鶴岡八幡宮~菖蒲祭(しょうぶさい)2019年・後半~舞楽

鶴岡八幡宮~菖蒲祭(しょうぶさい)2019年・後半~舞楽

五月五日・端午の節句に執り行われる鶴岡八幡宮「菖蒲祭」では、舞殿での神事に引き続いて「東京楽所(とうきょうがくそ)」による舞楽が奉納されました。曲目は「振鉾(えんぶ)」「萬歳楽(まんざいらく)」「延喜楽(えんぎらく)」「長慶子(ちょうげいし)」)の四目でした。鶴岡八幡宮における舞楽奉納の歴史は大変古く、文治四年(1184年)に箱根権現(箱根神社)および伊豆山権現(伊豆山神社)の稚児八名による童舞奉納に遡り、建久二年(1191年)に京都の伶人・多好方(おおのよしかた)が鎌倉に下向し鶴岡八幡宮の楽人達に秘曲を授けた後は、本格的な雅楽・舞楽が奉納されるようになったと推察されます。当時の舞楽の盛んな様子は、鶴岡八幡宮に残される重要文化財の舞楽面(五面)からも窺い知れます。

なお、御神楽等を含む神事の様子は「鶴岡八幡宮~菖蒲祭(しょうぶさい)2019年・前半~御神楽奉納・敬老会」をご覧ください。

舞楽面・弁財天像~鶴岡八幡宮宝物~

鶴岡八幡宮には、重要文化財に指定されている舞楽面(五面)が所蔵されています。

貴徳蕃子(きとくばんし) 貴徳鯉口(きとくこいぐち) 散手(さんじゅ)
陵王(りょうおう) 二ノ舞・咲面(にのまい・えみめん)

「舞楽面」(「重要文化財」より )

また、重要文化財の「弁財天坐像」は、文永三年(1266年)に京都の伶人・中原光氏より、歌舞音曲 の神様として献納されたもので、江戸時代には旗上弁財天に祀られていました。

「弁財天坐像」(「重要文化財」より )

舞楽で奏された楽器

鶴岡八幡宮・菖蒲祭で奉納された「舞楽」で奏された雅楽器は、「吹物(ふきもの)・管楽器」として「笙(しょう)」「篳篥(ひちりき)」「龍笛(りゅうてき)」「高麗笛(こまぶえ)」、「打物(うちもの)・打楽器」として「楽太鼓(がくだいこ)」「鉦鼓(しょうこ)」「三ノ鼓(さんのつづみ)」「鞨鼓(かっこ)」で、弦楽器は演奏されませんでした。

吹物(ふきもの)・管楽器

笙(しょう)
篳篥(ひちりき)
龍笛(りゅうてき)

打物(うちもの)・打楽器

楽太鼓(がくだいこ)
鉦鼓(しょうこ)
鞨鼓(かっこ)
三ノ鼓(さんのつづみ)

楽人(がくにん) 昇殿

「直会殿」から「舞殿」にかけて、茣蓙を敷いた通路が用意され、鮮やかな舞楽装束に身を包んだ「東京楽所(とうきょうがくそ)」の「楽人(がくにん)」の皆さんが、長い裾を引きながら舞殿に昇ります。

◆東京楽所(とうきょうがくそ)
昭和四十八年(1973年)に、宮内庁式部職楽部の楽師が中心となって「芸術音楽」としての雅楽演奏を目的に結成された日本を代表する雅楽団体で、東京オペラシティでの定期公演の他、海外公演にも挑戦しています。

舞楽奉納

この日の舞人(まいにん)の衣装は、王朝風の袖の大きい「袍(ほう)」を着た「襲装束(かさねしょうぞく)」でした。左方は赤、右方は緑の袍を纏い、頭に「鳥甲(とりかぶと)」を戴きます。それぞれ袍の右袖を脱いだ「片肩袒(かたかたぬぎ)」で着用しており、白地の下着の刺繍も華やかです。

振鉾(えんぶ)

周の武王が「牧野の戦い」で殷の紂王を破った後、左手に黄金の鉞、右手に白い毛の牛の体毛を付けた旗を持ち、天下泰平を誓ったという故事に則り、左右の舞人が、鉾を振るいます。現在では、舞楽の上演に先立ち、舞台を清める為の儀式的な演目として位置付けられています。演舞は、三節に分かれており、左方の舞人による「一節」、続いて右方の舞人による「二節」、最後に左右両方の舞人が同時に鉾を振るう「三節」からなります。伴奏には「乱声」と呼ばれる特殊な演奏形式が採用され、左方の舞の唐楽では「小乱声」「新楽乱声」、右方の舞の高麗楽では「高麗小乱声」「高麗乱声」が奏されます。

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萬歳楽(まんざいらく)

「萬歳楽(まんざいらく)」は、隋の煬帝の作とも、唐の武太后の作とも、用明天皇の作ともされていますが、賢君の時代には鳳凰が飛来し「賢王万歳」と囀るとの中国の伝説によるものです。赤い「襲装束(かさねしょうぞく)」を纏った四人の舞人が演じる左方唐楽・平舞の代表的な演目とされ、即位の礼を始めとする慶賀の宴にて演じられて来ました。ゆるやかなテンポにあわせ、四人の舞人が互いに対称的に方向を変えながら舞の型を進めて行く抽象的な動きが特徴です。吹物(管楽器)は「笙(しょう)」「篳篥(ひちりき)」「龍笛(りゅうてき)」、打物(打楽器)は「楽太鼓(がくだいこ)」「鉦鼓(しょうこ)」「鞨鼓(かっこ)」が用いられます。

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延喜楽(えんぎらく)

「延喜楽(えんぎらく)」は、緑の「襲装束(かさねしょうぞく)」を纏った四人の舞人が演じる右方高麗楽・平舞の代表的な演目で、式部卿敦実親王(しきぶきょうあつざねしんのう)が舞を、藤原忠房(ふじわらのただふさ)が曲を作り、その時の年号「延喜」を曲名としました。左方・右方を組み合わせて演じる「番舞(つがいまい)」が盛んになる中、右方の演目が少なかったため日本で新たに作られた演目で、左方「万歳楽」の「答舞(とうぶ)」として、慶祝の場にて奏されます。「篳篥(ひちりき)」「高麗笛(こまぶえ)」「三ノ鼓(さんのつづみ)」を用いた「高麗壹越調(こまいちこつちょう)」の前奏曲「意調子」が特徴的です。

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長慶子(ちょうげいし)

平安時代中期の「大篳篥(おおひちりき)」の名手・源博雅(みなもとのひろまさ)の作とされる曲ですが、中国の長慶楽を編曲したものとも、用明天皇の皇子誕生を祝して作られたものとも云われています。舞はなく管絃のみの演目で、古くから参集者が退出する際の「退出音声(まかでおんじょう)」として用いられてきました。現在でも舞楽公演の締めの後奏曲として演奏されています。

楽人(がくにん) 退殿

四つの演目を終えた楽人の皆さんが、直会殿の方に退下します。舞殿の縁側から垂れた舞楽装束の裾が鮮やかです。

最後までご覧いただきありがとうございました。舞殿での御神楽の奉納を拝見する機会は多いですが、舞楽の奉納は菖蒲祭くらいしかありません。