唐門前の花々

唐門前は、様々な花が楽しめる場所でもあります。

枝垂れ桜
つばき
石楠花
あやめ
花海棠

収蔵庫

こちらは、2015年に竣工した収蔵庫で、寺宝を守るため耐火性を強化しています。大庫裡の裏手にあります。

収蔵庫

方丈(龍王殿)

方丈には「龍王殿」の扁額が掲げられています。江戸時代に建てられた以前の建物は関東大震災で倒壊しましたが、昭和十五年に京都の般舟三昧院(はんじゅさんまいいん)のご本堂を移築しました。般舟三昧院は
明治の神仏分離令までは、歴代天皇のご位牌を安置する皇室の香華院でした。なお建長寺の建物では「総門」も般舟三昧院より移築したものです。

こちらは大玄関です。「透関」の扁額が掲げられています。

大方丈・大庫裡・得月楼は短い廊下で繋がり一体化しています。案内図をみていただくとよく分かりますが、大玄関を入り左手が大方丈で、右上手が得月楼(一階:応供堂(食堂)、二階:得月楼大広間)、右下手が大庫裡(一階:寺務所、二階:応真閣大広間)となっています。

大玄関の正面は、接客エリアの知客寮です。

知客寮

大玄関を入って右に曲がると得月楼及び大庫裡に繋がっていますが、
宝物風入などの催しがある日を除き 、一般の参拝者は入れません。

通常日
宝物風入れの日

大方丈の内部はこんな感じです。正面が幅の広い内陣となっており、時々講話などの会場としても利用されます。内陣には大方丈の御本尊・宝冠釈迦如来像が禅定印を結んで鎮座されます。

方丈・正面・普段
方丈・正面・講話で使用
方丈・右手前隅から
方丈前・庭園
方丈裏手・日本庭園

大庫裡(応真閣)

開山七百遠諱事業の一環として平成三年(1991年)に建築されたもので、一階は建長寺の寺務所を兼ねた臨済宗建長寺派の宗務本院、二階は大広間となっています。正面の唐破風の下が玄関です。

玄関の正面には、厨房・僧坊の護法神として韋駄天様が祀られています。

お正月には注連飾りが掲げられ、韋駄天像には鏡餅が供えられます。また、年末年始にちなんだ吉田管長ご直筆の偈頌(げじゅ)には「栢樹庵(ひゃくじゅあん)」の号が記されています。今年は亥年でしたので吉田管長の筆による猪の絵も額装されていました。

得月楼

得月楼は、客殿として平成十五年(2003年)に建築されました。「得月」とは、月の景趣を十二分に眺め楽しむという意味で、李白の詩にも「酒を促して得月を喜ぶ」とあります。創建当初にも同じ名前の建物が、今と同じように「蘸碧池(さんぺきち)」の畔にありました。

方丈と得月楼は、渡廊下で繋がっています。

得月楼の二階は、明るいイメージでした。廊下からは日本庭園が見下ろせます。中央の池が「蘸碧池(さんぺきち)」です。

一階は、食堂の「応供堂」で、宝物風入の日などは名物のけんちん汁を頂けます。

庭園

方丈裏の日本庭園は創建七百五十年を記念して平成十五年(2003年)に整備されたものですが、その原形は開山・蘭渓道隆による作庭によるもので、中央に「蘸碧池(さんぺきち)」 が配されています。

島の奥側にある松は「影向の松(ようごうのまつ)」と呼ばれています。芝生の向こう側の木立の中には、弁財天の祠と「大日本国相模州鎌倉府巨福山建長興国禅寺」の銘がある石碑が建っています。

影向の松
弁財天の祠
銘「大日本国相模州鎌倉府巨福山建長興国禅寺」石碑

最後までご覧いただきありがとうございました。大方丈の周りには、鎌倉最大の寺院に相応しい立派な建物が立ち並んで、なかなかに壮観です。