紅葉の強羅・箱根美術館(2018年)

紅葉の強羅・箱根美術館(2018年)

先日訪問した紅葉の箱根美術館をご紹介します。第二次世界大戦後、箱根あたりには様々な美術館が開館されましたが、その嚆矢となったのが世界救世教の教祖・岡田茂吉の陶磁器コレクションで有名な箱根美術館です。また、箱根美術館を含む日本庭園全体は「神仙郷」と呼ばれ、国の登録記念物に指定されています。殊に「苔庭」の紅葉は素晴らしく、箱根の紅葉の名所と云えば常に上位にランクされるため、毎年シーズン中の休日は大変な賑わいとなります。箱根登山鉄道の終点・強羅駅からケーブルカーで二駅目・公園上駅のすぐ前にありますが、駐車場が広いので車でも便利です。
敷地は、こんな感じで、矢印のとおり進めば一通り見学できるよう周遊路が設けられています。本館と別館の中に展示品があります。

目次

紅葉の風景

土日祝日と、紅葉が美しい11月には、通常公開されている「苔庭」等に加えて「石楽園」も特別公開されます。

駐車場付近

入場する前から見事な紅葉です。

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苔庭

紅葉に埋め尽くされた「苔庭」です。ここだけでも来る価値があるのではないでしょうか。


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茶室・真和亭

入館者向けに設けられた茶室で、紅葉に彩られた苔庭を見ながら立礼でお茶を頂けます。平日ですが、シーズン中は待ち行列ができています。

主菓子は、砂糖を控えて栗の甘みを生かした「栗きんとん」で、御茶碗は秋らしく紅葉の絵付でした。御抹茶は、無農薬栽培のお茶を使用しているそうです。

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富士見亭

「真和亭」の隣の茶室です。もとは東京・上野毛にあった箱根美術館創立者の岡田茂吉の自宅で、居室から富士山を見ることができるよう西向きに建てたことから「富士見亭」と名付けたそうです。昭和49年にこちらに移築されたため、残念ながらもう富士山は見えません。部屋に上がることはできませんが、障子は開かれていて中を拝見できます。

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日光殿

大きな広間があり、普段は教団のイベント等で利用されています。近代数寄屋の創設者と云われ、旧・歌舞伎座等を手掛けた名建築家・吉田五十八の設計です。

日光殿に向かって左側に、日光殿前庭があります。自然の大岩から小滝を落とし、箱根山中の原風景に理想の神仙郷「地上の天国」のイメージを重ね合わせています。浮かんだ紅葉が、清冽な滝壺の透明感を際立たせます。

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石楽園

日光殿前庭脇の石段を上ると岡田茂吉がデザインした石庭で、土日祝日と11月のみ公開されています。

遠く「大文字焼」で知られる明星ヶ岳をはじめ、明神ヶ岳、浅間山が並びます。石楽園のこの上ない借景を形作っています。

石楽園の風景に溶け込んだ「観山亭」は、岡田茂吉がかつて住居として使用していた建物です。現在は非公開ですが、この縁側からの庭園の眺めはさぞ素晴らしいものでしょう。

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神山荘

奥に見える茅葺の屋根が、かつて藤山コンツエルンの総帥・藤山雷太の別荘であった「神山荘」(国指定登録有形文化財・非公開)です。藤山雷太は、かつて自民党総裁選に何度も出馬した有力政治家・藤山愛一郎の父でもあります。この土地と建物は、岡田茂吉が「神仙郷」の建設を思い立った際に最初に購入した場所で、この後、石楽園を含む広大な土地を箱根登山鉄道から買い取り、さらに日光殿のある土地を買い足しました。


箱根美術館本館

戦後間もない時期に建てられたためか美術館らしい装飾性を省いたシンプルな建物ですが、中央を瓦葺きとした和洋折衷の様式は第二次大戦前の帝冠様式の流れを汲むものでしょうか。そういえば、上野の国立博物館や、京都市美術館なども瓦葺きの鉄筋コンクリートですね。



エントランスは、こんな感じです。

二階からは、明星ヶ岳が一望できます。

山月庵

「山月庵」は昭和初期の数寄屋大工の第一人者である三代目木村清兵衛が三年を掛けた近代数寄屋造りの名建築で「神仙郷」でも一番の茶室と云われています。残念ながら非公開です。

山月庵付近の「竹庭」は、紅葉の季節でも青々としていました。

萩の家

「萩の家」は、入口から本館に向かう途中の「萩の道」の終わりの方にある日本家屋で、神仙郷を造るより以前に岡田茂吉が宿泊したことがある貸別荘を修繕したものです。岡田茂吉は、揮毫を依頼されるとここで書き上げたそうです。

外から内部を拝見できます。

美術館の展示物

この日は、本館一階で特別展示「近日本の木版画」が催されていました。以下、気になった作品をご紹介します。

本館一階左手の展示室

内部は、こんな様子でした。ここでは、明治の浮世絵及び浮世絵の技法を用いた木版画作品が展示されていました。私は、写真が普及するまでの間の明治の木版画に疎いもので、とても新鮮に感じられました。

小林清親「駿河町雪」(明治10年・1877年)

明治初期には、こうした「開化絵」が多く刷られました。これは西南戦争の頃の作品ですが、紺の暖簾の越後屋と、奥に見える洋館造りの三井為替バンクの対比がとても面白いですね。駿河町というのは、現在の日本橋室町あたりです。

小林清親「五本松雨月」(明治13年・1880年)

現在の江東区を通る小名木川(旧称・小奈木川)にあった五本松の風景です。なんと外輪船が行き来していたのですね・・・。調べてみると国産の「川蒸気」と呼ばれる外輪船が、利根川や江戸川で運行されていたそうです。まさに文明開化です。

山村耕花「インコと香水」(大正13年・1924年)

第一次世界大戦が終わり大正浪漫華やかな時期に刷られた作品です。技法は伝統を受け継ぎながらも、題材は、花柄のテーブルクロス上の色鮮やかなインコと香水瓶。西洋一色です。

山村耕花「上海ニューカールトン所見」(大正13年・1924年)

上海共同租界にあったニューカールトンのカフェの様子を描いたものでしょう。日本のGDPが中国より大きかった頃、南京西路のポートマン(リッツ・カールトン)に泊ったことがありますが、大正時代の共同租界の中心は今の南京東路でしたので、おそらくそちらにあったものと思われます。浮世絵が日本を飛び出して魔都上海の夜を描くまでになったんですね・・・。

本館一階右手の展示室

内部は、こんな様子でした。ここでは、昭和初期の風景を刷った作品が展示されておりました。先ほどの部屋とは真逆に、昭和になっても残されていた江戸期の風景が、まるで水彩画のように繊細なタッチで描かれた吉田博画伯の作品が展示されていました。

吉田博「猿澤池」(昭和8年・1933年)

奈良・猿澤池から夕暮れの興福寺・五重塔を描いた作品です。池の面に五重塔がゆらゆらと映っている様を繊細に描いています。両者の位置関係から、逆光にはならないはずですが、何となく逆光気味に見えますね。

吉田博「庫(瀬戸内海第二集)」(昭和5年・1930年)

広島・福山の港の様子です。話には聞いていましたが、この頃でも一枚帆の和船が現役だったというのは本当だったんですね。江戸時代の浮世絵と云われても納得してしまいそうな作品です。

吉田博「鈴川」(昭和10年・1935年)

葛飾北斎・富嶽三十六景「甲州三坂水面」の影響を受けていると云われる作品ですが、浮世絵風のデフォルメは見られず、西洋の水彩風景画のようなタッチで淡々と描かれた作品です。

本館二階階段上って右手の展示室

ここでは、多くの日本製の陶器が展示されていました。

新潟県出土「縄文火焔形深鉢」(縄文時代中期)

大きくてビジュアルも迫力満点でした。強烈な印象。実用品とはとても思えません。

備前焼「緋襷壺」(桃山時代)

「緋襷(ひだすき)」は、焼成時に、作品同士がくっつかないように巻いた藁や藻が作用したものだそうです。壺の下部の色彩とのコントラストが面白い作品です。

須恵器「長頚瓶」(平安時代・10世紀)

この頃、西日本では衰退しつつあった須恵器ですが、関東では逆に生産量が増大していたそうです。
後の洗練された陶磁器のように「釉」を用いるでもなく、意図せず付いてしまった「自然釉」による表面の色ムラが楽しめます。

本館二階階段上って左手の展示室

こちらには、中国・景徳鎮の陶磁器がずらりと展示されていました。

景徳鎮「五彩仙盞瓶(ごさいせんさんびん)・金襴手」(明・嘉靖期・16世紀)

展示物には青磁の作品が多い中、赤・緑・黄等の上絵具を用いた五彩に金彩を加えるなど手間をかけた作品で、とても目立っていました。お茶を注ぐための瓶だそうですが、今でも中国では、空中でのお茶の流れが、細く長い曲線を描くように注がれます。

景徳鎮「青花蓮華形盤」(明・万暦期・16~17世紀)

フグの「てっさ」状の陶片をいくつもつなぎ合わせたような繊細な青花です。仏教の香りのする蓮華形の中央には梵字らしき記号が描かれています。とても手の込んだ作品です。

景徳鎮「青花捻文鉢(せいかねりもんばち)・祥瑞(しょんずい)」(明末期・17世紀)

青色が鮮やかな青花鉢で、形状も図案も斬新です。「祥瑞(しょんずい)」というのは、類似する遺例の中に「五良大甫・呉祥瑞造」の銘を持つものがあることから、このように呼ばれています。

本館二階階段上って左手奥の展示室

こちらでは、中国及びパキスタンの仏教遺跡で見つかったレリーフを展示していました。

パキスタン・クシャーン「涅槃」(3世紀)

お釈迦様の涅槃図です。お釈迦様には、きちんと光背があります。周囲で嘆いているのは全て「人」で、日本の涅槃図によくある鹿や猿などの動物は描かれていません。

パキスタン・クシャーン「降魔成道」(3世紀)

中央のお釈迦様が、その成道を妨げようとする魔神マーラを退けて悟りに至った場面が描かれています。

中国・北周「仏三尊像」(6世紀)

中央の仏様がどなたかは不明ですが、如来を中央にして両脇をおそらく菩薩が固める三尊像の基本形が成立しています。ただ、仏様の足元には獅子が蹲っているところは日本の一般的な三尊の様式とは異なります。また、菩薩の体の線が、より女性的である点が特徴です。

最後までご覧いただきありがとうございました。楽しみどころ満載の箱根美術館でした。今度は、新緑の頃に行ってみたいと思います。